5.気合があれば呪いも防げる
「あの……」
ジェルドの声に振り向いたソラの視線は、深海の底のように暗く、冷たかった。
「お前は、聖女?」
「人違いです」
「そ、そうか。……あまりにも聖女に似ていたので」
「……殿下は、聖女に似ている女性がいれば、見境なく監禁するということでしょうか?」
「それは……つい。聖女は女神と同等だからもしかして俺が死ぬ前に目の前に現れたのかと思って」
「意味が不明です」
「本当の本当に、お前は本当に聖女ではないんだな?」
「しつこいです違います」
「……屋敷中破壊されて、目が覚めた。もう、しない。……悪かった」
最後の方は、耳をすませないとやっとの消え入りそうな声だった。ジェルドはがっくりとうなだれている。かなり堪えた様子だ。
確かに非常に腹立たしいが……ソラはこうして命も助かったし……いざとなったら逃げだせる力はあるからまあいいか、とものすごく楽観的に考えた。彼はずっと一人でいたから、精神状態が良くないので、幻覚や幻聴を見ちゃってるタイプなのかもしれない。
そこで、もう一つこの屋敷に来る理由になった命令を思い出した。そして、ジェルドの部屋に置かれている物や、ここまでの会話から、ひらめいた。
「では……少しでも悪かったと思うなら、私の願いを聞いてもらえませんか」
「な、に」
「今から4か月ほど後、聖女様が王都へお帰りになられるそうです。そこで帰還記念式典が開かれるそうなんですが。殿下、出席しましょう。」
「無理」
「本物の聖女に会えますよ」
「う……」
(やはり……殿下は『聖女』が弱点の様だ)
「『女神』に会いたいんでしょう? 生で見れるチャンスなんてめったにありませんよ」
「……でも、ずっと引きこもりな俺には聖女と顔を会わせるなんて到底ムリ……太陽に焼かれるようなものだ」
「腐っても王族なんですから、そこは威厳出してがんばってください!」
「不敬だな。出禁にするぞ」
「すみませんつい本音を!」
さらに言い返そうとして、ジェルドはふと我に返った。こんなに人としゃべったのはいつぶりだろう。しかも、自分に忖度することなく、軽口を言うような相手と。
「俺の呪いは、周りの人間にも被害を及ぼす可能性がある。そんな大勢の人間が集まる場所なんて、近寄れるわけないだろ」
「え? 私はこの通り、何の影響も受けず、ピンピンしておりますが」
「……たしかに、それはそうだけども。お前が普通の人間じゃない可能性もあるから」
やはり、目の前の人間に見える生き物は、野生動物かなんかじゃないのか、とジェルドは思い直していた。
「はっ! もしや、気合で呪いとやらを防げるのかもしれませんね」
「……そんなこと、ある? これで人前に出て、やっぱり呪いの効果ありましたでは大変なことになるけど?」
「大丈夫です! 殿下が呪いを弾き飛ばせるように、このソラ・ユーミアが全力でサポート致しますので、ご安心を!」
目の前の能天気な女騎士にそれ以上何も反論する気も起きず、ジェルドはゆるゆると自室に戻っていった。
そして次の日の昼過ぎ。いつもよりかなり早い時間に訪れたソラによって、ジェルドは屋敷の外に半ば強引に連れ出されてきた。気合十分、といった様子のソラの横で、ジェルドはかなり困惑している。
「……で? なんで鍛錬?」
「健康第一です。4か月後に備えて、呪いに打ち勝つ肉体作りをしてください」
「ふ ざ け る な」
屋敷に戻ろうとするジェルドの肩を、ソラががっしりと掴む。
「私は至って真面目です! 聖女様と並び立つ自信はおありですか!?」
「べ、別にそんなもの……」
「わかりました! では、付いてきてください」
ジェルドの心の揺らぎを察知したソラによって、問答無用の訓練が開始された。
屋敷の周りの森を走り込み、剣の手合わせをするころには、ジェルドはぐったりしていた。ごろんと地面に寝転び、それきり動かなくなる。
「はぁはぁ……おい、暑い、疲れた、体が動かない。もう無理」
なんで断り切れずに、こんなことしてしまったのか……とジェルドはひたすら後悔していた。傍らに立つ女騎士は、至って平静で涼しい顔をしているが。
「初日ですから、このくらいにしておきますか。ただの筋肉痛です。栄養を採って休めば直ります」
「もう何もする気力が湧かない。戻って寝る」
「夕食は? 湯あみは? まさか、自分で、全てなさるのですか?」
「ここに住んでるのは俺一人だ。当然だろ」
「ずっと、お一人で?」
「数年前までは屋敷にも数人の使用人がいたが……全員解雇して今の状態だ。まあ、最低限、魔法でどうとでもなるからな」
「そうですか。魔法はそのような便利な使い方もできるのですね」
ソラは使用人を解雇するに至った経緯を追及することはなかった。
「でも、今日は無理。何にもする気起きないから、このまま着替えて休む」
「わかりました、明日はもう少し簡単なメニューにしましょう…… この後、夜はお屋敷の前に立とうと思っていましたので、よろしければ湯の準備などさせていただきましょうか?」
たしか、この屋敷には浴槽があった。王族の屋敷だけあって、どういう仕組みかこんな外れにある屋敷にも水道も通っている様子だし、使えなくても裏には綺麗な小川があった。少し準備してから普段の仕事に移ればいいだろう。
ソラが頭の中であれこれ算段を立てていると、ジェルドが驚いたように顔を上げた。
「は? これから夜も立つ? 前から思ってたけど、その警護って意味あるの?」
「何が起こるかわかりませんので。それに、私の現在唯一の仕事ですので」
「……お前はさ、最近ずっと夜に屋敷の前に立ってるけど、それ以外の時間はなにしてるの?」
「そう、ですね」
「警護が終われば数時間休息します。起きて警護が始まるまでは、走り込んだり、筋トレしたり、剣の稽古をしたり……」
「……あ、そ。つまり、俺に今日やらせてることと何にも変わりないってことか」
そこで、ジェルドはしばらく逡巡した後、口を開いた。
「……じゃあ、とりあえずここに住めば?」
「え?」
「毎回ここに来るのに往復2時間以上かかるのだって無駄だし、俺一人に鍛錬してろって言われても、やる気全くないからな」
「移動時間も訓練としては最適なのですが」
「その間、俺に何かあるかもしれないけど、見てなくていいの?」
(たしかに……)
納得しかけたソラは思い留まった。
(いやいやいや、相手は監禁してくるような人間だからな……住み込みまではちょっとどうなんだろう)
「いいのか? 俺が拒否しちゃえば、お前なんて用済みだ。騎士への道も絶たれるんだったよなぁ?」
ずいっと顔を近寄せ、勝ち誇ったようなねっとりとした笑顔を見せるジェルド。
「う……」
いつの間にか、形勢が逆転していた。