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相棒  作者: 蒼龍 葵
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第2話 嘘をつく夜

2.嘘をつく夜


「お先に失礼しまーす」


 夜勤スタッフへ申し送りを終えた頃、もう時計は9時を回っていた。全然お先もクソもない。リーダー業務だとやることが多過ぎる上、ママさんナースがお子さんの都合で急遽休みも多くてはっきり言って日々の業務が全然回らない。

 夜勤やるって言ってるのに、リーダー出来る人が居なくなると困るから日勤でお願いしたい、と俺は夜勤を減らされた。ただでさえ稼がないといけないのに夜勤が減らされるのは正直困る。かと言って嫁に逃げられたなんて恥ずかしい話はしたくない。


「矢木、今あがりか?」

「科長……お疲れ様です。ベル呼ばれたんですか?」

「いや、一応オペ後の確認したくてな。竹山の指示抜けが多くてよ」


 確かに今年の研修医竹山先生は完璧そうな仕事ぶりだが指示の小さなミスや抜けが多い。しかも、それを指摘すると看護師風情が、と不満そうに顔を顰める。こっちだってミスされた指示のまま動くわけに行かないのだから、きちんと仕事をして欲しい。

 何度も竹山先生に苦言を呈する俺は完全に嫌われ者だった。別に研修医に嫌われようが俺の仕事に支障はないし、あまりにも雑ならば科長に言えばいいと思って特に気にしていなかった。

 案の定、今日のオペ指示四件のうち二件はミスがあり、科長はこんな時間なのにICUと夜勤看護師に正しい指示入れたからこっちを使うようにと申し送りをしていた。

 科長が気づいたから良いものの、これが本当にそのまま実施されていたら──と思うと不安しかない。


「矢木、帰るなら飯行かねーか?」

 

 俺はどう答えようか迷った。片倉は彩香のことを知っているし、でも逃げられた話はしていない。長年友人として付き合ってきた男に情けないところは見せられない。


「嫁が待ってるんで……すいません、先に帰ります」

「ああ、そうだったな。まあ気分転換したくなったら飯行こうぜ。美味い干物屋があるんだよ」

「はい、お誘いありがとうございます。ではまた明日」


 仕事上ではこいつと俺は立ち位置が違う。例え長年の付き合いだとしても、あちらは医者。看護師がなあなあで接したら後輩達も同じような風習になってしまう。部長の安西先生はそういう馴れ合いを嫌う人なので、俺は片倉に対して深い線を引いてただの仕事仲間を演じていた。

 しかし、居ない嫁が待っているなんて非常につまらない嘘を吐くのは本当につらい。俺の中の小さなプライドが邪魔をする。もういっそのこと、こいつにだけは吐露してもいいんじゃないかって思う。







 誰も居ない家に戻り、リビングの電気をつけた瞬間、あちこち荒らされた形跡があることに気がついた。正確には、この家のことを知る人間が何かを探して行った行為。


「くっそ、鍵穴変えないとダメだな」


 ああ、やることが多過ぎる。

 結婚式の写真撮りと葉書はキャンセル料金を支払ったが、買ってしまった家はそのまま住むしかなかった。しかもここ、微妙に職場から遠いし利便性が悪い。9時に仕事を終えて電車に乗って家についたら0時になる。それからシャワーに入って夕飯を食ったらもう朝だ。

 どのみち今は殆ど眠れていないから良いものの、はっきり言ってこの生活は過酷だった。


「……何を探してたんだ、あいつ」


 犯人は彩香に決まっている。鍵を持っているのもあいつだし、それに荒らされたと言ってもこれはどう見ても素人の犯行だ。ピンポイントで狙う場所と、痕跡まで残されている。  

 一応結婚する予定だった女を犯罪者に仕立て上げたくは無かったので、何も取られていないことを確認して隠していた小さな金庫を別の場所へまた移動させた。

 あとは、鍵穴を早急に変えてもらうよう業者に手配。これで終わりだ。あいつとの関係も。


「はあ……疲れた」


 シャワーも面倒くさいと思いソファーにそのまま転がっているとインターフォンが鳴った。


「はい?」

『直己、久しぶり! 新婚生活どうよ。ちょっとだけ飲もうぜー』


 突然の来客は大学時代からの友人である笠原だった。こいつは彩香と俺の関係も知っているから嘘もつけない。もしもあいつとラインで何か話していたら俺の小さな嘘なんてすぐにバレるだろう。

 かと言ってここで追い返したら今度は片倉のグループに何を言うか分かったものじゃない。胃が軋む思いで俺はドアを開けた。


「どうも、お邪魔しま〜す」

「……こんな時間になんだよ。俺、明日も日勤だし職場遠いから、今度から来る時は連絡欲しい」

「ああ、ごめんな。俺も明日日勤。ちょっとさー、聞きたいことがあって」


 聞きたいことと言われると急に胃が軋む。彩香のことだろうどうせ。何と答えるべきか、別れた、逃げられた? フットワークの軽いこいつにどう伝えたら俺の傷は浅いか。


「あのさ、彩香の実印知らねえ?」

「……は?」


 突然言われたその言葉に俺は思考回路が止まった。今、こいつ何て言った?


「だから、彩香のハンコ探してんだよ。確かさ、お前と一緒に住む時にまとめて重要書類と置いてきたって言うからさ」

「何の話だよ。大体それは本人が……」


 これ以上は聞きたくない話だ。多分、一番最悪な話だと思うし、俺は友達まで失うことになる。


「だから、本人は来れねえんだよ」

「病気か? 入院でも……?」


 一応心配している素振りで聞いてみるが、やはり笠原は乾いた笑いを返してきた。


「お前、マジで言ってる? 彩香は大学から俺と付き合ってんの。まあ、遊び人だし二股してたのは知ってたけど、世間知らずなお前と結婚まで話を進めてるとはなー」


 二股?

 俺、まさか結婚詐欺にあったのか。

 笠原の声が遠くなる。俺はとんでもない女と付き合っていたのか。色々大切なものをずっと彩香に見せずに隠してきて良かった。こういう時だけは他人を一切信用しない性格が役に立つ。彩香は多分俺の隠し金庫を開けられない。だからハンコをネタに笠原をここに寄越したのだろう。


「そっか、お前もグルだったのか。長年友達と思っていた俺が馬鹿だったよ」

「おいおい、話は最後まで聞けって……」

「ふざけんなっ! もうお前の顔も見たくねぇし、彩香のハンコは俺が保管してるわけないだろ。テメェで荷物まとめていなくなったんだから、俺が知ってるものはない。あいつにそう言っとけ」


 夜だと言うのについつい大声を出してしまった。でも俺も腹の虫が収まらない。驚いたままの笠原を部屋から追い出し、俺はドアの前にズルズルと座り込んだ。

 何が重要書類だ。あいつが勝手にブライダルの話を進めて、しかも家だって勝手にあれこれ相談していた。確かにみんな賃貸よりも買った方が安いと言うし、決して悪い買い物ではなかったはずだが、ここに一人で住むには広過ぎる。


 笠原がこんな状況でここにきたということは、きっとすぐに他の仲間達にも俺と彩香の結婚がなくなったことは知れ渡るだろう。他人からの伝言ゲームで伝わるのは腑に落ちない。俺はポケットから携帯電話を取り出し、勢いのまま片倉に電話した。あいつは多分、干物屋にいるはずだ。


『──もしもし?』

「あ、あれ……すいません、これ……片倉の携帯じゃ……」


 電話に出たのは知らない男性の声だった。慌てて電話番号を確認するが間違いない。


『智幸の携帯だけど、病棟の急変?』

「えっ……だから、片倉は……」


 なんで知らない男が片倉の携帯に出るんだ? しかも、病棟の急変って言うことはこの人は俺が何者か知っている。


『智幸、矢木くんからだよ』


 よく考えたら、この人片倉のこと名前で呼んでいる。あの病院に科長を名前で呼ぶ人なんて……


「も、もしかして貴方が真弥さんですか?」

『そうだけど、何か?』


 ショックだ。友人が長年男に恋焦がれていることも、あの美味しいおにぎりは男が作ったものであることも、そして俺ですら呼んだことのない片倉の名前を平然と呼べるところも。


「いや……片倉に、明日話があるとお伝えください。遅い時間に申し訳ありませんでした」

『えっ──?』


 真弥さんって人の反応を俺は無視して電話を切った。ああ、なんて最悪な一日だ。明日は絶対に気持ちを切り替えないと。

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