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相棒  作者: 蒼龍 葵
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第3話 オペ室の微光

3.オペ室の微光



「……げっ、熱下がらないじゃん」


 ベッドから全く起き上がれなかった俺は這うように床に降り、恐る恐る測定してみた体温計に絶望した。一応、坂野師長に電話してみるものの、今日は夜勤も別の病棟から急遽ヘルプを頼むくらい人手不足らしい。


『矢木くんごめんなさい、今日CABGがあるからどうしても出勤して欲しくて……きつかったら休憩室にずっといていいから、お願いできないかしら』

「分かりました。今まだ体が動かないので、電車の時間的に遅刻になりますけど、薬飲んで向かいます」


 普段から温厚な坂野師長にそう頼まれては断れない。俺はストックの解熱剤を無理やり流し込み、フラフラのまま着替えた。

 こういう時に職場に近い家はいいなあと思うけど、いちいち呼び出しを受けるのもきつい。だからこれくらい遠い場所が丁度いい。


「動ける、動ける……」


 暗示のようにそう呟き、俺はギシギシと痛む両膝を叱咤した。やはり玄関の鍵を閉めたところで眩暈と吐き気が酷い。これで一時間電車に揺られて出勤とか、考えただけで滅入る。








 体調の悪い時に限って仕事は忙しい。オペ待ちしていた患者の容体が悪化し、緊急オペになった。ただでさえ予定のオペも入っているのに厳しい。


「矢木くん、前投指示もらったから、ダブルチェック」

「はい、409号室の方です。はい、はい……家族はあと20分ほどで到着予定です」


 俺は安西部長に状況報告をしつつ緊急オペの指示をもらってきた坂野師長と点滴のチェックをしていた。休憩どころか普段の業務すら危うい。あまりにも酷い現状に、今日は別の病棟からスタッフが二人応援できているものの、初心者に丸投げするような仕事はなく、結局説明してもこちらがやらなくてはならない。


「矢木さん、お手伝いできることあります?」

「ええっと……409号室の片桐さんのオペ前最終バイタル取ってもらっていいですか? 家族さん来たらIC室にお連れしてください。そのあと安西部長コールで」

「分かりました。行ってきます」

「矢木さん、401号室の如月さんが苦しがってて……」


 如月さんは左気胸でオペ方向だった筈。ドレーンも問題ないのに肺が破れたのだろうか。


「酸素準備して、片倉科長に指示仰ぎます」


 あっちもこっちも電話、電話、電話。なんでこういう時に限って急変が多いのだろう。

 緊急オペの準備を進めつつ、俺は猛烈な頭痛と吐き気と格闘していた。一瞬でも気を抜いたら倒れる。自分の体調は一番自分が知っている。俺は震える手を叱咤して応援ナースに指示を任せた。


『入室準備できたのか?』

「科長申し訳ありません。401号室の如月さんのドレーン、リークがありません。呼吸状態が悪く暴れ始めてまして安静が図れません。指示を──」

『いや、直接見にいく』

 

 後半、片倉が何か言っていたような気がしたが、俺の耳には聞こえなかった。四階まで階段ダッシュしてきたのか、軽く息を切らした片倉はすぐさま大声を出して痛みに悶え苦しむ如月さんの腕を取った。


「暴れる元気があるってのはいいことだ」


 片倉は暴れて噛みつこうとする如月さんの腕にすかさず注射をして鎮静させた。確か、この人は片倉の知り合いだったような。そうか、だからわざわざ忙しい中見にきたのだろう。


「まあ、こんだけ動けりゃ死にはしない。CABGの後にこいつの指示出すから、すまんが呼吸だけ見てやってくれや」

「わ、分かりました」

「雅臣は俺の話聞かねーからなあ……手のかかる先生だ。あ、入室15分後で頼む。前投行っていいから」

「同意書はこちらのカルテに入れてます」

「ああ、助かる」


 既にオペの検査服に着替えていた片倉は再び麻酔科に電話しつつ下へ降りて行った。俺は山のように積んであるカルテを一つずつ処理しつつ、慣れないヘルプ看護師の質問に答えて今日の抗がん剤を捌いた。熱があろうと休む暇なんて全くない。

 そうこうしている内にオペ室から催促の電話があり、担当が怖いと申し訳ないので俺がカルテと患者の乗ったストレッチャーを押して下に降りた。


「す、すいません遅くなりました!」

「15分後って言いましたよね? こちらも麻酔科の先生が並行しているので時間通りにお願いします」


 正論だが、やはりオペ室の看護師は怖い。綺麗なマスカラをつけていても眼力と迫力のある若い女性は開口一番、俺に食ってかかってきた。こっちだって遊んでいる訳じゃないのにと言いたい。


「……片桐新之助さんですね。わたしはオペ室看護師の神野真弥と申します。今日はどちらの手術になるか指で教えていただけますか?」


 俺が小さくなっているとふわりと柔らかい声がストレッチャーに乗る患者に向けられた。看護師に申し送りをしつつ声の主にちらりと視線を向けると、そこには穏やかな表情の不思議なオーラを放つ男がいた。

 確か、今神野真弥って名乗ったな。つまり、この男が片倉が長年恋焦がれているっつー奴なのか。男が男に恋焦がれるとか一体どうとち狂ったのかと思ったけど、この人は何か違うような……


「同意書、確認してもいいでしょうか?」

「は、はい。片桐新之助さん、CABGです」

「ダブルチェック了解、抗生剤は二本ですね?」

「はい。カルテの中に入れてます。前投は──」


 さっきまで怖い看護師に対応していたので俺も萎縮していたが、何かを察したのか神野さんって人は女性の看護師に中に患者をお連れするよう小声で話し、俺から直接申し送りを聞いていた。


「……ごめんね、関係ない病棟の方に八つ当たりして……」

「い、いえ! こっちも遅れてしまったのが申し訳ありません」

「お互い様だから、気持ちよく仕事できるようにしましょう。矢木さん、顔色がかなり悪いので少し休んでから病棟に戻った方がいいですよ」


 まさか初対面の人間にまでバレるとは。よほど疲労が出ているらしい。


「……そうしたいのは山々なんですけど、上の指示が大変で」

「自分の身体を守れるのは自分だけです。男子休憩室使ってかまいませんので、10分休んでから病棟に戻ってください」

「……ありがとうございます。そうします」

「こちらです」


 神野さんに案内され、俺は始めてオペ室の男子休憩室に入った。小綺麗にされたその小さな部屋はソファーが置いてあり仮眠が取れるようになっている。


「オペ室と病棟の師長には既に伝えていますので、ちゃんと休んでください。その顔、休憩もとってないでしょう?」


 これからオペで忙しいはずなのに、神野さんは俺に穏やかに微笑みながらブランケットまでくれた。その声に促されるように俺は重い眸を閉じた。

 熱の下がらない身体に、休憩も取っていない疲労困憊。それがたった10分で起きられる訳がない。はっと気づいた時、時計は30分も過ぎていた。


「やべ……早く、戻らないと」


 慌てて体を起こし、カウンターにいるオペ室の師長にお礼を伝えすぐさま四階へ戻った。


「あ、矢木くん大丈夫!? 神野くんから聞いたわよ。本当にごめんなさいね、ある程度病棟も落ち着いたし、あとCABGの迎えだけだから帰って大丈夫よ」

「いや、ここまで来たら早退もあれなんで、定時で上がらせてもらいます」

「頼れるリーダーが矢木くんしか居なくて……無理させてごめんなさいね、時期が落ち着いたらママさん達も出勤出来るから。それと明日は休みにしたからゆっくり休んでね」

「配慮ありがとうございます。早く熱下げてきます」


 胸部外科は忙しいのでママさん看護師は基本勤務移動の対象でくることはない。お産や子どもの体調不良の偶然が重なっただけなのだが、こうも居るメンバーだけでやりくりするのは過酷だ。

 定時になり帰りたかったが、ヘルプで来てくれている別の病棟の看護師よりも先に帰るわけにいかず、俺は彼女らの余った仕事と最終チェックを引き受けた。


「今日は本当にありがとうございました」

「お先に失礼します〜」


 先に帰る彼女らの背中を見送り、俺はリーダー机に突っ伏した。手伝ってくれる予定だった坂野師長は緊急の会議に呼び出しをされ不在。俺はノロノロと働かない頭を動かし、夜勤看護師への申し送りの為に最後の気力を振り絞った。

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