2.受けるか、辞めるか、なんなら切り捨てられるか
「ソラ・ユーミア! ずいぶん軽率な真似をしてくれたな! お前は即刻騎士団クビだ!!!」
窓ガラスが揺れる勢いで、怒号が部屋中に響き渡る。
「申し訳ありませんでした!」
深く頭を下げ、負けじと大声で謝罪するのは、女騎士、ソラ・ユーミア。
時は、ソラが森の奥の屋敷に通い出すよりも少し遡る。彼女は騎士の職を失う危機に直面していた。
「ま……まあ。トルバルドくん、落ち着いてください」
トルバルドと呼ばれた、強面の騎士団長の向かい側に座るちょっと挙動が不審な男性は、城の魔法使いをまとめ上げる宮廷魔術官長、メイヴェン。通称「大魔官」メイヴェン……は、銀色に輝く腰まで長い髪と、魔力の高さを表す紫色の瞳がひときわ目立っている。
「これが落ち着いていられるか、……というかなぜこの場にメイヴェン殿たちが? 騎士団の内部事情に口出しをしてもらいたくないものだな」
「そ、そうは言っても、被害者がアルナス家、有力な神官派閥の貴族だから、事態は思ったより深刻なんですよ、ね」
「申し開きもございません!」
ソラは勢いよく頭を下げた。
ほんの数日前のこと。ソラは夜会の警備で訪れていた屋敷で、女癖が悪いと有名な貴族に無理やり押し倒され、乱暴されそうになった。もちろん、抵抗した。抵抗といっても、それなりに手加減はしたのだが、顔面に一発入れたら思いのほかヒットし、数メートル吹っ飛ばしてしまったのがいけなかった。歯が何本か折れ、顔面がぼこぼこに腫れたその男は、激怒した。
今となってはもっとうまい方法でかわすことができたのではないかとも思うが、今さら何を考えても後の祭りだ。
こうして大事になってしまい、上司である騎士団長に王城の一室に呼び出される状況になってしまった。ソラを断罪するこの場には、騎士団と宮廷魔術官でも地位の高い者が数名集っている。
「怪我をされたアルナスの御子息と、大神官様には騎士団長である俺が直々に話をつけに行ってきたので、この話はすでに済んでいることなんです。こいつを、騎士団から追放するか、切り殺すかどちらかで手打ちをしてください、と!」
「そ、それは…ソラ・ユーミアくん……かわいそうですねぇ」
「なにが可哀想なものか。ソラ! 俺にこの場で殺されたくなかったら、今すぐ荷物をまとめて騎士団から立ち去ることだな!!」
「ち、ちょっと、トルバルドくん、王宮で物騒なことは…しないでください、よ。ふふっ」
メイヴェンの軽口(?)にも全く反応することなく、トルバルドはソラを見据えている。その暗い灰色の瞳には光がなく、ソラへの怒りを通り越して、殺意すらひしひしと感じ取れる。
こうなってしまっては自分がいくら弁明しても、どうしようもないだろう。そう考えたソラは、今後の自分の身の振り方について思考を巡らせていた。
このまま立ち去れば、命だけは助けてもらえるということなのだから、実質選択肢はないに等しい。それで手を打ってもらえるなら、ありがたいのかもしれない。
でも……努力して、なんとか現在の騎士団の地位まで上り詰めた。このままいけば自分が目指す夢にも手が届くかも、と考えていた。
もう、それは潰えてしまったんだ——
「し、失礼します!!」
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「え……? お前達!?」
そこには、騎士団の同僚たちが立っていた。思わずソラの口から驚きの声が上がってしまう。
「……何をしに来た」
一瞬驚いた顔をした騎士団長トルバルドだが、地を這うような低い声で問いただした。
「ひっ……恐れながら、ソラ・ユーミアの処遇について意見させていただきたく、参りました!」
「直ちに帰れ」
「まあまあ、トルバルトくん、無駄に殺気を放つと…みんな泣いちゃいますよ」
「余計なことを言うなら、メイヴェン殿とて容赦しない」
「うわぁ、トルバルドくんってほんとに…血の気が多いですよねぇ。部下のみんな…も、普段の君の言動を見習って、こういう事件を起こしちゃうんじゃ…ないですかぁ? ふふっ」
「……」
今のトルバルドに気安く会話できるのはメイヴェンだけだ……でも、頼むから口を閉じてくれ……ほんと、それ以上はヤバいから……その場の皆の気持ちは一つだった。
「あの! 我々で、いろいろ噂を聞いて回ったんです」
睨み合う(?)二人に、騎士団の一人が勇気をもって切り出す。
「ダイス・アルナス。ソラに乱暴しようとして返り討ちに会った貴族ですが、婦女暴行未遂、隣国との怪しい交流、表沙汰にできないような事件の噂が多数あるようです」
「今回の件も、ソラは自分の身を守ろうとしただけで、悪いのはそいつなんです! 目撃者だってたくさんいます」
「まあ、正当防衛の度は少々越してはいますが……」
「……」
口々に加勢する騎士団の男たちに向かって、メイヴェンが口を開いた。
「で、でも、その情報を表に出したとしたら、騎士団と神官派の貴族間で…大きな争いが起こると思うけど、ふふふ……いいんですか?」
「……その、心づもりです!」
騎士団の皆が一斉にソラに視線を向ける。
(みんな……私のために……)
「待ちなさい」
そこに現れたのは……なんと、国王、ローダン・ワウテリアスだった。
皆、慌てて頭を下げる。まさか、こんな一介の騎士のためにわざわざ出向いてくるとは思いも寄らなかったため、ソラと騎士団の皆はおろおろしている。さすがの騎士団長トルバルドも、礼をしたまま固まっているようだ。
「ここまでの話、聞かせてもらっていた。今の話、それが本当だとして、策も講じず告発しても、騎士団の戯言と一蹴されて終わりだろうな」
その時、薄ら笑いを浮かべた大魔官メイヴェンが口を開いた。
「そ、それでは陛下……ここにいる騎士団達に、アルナス家の調査を…任せるというのはどうでしょうか?」
メイヴェンの提案にその場の皆が驚いた。
「メイヴェン殿、何を言って……!」
「それが、よいだろう」
トルバルドの言葉は国王によって遮られた。
「陛下…!!」
「チャンスをいただき、ありがとうございます!」
騎士団の皆は、敬礼の姿勢をとった。ソラも、慌ててそれに続く。
まさか……こんな機会を与えてもらえるとは。しかも、国王様直々に……
トルバルドはというと、メイヴェンに勝ち誇ったような笑みを浮かべられ、この場でなければ切り殺してもおかしくないほどの苛立ちを感じているだろう。……というか、顔にしっかり出ている。
「……調査は公にせず我々騎士団が秘密裏に行うことにつきましては、了承いたしました……ただ、ソラ・ユーミアがなんのお咎めもなしに騎士団に残っているのを知ったら、あちら側も当然抗議してくると思われます」
トルバルドの言葉に、メイヴェンは顎に手を当て、何やら考えている様子を見せる。
「あちらが仕掛けてきたとしても、ソラが問題を起こしてしまったことは事実。辞めさせるのが一番いいでしょう。それか、ずっと詰所で雑用させて、外に出さないか」
(団長はそこまでして私を辞めさせたいのか……)
「……」
そこで、メイヴェンがふと視線を上げた。何かを閃いた顔で。
「陛下、こ、これは一つの提案ですが……第二王子殿下……ジェルド様の護衛、このソラ・ユーミアくんに任せると言うのはどうでしょう?」
「!!」
その場にいた皆は、メイヴェンの口から出た人物の名前に驚いた。
「それ……は」
「ソラ・ユーミアの騎士団残留に対して…条件を出す。そ、それがあまりにも簡単に達成できるものでは、あちらが納得しないが…ジェルド様の護衛と言えば、きっと文句も出ないでしょう……ふふっ」
「メイヴェン殿……さすがにそれは荷が重すぎるでしょう? ソラには到底無理です」
トルバルドも戸惑いを隠しきれない。
「いやいや、『ただの護衛』であれば、トルバルドくんにだって可能かもしれないでしょう……ジェルド様を屋敷から連れ出し、数か月後の聖女様帰還の正典に参加してもらうように働きかける、まで条件をつければ、成功しても…失敗しても、損のない話。完璧ですね。ふふふふ!」
「……」
ソラは、会話の人物を記憶からたぐりよせていた。
『ジェルド第二王子』はその身に不治の呪いを受けていて、近寄った者にも呪いを与え、命にまで影響を及ぼす。真実は定かではないが、実の母親である王妃や使用人を殺めたとか。最近は人が近寄れない屋敷に引きこもっていて、生死もはっきりしない。
噂でしか聞いたことがないような存在だったのだが、大魔官様や団長の話ぶりからすると、実在する人物なのだろう。ソラはどこか他人事のように話を聞いていた。
そこで、王は静かに頷いた。
「よいだろう。ソラ・ユーミア……ジェルドの護衛……やってくれるな」
「!! はっ! 承知いたしました!」
王命とあらば、ソラに断る術はなかった。
こうして大魔官メイヴェンの案が採用され、ほとんど不可能に近い条件付きで、ソラが騎士団に残るチャンスが与えられた。
(やられたな……陛下やメイヴェン殿は……最初からこれが目的か)
この場に当事者の貴族も大神官側の人間がいないことも……国王が初めから話を聞いていた様子なのも、このシナリオがあったから——。
騎士団長トルバルドは、1人小さく舌打ちをした。