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相棒  作者: 蒼龍 葵
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第10話 命の現場に立つ

10.命の現場に立つ



 午後からの仕事の為に病棟に戻ると、外来を終えてオペの準備をしている片倉が誰かと電話で揉めていた。あまり怒りを出さない片倉が険しい表情でいることが、まず珍しい。

 俺はハラハラしながら事態を見守る師長にちょいちょいと呼び出しされた。


「師長、午前中のお休みありがとうございました」

「実は片倉科長が腎臓内科の中田部長と揉めててね……午後のオペ四枠のうち二枠分くれないかって」


 つまり、二枠分の枠を使いオペをするほど部長側の腕が悪いということだ。片倉は自分で麻酔管理もするが、腎臓内科の中田先生は麻酔科に全て依頼する。しかも自分の腕が悪いのを聞かれたくないが為にわざわざ負担の大きい全身麻酔で行っている。


「だから、麻酔科がブッキングするから無理です。──じゃあその面倒なシャントは俺が引き受けますよ」

『いや……それは先生に申し訳ないですから当科で──』

「四時間もシャント再建にかかるなんて、患者に褥瘡つくるようなもんですよ。分かりました、明日のオペは麻酔科の近藤先生と相談するので、今日のシャントはこっちで全部貰います。指示だけお願いします」


 イライラした様子でPHSを切った片倉は俺の顔を見た瞬間、怒りをどこかに置いてきた。


「矢木、おはよう。母さんは無事に帰ったのか?」

「おはようございます。はい……昨夜はご迷惑をおかけしました。母は妹夫婦と同居しているので、何かあれば連絡来ます」

「そうか。いつでも相談しろよ。お前の母さんなら俺がさくっとシャント再建してやるからな」


 心の中で頼もうとしていたことを先に言われてしまい、俺はどきりとした。

 片倉に母さんを救ってくれと懇願したいのに、他科依頼もさせてくれない、おまけに中田部長は胸部血管外科宛に依頼もしてくれなかった。

 つまり、患者側で勝手に片倉を頼ったとしても、退院したあとはまた腎臓内科のフォローに戻る。そこで肩身の狭い思いをするのは俺じゃない、母さんだ。

 出来るだけ穏便に、どうにか片倉にシャント再建を頼めないものだろうか。


「矢木、これ確認済みだからあと頼むな。オペ室にいるから何かあったらPHS鳴らして」

「分かりました」


 片倉は忙しい姿を他人に見せないし言わない。俺に指示を置いた後はすぐにオペ室の麻酔科に連絡をしていた。話をしながら階段を降りていく声が次第に遠くなっていく。


「……全く、科長があんなに働くから研修医の竹山が育たないのよ」


 珍しく師長も文句を言っていた。今回の指示も研修医が対応すべきなのに、片倉は忙しい外来をさくさくと終え、休憩も殆ど取らずに働いていた。

 あいつの仕事に対する熱意は尊敬しかない。俺に出来る事は片倉の仕事が無駄なくスムーズに進むようにするサポートだ。


「矢木くんごめんなさいね。いつも忙しい日に出勤で……」

「仕方ないですよ、今は妊婦さんも多いですし、それに小さい子どもの体調不良はどうしようもないですから」


 坂野師長にはそう言いつつも、出勤して早々リーダー机に並ぶ指示の山にため息と共に頭を抱えた。俺と同じようにリーダー業務が出来るスタッフを育てたくても、ママさんナースが急遽休むことが多く、はっきり言うと人員不足で教える段階に人を裂けない。

 他の病棟から勤務移動できたリーダークラスの子は数ヶ月もしないうちにドロップアウトしてしまった。確かに忙しいには忙しい病棟だけど、なかなか新しいスタッフも定着しなくて困る。






 午前中に実家に送った母さんの容体も気になっていたが、とにかく携帯を触る時間なんてないし、休憩時間すらままならない。

 3時くらいになり、空腹で眩暈を覚えてから俺は少しだけ、と病棟の突き当たりにある仮眠室に転がった。ある程度指示受けも終わったし、後はゆっくりで大丈夫なはず。

 ソファーベッドに背中を預けているとポケットに入れていた携帯電話がしつこく鳴った。


「はい……」

『兄貴! 母さんが……!』







「血圧60台。意識3桁──データは案の定バラバラか」


 たった一日で母さんは急変した。この何十年の透析で、二日空いただけでこんなに悪化することは一度も無かったのに。

 即入した母のデータをみた片倉は眉を顰めた。


「──中田先生、片倉です。相談を受けた矢木さんが先ほど急変で運ばれてきました。はい──リスクはかなり高いですが、シャント再建してすぐに治療をすべきかと……」


 俺は反応の無い母さんをみて死を間近に感じた。何一つ親孝行もしていないのに、ひとの死は突然やってくる。嘘を吐いたまま母さんに逝かれたくはない。


「──ああ、胸外の片倉です。真弥にシャント再建の器械出しを頼みたい。30分後に。外回りがつけないならそれでもいい。こっちから一人連れていくんで。すいません、四番空いてるはずだからそこ開けておいてください」


 連続電話を終えた片倉は美香と俺をIC室に呼び出し、今の母さんの状態を細かく教えてくれた。単純に毒素が体内に溜まっているから透析でまた洗い流すしかないということだ。本人が腹膜透析や代替えの臨時カテーテル案を拒否していたから腎内の先生が煙たがっていただけで、すぐに治療はできるものだった。


「俺が矢木の母さんのオペを引き受けることにした。幸い、上腕の動脈から古いシャントが吸収されるように上手く繋げそうだ」

「こ、こんなに状態悪いのにオペするのか……?」

「逆に血圧が下がり切ってる分出血量は少ない。血栓のリスクはあるが、そこはいつオペしても変わらない。あとは麻酔も局所にしてかなりライトに行う。オペ室はプロの器械出しを配置してもらったし、あとは──」


 いつになく真剣な顔で片倉は俺の眸を射抜いた。


「直己、お前が自分の母さんを救うんだ。一緒にオペ室に行くぞ」


 同意書のサインを書く手がピタリと止まった。今、こいつ俺のこと名前で……


「緊急オペはすぐに人を招集出来ない。だが、直己の母さんは今すぐでも治療を始めたいところだ。動ける人間でうまくやるしかないだろう」

「片倉……」


 腎臓内科の先生は急がないと言っていたが、このデータを見ると確かに電解質も狂いまくっているし、心臓への負担も大きいだろう。


「真弥を出して貰った。俺が執刀するんだ、間違えることはない。だから、お前は自分の親を救う為に器械出しをするんだ」

「え……えええ!?」


 とんでもないことを言った。オペ室の看護師というものは、見ず知らずの看護師で「はいそうですか」と即時現場のスタッフとチェンジして対応出来る場所ではない。

 それに、俺だってオペ室は前室で患者の申し送りをやりとりするしか足を踏み入れたことはない。倒れそうになった時に男子休憩室に案内されたけど、はっきり言ってそれくらいだ。


「き、器械出しなんて無理だろ!? 俺、病棟しか経験ないのに!」

「……悪いがそれしか方法はない。オペ室も人が足りなくて真弥しか貰えなかった。シャントは鉤を引いてもらわねぇと出来ない。真弥には外回りと記録で対応してもらうから」


 簡単に言うなと文句がでかかったが、美香は片倉の提案によろしくお願いしますと頭を下げていた。もう俺達の中で主治医はアテにならないので、今母さんの命を救えるのは片倉しかいないのだ。


「30分後に入室だ。まあ、多少早く行ってもどうせ俺と直己しか介入しないから早くてもいい」

「わ、分かりました……師長に──」

「もう伝えてあるから大丈夫だ。お前をオペ室に借りることもな」


 俺が無理ですと言ったらどうするつもりだったのか。でも、無理です、と言ったら片倉はシャント再建に手を貸してくれないだろう。そうしたら、母さんは治療を諦めていたのでそのまま天命に沿うだろう。


「兄貴……」


 俺が無理だというのを顔に出していたのだろう。美香が泣きそうな顔で俺に頼むと告げている。

 

「……大丈夫だよ、美香。片倉先生は最高の外科医だから」

「うん。頼りにしてる。お願い……ママを救って」



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