晴天の霹靂
ジゼルは自分の人生に満足していた。貧乏貴族の生まれで、学歴は中卒。縁談に恵まれなかったとしても、満員電車はなくサービス残業もなく納期に追われることはない。当然、理不尽に叱られることも八つ当たりされることも、上司の機嫌を伺うこともないので、毎日がストレスフリーだ。
おまけに、自然豊かな土地で、人の良い領民たちに囲まれて衣食住の心配がなくのびのびと生活できている。
(スマホや車はなくて、インフラは全然整っていないけど、むしろそれがいいというか)
母は幼い頃に病気で亡くなってしまったが、継母は前妻の子のジゼルにも優しく育ててくれた。しかもジゼルが8歳の時、義妹が、11歳の時義弟が生まれたので、ジゼルをお姉ちゃんにしてくれた。
前世では一人っ子の上、両親の仲は悪かった。おまけに高校を卒業後すぐにふたりは離婚してしまい、その後彼らには別々の家庭ができたので、ずっとひとりぼっちだった。
そんな寂しかった前世のことを思うと、今はとても幸せだ。お金はなくても、食べるものはある。生き急ぐこともなくのんびりとしたスローライフを送れている。
「うーん、美味しそうな色。いい感じじゃーん」
ジゼルは赤く実った苺を人差し指でちょんと突いてにんまりと笑った。四月といえば、玉ねぎ、 アスパラガス、ほうれん草、いちごの収穫時期だ。先ほど、トマト、なす、とうもろこし、枝豆の作付けを終えたばかりの口は甘酸っぱくみずみずしい苺を求めている。
(一個だけいただこう)
ジゼルは赤い実をひとつ収穫して、魔法で水を出すと苺を洗ってヘタを取る。
「いただきまーす。ん、あまーい」
果肉から溢れ出す果汁は甘酸っぱくて乾いた喉を潤した。いくつか食べたいところが、義妹弟たちにも持っていってやらないときっと怒るだろう。だが、これは収穫者の特権だ。
(味見味見……)
結局10個ほど食べたあと、ジゼルは苺を収穫し、昼食に使うキャベツを物色した。
(今日のお昼はお好み焼きでもしようかな)
うろ覚えの前世の記憶のおかげで、料理スキルは高いと自負している。料理が特段好きだった記憶はないが生きるために必要な知識だったので覚えたようだ。ただし、この世界におたふくソースや中濃ソースという便利なものはないので、野菜の屑を煮詰めて出汁を取り、トマトを潰したもので作ったジゼル特製のなんちゃってソース。それにこれまた自家製のマヨネーズをかけて食べる。
(それにあの子達、お好み焼きだと食いつきがいいしね)
今頃、貴族子息とはなんたるや、とか、貴族令嬢とは云々カンヌンと言われながら勉強をしているのだろう。12歳までに家庭教師をつけて勉強し、その後貴族なら、13歳から15歳まで中等学院へ16歳から18歳まで高等学院に進学する。
義妹のミーナは今年11歳。来年にはこの地を離れてしまうので、できる限り彼女が喜ぶことをしてやりたい。
「ここが御領主様のお屋敷です」
「そうか。親切に教えてくれたことに礼をいう。助かった」
「い、いやぁ、滅相もない」
「これで好きなものを食べてくれ」
「「「お、おおおお!!」」」
ジゼルがカゴいっぱいにキャベツや玉ねぎを収穫してうんせうんせと運んでいると屋敷の入り口から賑やかな声がした。そして偉そうな口調の人がいる。
(ーーお父様にお客様かしら)
ジゼルは麦わら帽をかぶって、首にタオルを巻いたままひょこっと顔を出した。
そこに立っていたのは、銀髪の麗人。貴族然とした仕立てのいい服に何故かローブを羽織っている。
淡い紫色の瞳と目が合い、彼は驚いたように目を見開いた。
「あ! ジゼル様いいところに」
「こんにちは。どうされました?」
「あ、こちらのお方がご領主様に御用があるとのことで」
「わざわざ案内してくださったんですか?」
「あ、あぁ。それで、こういうのいただいちまって」
小さな布袋をぶら下げてオドオドしている領民の男性たちにジゼルはにこりと微笑む。
「そのまま皆さんで分けてください。奥様のプレゼントを買うのもよし。秘密にしてみんなで飲むのもよし。わたしは何も見ていませんし知りません」
「えへへ。いいのかな?」
「だったら、俺、母ちゃんに新しい服でも買ってやろう」
「あ、自分だけいい顔して」
「今日は肉でも買うか」
「お前もか! なぁ、いい酒飲みたくねえか?」
いかにもな貴人を案内した男たちはワイワイしながら去っていく。ジゼルは楽しげに去っていく背中を見送って、麗しげな銀髪麗人に頭を下げた。
「ご案内が遅れまして申し訳ございません。父に御用でしょうか」
「ああ。わたしはエリオット・アクスバン。アクスバン侯爵家の当主だ」
貴族社会に明るくないジゼルでもその名前は知っている。アクスバン侯爵家はこの国最高峰の魔法師家系で、特にエリオット・アクスバンは若干15歳で魔法省に入庁、19歳という若さで魔法省の大臣に抜擢されたと聞いている。そして、その手腕は目的のためなら容赦無く、非道で冷徹だとも知られていた。
(……そんな人がどうして、うちに)
「ホースター子爵はご在宅か」
「あ、はい! すみません。ご案内します」
ジゼルは慌てて玄関に向かう。ちょうど侍女のネリーがいたのでアクスバン侯爵のご案内と父への連絡をお願いした。
「では、わたしはこれで」
ジゼルは一礼して玄関から出ていこうとする。ーーだが。
「待ってくれ。あなたにも用がある」
「わ、わたしですか?」
腕を掴まれて引き止められてしまう。その際、ころんと玉ねぎがかごから落ちてしまった。
「わ! あ!」
かがんだ拍子にまた玉ねぎが落ちる。苺はなんとか死守したが、侯爵家当主の足元に玉ねぎを転がすという大失態に大いに焦った。
(ーーヒエェ、最悪……! これで無礼者!って切られたらどうするの……!)
上位貴族とほとんど関わりのない人生だったので、こういう時のマナーがわからない。大慌てで玉ねぎを拾っていると、麦わら帽子の鍔がなにかに当たった。
「……!」
「も、申し訳ございませぇん!!」
なんとエリオットが自らしゃがんで玉ねぎを拾ってくれていたらしい。なのに、前のめりになったジゼルの麦わら帽子がエリオットの額に直撃した。
「すみません! わざとじゃないんです! 本当にすみません!!」
ジゼルは麦わら帽子を外して平身低頭する。エリオットはあまり感情の色を見せない目で「気にするな」と言った。
「あ、アクスバン侯爵様! 娘がなにか失礼を……?!」
「貴殿がホースター子爵か?」
「は、はい。デイル・ホースターでございます」
父と家令のヨハンがエリオットに謝り倒すジゼルを見て顔色を青ざめる。ジゼルはエリオットが父たちに向き合った隙に、直立不動のまま壁伝いに玄関の端に寄り、そっと、そぉっと玄関を出て裏口に回ろうとした。ーーが。
「突然訪ねて申し訳なかった。実はジゼル嬢との縁談を申し込みにきた」
「「はっ?!」」
「へ?」
「え?」
「とういうわけだ、ジゼル嬢。カゴを置いてあなたも一緒に来てほしい」
温度のない淡紫の瞳がジゼルに命令する。ジゼルは当然「NO」とは言えず、震える声で「承知しました」と頭を下げた。




