73.魔女の凱旋
その年の社交シーズンは、五年前に即位した若きグレアム陛下の主催舞踏会で幕を開けた。
前王ジョルジュ陛下の落胤であるアキト第二王子の起こした大事件の顛末は、国内はおろか他国まで知れ渡り、一時期この国は未曾有の危機に陥った。
責任を取って王位を退いたジョルジュ王の後任として王位に就いたのは、当時のグレアム第一王子。彼は、父と弟の罪の責任を負い最悪の戴冠を迎えたのだった。
彼が王となって最初に行ったのは、聖女の母親であるラヴィニア・カーヴァンクルへの正式な謝罪である。ローザ・メイヤーの起こした事件でラヴィニアが負った罪は冤罪だったことと、アキトが首謀者だったことも同時に発表した。
その後もグレアム陛下はひたすら誠実に王としてあり続け、周囲が心配になるぐらい忙しく働き続けた。その結果時間は掛かったものの、少しずつ、世界の風向きが変わってきている。
そして今年はなんと、長年対外的には姿を現すことのなかった聖女様の社交界デビューの年ということもあり、王都は例年よりも盛り上がっていた。
*
「はぁ……盛り上がりませんわ」
「ええ、本当に」
「お二人もですの? 実はわたくしも……」
しかし去年社交界デビューしてまだ婚約者の決まっていない、所謂『二年目の令嬢』であるキャスリーンとドロテアとハンナにとっては、あまりいい状況ではなかった。
ただでさえ二年目ということで年頃の青年貴族達には敬遠されがちなのに、今年デビューの令嬢達は『聖女様と同じ年』というだけで注目が集まってしまうのだ。
何故、自分達は一年遅く生まれなかったのか。もしくは聖女が一年早く生まれてくれていたら、などと埒のないことを考えて燻ぶってしまう。
舞踏会は始まる前から談笑する着飾った人々で溢れていて、三人には居心地悪いことこの上ない。いっそダンスが始まってしまえば、紛れることも出来るのに。
会場の端で管を巻く三人は、少し離れたところで彼女達と同じ様に壁際でひっそりと佇む女性の存在に気付いた。
彼女は舞踏会に着てくるには珍しい黒のドレスを身に纏い装飾品は碧色の宝飾で纏められていて、結い上げた熟れた林檎のような赤髪にそれがよく似合っている。
神秘的な紫の瞳は物憂げに伏せられていて、唇を慰めるようにシャンパングラスを傾けていた。パートナーは傍におらず、どうやら一人らしい。
キャスリーン達よりは年上のようだが、それでもとても美しくどこか放っておけない危うさがある。田舎から出てきたばかりのオールドミス、といったところだろうか?
時折会場を不安げに見渡すところが、いかにも守ってあげたくなる風情がある。実際彼女をチラチラと見る男性も散見された。だが何故か彼らが声を掛けようとすると年配の紳士かご婦人がそれを止め、彼らはどこかへ連れて行かれてしまうのだ。
その所為もあって、赤髪の女性はずっと一人で壁の花を務めている。
「あの、こんばんは」
三人の中では一番お節介焼きのドロテアが、勇気を出して彼女に声を掛けた。女性は三人を見て驚いたように目を丸くしたが、すぐに優雅に微笑む。
「こんばんは」
「お一人ですか? どなたかお探しで……?」
「あー……夫……と待ち合わせしているんだけど、他の連中からは隠れていて……」
などと、明らかにおかしなこと言うので、三人は顔を見合わせた。可哀相な田舎の女かと思いきや、既婚者とは。
国王陛下主催の舞踏会なので、普段は滅多に領地から出て来ない貴族も出席しているのだろうが、こんな風に目立つ美貌の貴族夫人がいれば、目敏く耳聡い年頃のキャスリーン達の誰かが知っていそうなものなのに、三人とも知らない女性だった。
「おかしなことを仰いますのね、隠れなくちゃいけない立場なんですの?」
キャスリーンが怪訝な表情で問うと、女性は斜め上を見た。さては、嘘を吐こうとしている。
「陛下主催の舞踏会で隠れるなんて……失礼ですけれど少し怪しいですわ」
恋愛小説よりも推理小説のほうが好きなハンナが、ギロリと女性を睨みつけると、彼女は何故か微笑ましい、という表情でハンナを見つめ返してきた。
「あなた達は今年デビューのお嬢さん達?」
「……去年、デビューいたしましたわ」
言いにくいことを聞かれてキャスリーンが憮然と答えると、彼女は気に留めた様子もなく頷いた。
「そうなの。うちの娘は今年デビューなの、もし機会があったら仲良くしてやって」
けろりと言われて、ドロテアは驚いた。
自分達よりも一つ年下の娘がいるようには見えなかったからだ。それとも彼女は若返りの妙薬でも使っている魔女なのだろうか?
「あ、名乗るのが先よね、私はラ……」
「ラヴィ! ここにいたんだね。わぁ! 今夜もすごく素敵だ!」
女性が名乗ろうとした時、突然背の高い男性がやってきて熱烈に彼女を抱きしめた。
「……エイデン。あなたも素敵よ、やっぱり普段からもう少し身なりに気を配ったほうがいいわ」
男性の顔を見てもピンとこなかったが、話を聞いていてキャスリーンはハッとした。
王城に出仕するようになってから常に『天才』と称されている人物。長年勤め上げた前錬金術師団長から、今年半ば無理矢理その職を託されたという、現錬金術師団長の名が、エイデン、といった筈だ。
「今夜だけだよ。アウローラが全部手配してたんだ」
「そりゃそうよ、あなたが師団長になって初めての舞踏会だもの……あ、ちょっと待ってね、こちらのお嬢さん達と話しているところで……」
「ラヴィニア! こんな隅でなにをやっているのよ、一番前まで行くわよ」
「あああ、ローラに見つかっちゃった……」
今度は着飾った貴婦人がやってきて、こちらは三人とも知っている女性だったので慌てて居住まいを正す。
王都のファッションアイコン、流行は彼女が決める、社交界の華。アウローラ・ユディット公爵夫人だ。
「あら。ご機嫌よう、皆さま、いい夜ね。さ、行くわよラヴィ」
アウローラはにっこりと微笑んで三人に言うと、ラヴィニアと呼んだ赤髪の女性の腕を強引に引っ張る。
「あの、その、今夜は壁に張り付きたい気分で……」
「んんぅ、可愛いラヴィ。今夜だけはあなたの気分を優先するわけにはいきませんのよ。可愛いツバサの社交界デビューを見届けなくてなんとするの!」
「そうだけど、そうなると自動的にですね……」
壁から離れまいとするラヴィニアと、引き離そうとするアウローラ。
ちなみにエイデンと呼ばれた男性は、ラヴィニアが持っていたシャンパングラスを渡されてニコニコと楽しそうに笑っている。どちらかを止めてあげた方がいいのではないか。
キャスリーン達三人がなにがなんだか分からないまま固まっていると、更に参加者が増えた。こちらもさすがに三人とも知っている人だ。
「往生際が悪いぞ、ラヴィニア」
「あーあ、ほら、二人の所為でクラウドに見つかっちゃったじゃない!」
ラヴィニアは淑女にあるまじき様子で舌を出して、うんざりと気持ちを表現する。
「クラウドから隠れてたの?」
やってきたのは冷徹宰相と呼ばれている、クラウド・ウェルツィン伯爵だ。
そういえばドロテアは、宰相と公爵夫人が幼馴染だと聞いたことがあったと思い出す。
「おう。俺からだろうな。なにせこの後、魔法石研究の成果を労ってラヴィニアに陛下から勲章が授与されるんだよ。その後スピーチさせる予定だ」
「私の美声はアフターパーティで存分に聞かせてあげるから、ここではご遠慮させていただきたく……」
「身内の飲み会でお前の独演会開いてなにが面白いんだよ」
「ほら、面白がってる……!」
ラヴィニアは踵の高い靴でクラウドの足を踏んづけてやろうと奮闘するが、彼はサッと避けてしまう。
「あ、しまった」
「アホだ」
その所為でぐらりと傾いだラヴィニアの体を、危なげなく受け止めた腕。
「……ラヴィ。頼むから俺のいないところで無茶をしてくれるな」
背後から現れた金髪碧眼の男性にキャスリーン達三人は顔を真っ赤にした。
彼も有名人なので、王都中の女性で知らぬ者はいないだろう。
ギル・カーヴァンクル。騎士団第一隊の隊長で、同時に騎士団長でもある人物だ。
「ギル! 遅い! もう少しであなたの愛する妻は晒し者にされるところだったのよ……!」
「人聞き悪いな、コイツ」
ラヴィニアは途端頬を膨らませて、彼に抱き着いた。後ろでクラウドが舌打ちしている。
その行儀の悪さにも三人は驚いたが、それよりも注目すべき点があった気がする。
誰が、誰の妻だって!?
三人娘の注目が集まる中、危なげなくラヴィニアを抱き留めたギルは素直に謝っている。
「悪かった。警備の配置で少し相談されて……」
「ギルは第一隊なのに?」
エイデンが不思議そうに首を傾げると、ラヴィニアを宥めながらギルが頷く。
王城警備は、第二隊の仕事である。
「今夜の警備責任者は、同じ時期に三隊にいた後輩なんだ」
それを聞いて、そういえば、とアウローラが頬に手を当てた。
「まぁギル、いい加減そろそろ授爵の話を受けて差し上げたら? 陛下からのお誘いもずっと拒んでらして、兄君のカーヴァンクル侯爵が嘆いておられましたわよ」
現場主義のギルだが、そろそろ年齢的にも立場的にも爵位を受けて取って欲しい、というのが周囲の思惑だ。
しかし、ラヴィニアとしてはこれ以上ギルと過ごす時間を減らされるのも、ギルの夫人としての役割を周囲から望まれるのもうんざりだと表情を曇らせる。
「これ以上肩書きが増えても面倒だから、授爵は断って欲しい……」
「ラヴィがそういうなら」
「オイ、旦那の出世を阻むな悪妻」
すかざすクラウドの叱責が飛んでくる。エイデンはラヴィニアの飲み掛けのグラスを給仕に渡して、新しいものを皆に配るように頼んだ。
「ねぇ、それはアフターパーティで議論するとして、そろそろ前の方に行かない? ツバサの晴れ舞台見逃したくないよー」
ラヴィニアには手ずから、何故かオレンジジュースのグラスを渡している。
「それはそう」
途端、ラヴィニアはしゃっきりと立つ。ギルはまだ心配そうに彼女の背に手の平を当てていた。
「あら? あなたもこんなところにいていいの、宰相閣下」
アウローラが今更ながらクラウドに聞くと、彼はふふん、と笑う。
「舞踏会の仕切り程度、俺がいなくても回るように部下を育ててある」
「おお、さすがデキる宰相は違う」
ぱちぱちとエイデンは暢気に拍手した。現在の錬金術師団長が研究にしか興味がないので、師団長としての仕事は部下達が出来るようになっていくしかない、という育ち方をしている。
「アルフがツバサに付いてあげてるのよね? 魔術師団長が付き添いなら、心配いらないかしら」
「うん。もうアルフったら、すっかり師匠ヅラ。まーうちの子可愛いし才能あるし吸収早いしで教え甲斐あるもの。なにより可愛いし」
アウローラが確認するとラヴィニアがニヤニヤとしつつ頷く。発言内容が親馬鹿全開だ。
三人娘はそこでもまた目を丸くする。どうやらラヴィニアの娘の名はツバサといい、その子は魔術師団長のアルフレッド・ブライトンに師事しているようだ。これはとんでもないことだし、確か魔術師団長は聖女の魔術の師匠でもあった筈だ。
それって、つまり?
「剣の筋もいい。体術にも最近興味あるみたいだしな」
ギルが言うと、ラヴィニアはうんうんと頷く。
「私のことはギルが守ってくれるけど、あの子の側にいつもいてあげるわけにはいかないから……自分で自分の身を守れるようになるのは、必要なことよね」
「え、いいなぁ。ツバサ、絶対錬金術も才能あると思うんだけど、僕も教えてあげたい!」
「お待ちなさい。まず淑女教育が先じゃなくて? なにせ社交界デビューするんだし、私に任せてちょうだい」
「あれ、クラウドは参戦しないの?」
「不要だ。俺が宰相をやっている間は、なにがあってもツバサを政治利用なんてさせるつもりはないからな」
「初孫に対する祖父の目線かな?」
ラヴィニアが首を傾げるとクラウドが殴ろうと拳を握ったので、慌ててギルが妻を抱き寄せる。
まるで学生のようにじゃれていた五人は、だらだらと喋りながら壇上のほうへと向かいだす。
キャスリーンはそこでようやく、その疑問を口にすることが出来た。
「あ、あの、あなた一体何者なの……?」
錬金術師団長、公爵夫人、宰相、そして騎士団長に魔術師団長。彼らとこれだけ懇意にしている目の前の女性を、三人娘が知らない筈はないのに。
「別に何者でもないわ」
そこでラヴィニアは、とびきり魅力的に微笑む。
「ただの、聖女の母親よ」
キャスリーン、ドロテア、ハンナの三人はそれを聞いて震えあがった。
「……ねぇ、やっぱりスピーチやめない? 勲章だって、私一人の功績じゃないのにさぁ……今更私が出て行っても誰アイツってカンジだと思うんだけど」
「そういう奴等に顔を見せて、度肝抜いてやれって言ってるんだが。今やお前が魔法石研究の第一人者、その恩恵を受けているものはごまんといるんだぞ。堂々としてろ」
「クラウドは、陛下が正式に謝罪したっていうのに未だに頭の古いお歴々にラヴィが悪く思われたままなのが嫌なのよ」
「あら可愛い。ちょっと抱きしめてあげようか、クラウド」
「触るな人妻。お前の旦那の悋気が怖いんだよ」
「ねー僕もツバサのお披露目済んだら帰っていい?」
「いいわけあるか、馬鹿。国王陛下主催だぞ、錬金術師団長がいなくてどうする」
「もー馬鹿って言ったほうが馬鹿なのよ、クラウド……あ、あれだ、いっそ私が悪阻で倒れたことにしよう!」
「……ちょっと待て。聞いてないぞ。ちょ、おま、お前、さっきシャンパン飲んでなかったか……!?」
「ガス入りのリンゴジュースですけどぉ」
「ねぇねぇ、それって僕が名付け親になっていい?」
「あ? 適任は宰相であり幼馴染の俺だろ。箔もつくぞ」
「あぁら、親友の私こそ名付け親に相応しいのではなくて?」
「……名付けは父である俺が行う。誰にもう譲るつもりはないが?」
「はいはい。パパもおじちゃんもおばちゃんも騒がしいから、ママと二人でお姉ちゃんの晴れ姿を見に行こうねぇ~~」
わいわいと喧しい彼らの向かう先には一段高くなった舞台があり、そこにはグレアム国王陛下とアルフレッド・ブライトン魔術師団長に挟まれて立つ、黒髪の少女がいた。
美しく着飾った彼女は元気一杯に、ラヴィニアに向かって手を振っている。ラヴィニアも微笑んで手を振り返すと、ギルにエスコートされて渋々壇上に上がっていった。
これにて魔女の凱旋、完結です!
長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました!!




