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相棒  作者: 蒼龍 葵
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第12話 その手をとるなら

12.その手をとるなら



「どうしたの、智幸……溢してるよ」

「は……? あ、ホントだ」


 気づけば、手に持っていたジョッキが傾き、ビールが腹回りに溢れていた。俺はそれすらも分からないほどぼんやりしていたらしい。

 腹回りに垂れたビールを真弥が甲斐甲斐しく拭いてくれたので大惨事には至らなかった。


「矢木くんのこと?」

「んぐっ……!!」

「ちょっと……智幸、顔に出過ぎ。まずは深呼吸して」


 ホッケに手をつけていたら図星を突かれて今度は盛大に咽せた。真弥にはどうせ隠し事なんて通用しない。俺は開き直って本音を話した。


「……俺、直己にキスしちまった……」

「その反応ってことは、嫌がられたの?」


 あの時の様子を見ると、直己は嫌がっているというより状況を理解出来ない顔をしていた。とは言え、冷静になった時に俺のことを「気持ち悪い」とか、「もう関わりたくない」と思われてしまったら、今後お互いの仕事に支障をきたす。


「──明日からあいつに拒絶されたらどうしようかって、そればっか考えていた」


 真面目な話をしているのに、真弥は珍しく嬉しそうに笑っていた。


「やっと智幸も自分の気持ちに素直になったんだね。いい加減俺のことを好き好き言って隠れ蓑にするのやめたら?」

「……真弥に対する気持ちと、直己に対する気持ちはなんつーか……違うんだよ」

「それは、俺に対しては親友からずっと変わらない。矢木くんに対して親友よりも愛情を持っているんじゃないかな」


 直己との付き合いは大学からだ。はっきり言って真弥よりも短い。それでも、あの看護学科の連中とつるんであちこち出かけたり、馬鹿騒ぎして朝まで飲んだり騒いで笑って、とにかく毎日が楽しかった。

 彩香が俺に告白してきた時、直己は自分のことのように喜んでくれた。あの笑顔が眩しくて、可愛くて──彩香よりもお前と付き合いたかったなんて絶対に言えない。


 俺はあの女が尻軽で金に糸目をつけないのを以前から別の情報で知っていたから別れたのに、直己は学部のマドンナと結婚まで話が進んで若干周りが見えなくなっていたのだろう。

 もっと早くあの女だけはやめておけって言えば、直己は借金に追われてローン返済や母さんの治療にあくせくしなくて済んだだろう。だからと言って俺があの時やめておけと言ったところで別れた男が何を言う、と軽く笑われていたと思うし、そこまでの行動力は無かった。


「直己とは、これからも隣で肩を並べて歩きたいって気持ちが強いんだ。それが愛情になるのかどうなのか……」

「うん、智幸は俺相手じゃ勃たないから矢木くんにキスしたのは、友情よりも愛情の方が強いんじゃない?」


 ──なんで俺が真弥相手に勃たないことを知っているんだろう。

 確かに真弥のケツに突っ込まれた玩具を抜いた時、抱く絶好のチャンスだった。眠る真弥にキスしてそのまま──なんてことも。

 それなのに、俺の身体は驚く程何も反応しなかった。口癖のように今まで真弥に一途な愛を囁いていたのに。


「……俺、もしかしてEDなのか……?」


 不安が募りそんな話をしたら真弥が久しぶりに腹を抱えて笑い出した。全く、こんな話できる奴そんなに居ないのに。

 何となく真弥の態度が悔しくてビールを煽り、泥のように眠りたいと思った俺は珍しく日本酒も頼んでいた。








「酔っ払い、頑張って歩けよ」

「う、うぅ……もう飲めない」


 久しぶりの日本酒を煽ったせいで完全にダウンしたらしい。真弥の肩を借りて何とか外に出たものの、タクシーがなかなか捕まらず外で酔いを冷ましていた。

 生ぬるい風が頬を撫でていく。今日はこのふわふわした気分でよく眠れるだろう。さて問題は明日から直己とどう接したら良いのか。

 自分で忘れろ、と言った手前本当に“なかったこと“として片付けるのか。でも、なかったことにしたら、傷つくのは直己であり、多分俺のしでかしたミスのせいで元の友人関係にも戻れないだろう。


「真弥ー、俺振られたみたいですよー」

「……そんなの、当の本人に聞かないと分からないだろ」

「聞かなくてもわかるだろ……どこの世界に今まで友達だった男にキスされて平然としていられるか」


 自分で言ってて虚しくなる。なんであの時直己にキスしたのだろう。今にも消えてしまいそうなくらい脆く繊細なあいつを元気づけるつもりだったのに。


「逆効果じゃねぇか……」

「ほら、智幸。お迎えが来てくれたよ」

「あん?」


 タクシーじゃないのかよと顔を上げるとそこには居心地の悪そうに顔を背ける直己が立っていた。


「はい、そういうわけで後は矢木くんに託していいかな?」

「すいません神野さん……科長は責任持って俺が送り届けます」

「あぁ?! 真弥は何処に行くんだよ」


 タクシーに押し込められる前に俺は真弥にどういう状況か聞こうとしたが、あいつは小悪魔のような笑みを浮かべ手を振っていた。

 

「くっそ……変だと思った。タクシーがそんなに来ない訳ねぇんだよ」


 真弥は俺が飲んでる間に直己を呼び出したのだろう。あいつが乗ったタクシーをそのまま俺のマンションまで送る算段だ。今この状況で直己と二人っきりってまずいだろう。


「──科長、歩けそうですか?」


 外なのに科長呼び……明らかに他人行儀な言い方に俺は友人としての関係すら崩れ去ったのだと思い知らされた。もう、名前どころか名字すら呼んでくれないのか。

 

「……酔いなんて、完全に冷めたよ」


 直己がどんな顔をしているのか直視出来ない。俺は興味のない外の景色をぼんやりと眺め頬杖をついた。


「そうですか……すいません。俺、科長を送り届けたらこのまま帰りますんで」

「何言ってんだよ、真弥に呼び出されたんだろう。終電はねぇしお前の家遠いだろ。嫌じゃなければ泊まっていけって」


 嫌じゃなければ。

 この直己の返答次第で俺はもうこいつと友人にも戻れなくなってしまう。

 数秒の沈黙の後、ぽつりと


「……じゃあ、お言葉に甘えます」







 何となく気まずい。

 直己は真面目な人間だ。だから、こいつはこいつなりに俺とある一定のボーダーラインを敷いて仕事上の上司として今後も関わろうとしてくれている。

 しかし、何でこんな時に限って酒の力は発揮されないのだろう。さっきまでは真弥の肩を借りるほどの千鳥足だったのに、今は嘘みたいに酒が抜けていた。


 タクシーを降りて真っ直ぐマンションのドアを開ける。背後から申し訳無さそうな顔をした直己がゆっくりついてくるのがわかる。


「そんなに警戒すんなって。別に取って食ったりしねぇよ」

「いえ、そんなつもりじゃ……」


 ああ、やっぱりきついな、大切な友達を失うのは。もう直己にとって俺の存在は“仕事上での人間“まで格下げしちまったのか。

 笠原と彩香が直己を裏切ったことで、俺は勝手に今俺が直己を理解し守れる一番の友達だと思い込んでいた。

 それなのに、俺のした事は混乱の中にいる直己に追い討ちをかけるようなものだ。


 それでも、俺はあの瞬間、直己に対するこの不思議な感情を止められなかった。例え嫌われるとしても──。


「片倉、水飲んだ方がいいよ」


 俺がもたもた後ろで靴を脱いでいると先にリビングに入った直己が勝手知ったる様子で台所に向かっていた。そうか、外だから俺のこと科長って?

 ラストチャンスの可能性に賭けた俺は、酔ってぼんやりした頭を叱咤して直己の背中を追いかけた。


「直己は飲まないのか?」

「コンビニで買ったペットボトル持ってきてるから大丈夫だよ」


 俺は水を入れてもらったグラスに口をつけ、ジャスミン茶を飲む直己の隣に腰を下ろした。


「片倉にお礼言わなきゃな。母さん説得してくれてありがとう」

「代替え案があるとしても、その説明に納得するかどうかは本人次第だ。中田部長がどういう説明したのか知らねえけど、当の本人はカテーテルも腹膜透析も不安しかなかったからな」

「うん……来週くらいには片倉が入れてくれたシャント使えるみたい。今はカテーテルの方でだいぶ安定してきたみたいだし」

「そっか、良かったな」


 直己の抱えこむ不安要素が一つでも減ると嬉しい。まあ、こいつと色気のある話が出来るとは思っていないけど、外の様子と中に入った時の様子が変わったので、俺の事を拒絶はしていないのだと少しだけ安心した。


「なあ、直己……俺のこと、怒っていないのか?」

「怒る? 何を」

「いや、その……キスしたこと」

「あぁ」


 直己はなんだそんなことか、と苦笑していた。俺にとっては一大決心と行動だったのになんてことだ。

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