1.ここが新しい仕事場
木々が鬱蒼と茂り、ただでさえ暗い空を覆い隠すかのようだった。目的の場所へ向かい出発したのは夕方だったが、道に迷ったせいですっかり陽が沈んでしまった。
(このままでは、たどり着くどころか、元の場所へ帰ることすらできないかもしれないな)
その時――突然深い森が開けた。
森の奥にあってそこだけ異質な、大きくて立派な屋敷が立っていた。
周囲に灯りがないため全貌は分かりづらい。窓から光が漏れ出てくるといった様子もないので、本当に人が住んでいるかも怪しい。
(ここが、私の新しい仕事場か)
壊れかけた門をくぐり、屋敷に近づいて正面扉の前に立つのは、1人の女騎士。恐る恐るといった様子で、ノックをする。
コン、コン。
……
反応がない……まだ、就寝するには早い時間だし、屋敷の主が出かけている可能性もある。だが、もしかしたら気付いていないかもしれない。意を決した彼女は、大きく息を吸い、腹に力を込めた。
「初めまして! 私、ソラ・ユーミアと申します。本日より、ジェルド・ワウテリアス殿下のお屋敷の、警護をさせていただきます!!」
し……ん……
ソラの声は虚しく闇に溶けて消えた。
しかし、ソラは特に気にする様子もなく、屋敷の近くに陣取った。ここまで来たら、自分に与えられた仕事を全うするのみ。結局ソラは一晩中、その場で立ち続けた。
それから毎日、ソラは屋敷に通い、決まった時間、決まった場所に立ち続けた。その間も、屋敷に変化は全くなかった。
5日目の夜のことだった。今日も変わらず、ソラは声を張り上げて一応の挨拶をする。
その時、カタ……と扉の向こうから小さな音がした。
屋敷に通ってきて、始めて人の気配を感じた。
「こんばんは」
……
ソラの挨拶に、返事はない。それでも、扉越しに誰かいるのが感じ取れる。
しばらくの間が空いた後、扉の向こうからぼそぼそと声が聞こえた。
「……あんた、何?」
若い男性の声だ。ソラはこの屋敷の主だと理解した。
「私、ソラ・ユーミアと申します。こちらのお屋敷の前で、警護をさせていただいております!!」
会話してくれた喜びに、ソラが大声で返事をすると、扉の向こうからはため息が聞こえた。
「……それは、もういい。で、何でこの屋敷を警護なんかしてるんだって聞いてるの」
「はい! この屋敷を守るよう、仰せつかりました!」
「……で、ここには人が入り込めないように結解を張っているはずだけど?」
「結界、ですか……」
どうりで、屋敷にはなかなかたどり着きにくいと思ったが、そういうことだったのか、とソラは納得した。
「はい! 幻術の類かと思い、目をつぶって、勘を研ぎ澄ましてたどり着きました!」
野生動物かよ、などと聞こえてきたが、特に返事を求められていないようだったので、ソラは黙って会話の続きを待った。
「とにかく、ここに警護は必要ない……帰れ」
言うなり、声の主が扉の前から立ち去る気配がした。その日はソラがそれ以上声を掛けても、返事はなかった。
それでも、屋敷に人が住んでいることが確認できたので、ソラは少しだけモチベーションが上がった。それからも彼女は必ず決まった時間に訪れ、特に警備の必要のない屋敷の前に立ち続けた。
更に一週間ほど過ぎたその日———。
先に音を上げたのは、屋敷の主人だった。今日も扉の向こうに気配がする、と思ったら、相手から話しかけてきたのだ。
「……いつまでやる気? あんたがいると気が散ってしょうがないんだけど……」
久しぶりに聞く扉越しのその声は、相変わらず不機嫌を隠せないようだった。
「はっ! 申し訳ありません! 今後、一層気配を消して任務に当たらせていただきます!」
「……そういうこと……言ってんじゃない」
「では、あちらの門の前で警備させていただくのはどうでしょう? 遠いですしお邪魔にならないかと」
「……あのさぁ」
その時、扉がほんの数センチほど開かれた。驚いたソラが目を見張ると、隙間から覗いた淀んだ瞳と目が合った。
「……なんで、顔隠してんの?」
目の前の相手は、ソラがローブを深くかぶり、口元も覆っていることが気になったようだ。
「個人的な事情でして、お話するほどのことではないかと思われます」
「そんな怪しいやつが警備など、笑わせるな」「すみません! 女として侮られることが多い為、顔を隠しておりました!」
なんでその話題に食いついてきたのか、ソラにはさっぱり分からなかったが、目の前の相手は先を待っている様子だ。会話を繋げるチャンスは今だ、と思った。
ソラは、ここに来るまでの経緯をかいつまんで説明した。
「……ふーん、あんたは、取り返しのつかない失態を犯して、ここに来させられたって訳だ」
「取り返せると思って、ここに来ているのですが……」
ソラのあまり上手でない説明でも、扉越しに会話している屋敷の主人は、全てを理解したようだった。
「でもさ、無駄だと思うよ。……もう、あんたと話す気もないから」
バタン、と閉まる扉。それきり、扉の向こうの気配は消え、会話が続くことはなかった。