72.傲慢の果てに
アルフレッドが救護室の扉を開いて中に入った時、ラヴィニアはちょうど眠るツバサに上掛けをかけ直しているところだった。
「ブライトン! 無事なのよね? よかった……ヘニング卿と交戦になったって聞いて心配してたのよ」
彼に駆け寄って無事な姿確かめて、安堵の息をつく。
宰相補佐であるクラウドがアウローラと共に、ギルとツバサを見舞ってくれていたのでどんどん齎される情報にラヴィニアは気が気ではなかったのだ。
やはり、倉庫の近くで見かけたのはヘニングで見間違いなかったらしい。だが魔術師団長の彼が聖女誘拐の犯人達を追ってあの場にいたのならば、何もおかしくはない、と放っておいてしまったのだ。
「アキト殿下の計画に加担していたヘニング卿を捕縛したと聞いたわ……まさか、彼があちら側の人だったなんて……」
「……ヘニングは、罠に嵌める為にラヴィには殊更親切に接していたようだから、気づかなかったのかもね」
アルフレッドが軽い口調で言ってくれることに優しさを痛感する。
ラヴィニアはまんまと彼の術中にハマり、五年前は仲間に見捨てられたと悲嘆に暮れてしまっていた。間抜けなことこの上ない。
「私って、本当に何も知らなかったのね。でも……あなたが無事でよかったわ」
ゆるゆると息を吐くと、アルフレッドの指先がラヴィニアのほつれた髪に触れる。
「ブライトン?」
救護室のベッドにはギルとツバサがそれぞれ横たわっていて、健やかな寝息を立てていた。常駐の救護医から、今夜は他に使用している患者がいないのでラヴィニアも空いているベッドを使っていい、と許可をもらっていたがなんとなく寝付けなくて二人の見守りをしていたのだ。
ようやく取り戻した平穏を、眺めていたかったのかもしれない。
「どうしたの? あ、あなたも疲れているのよね……ベッド、使っていいって言われてるからここで休んでいく?」
赤い髪の先を弄りながらこちらをじっと見てくる無言のアルフレッドに、ラヴィニアは首を傾げる。
彼に限って魔術戦で誰かに負ける姿は想像できなかったが、現役魔術師団長との戦いは恐らく熾烈を極めたのだろう。魔力も体力も枯渇して、ぼんやりとしているのかもしれない。
実際は魔術による一方的な私刑だったのだが、ラヴィニアはそれを知らないのでアルフレッドの体調を心配した。
「ラヴィ」
「なぁに?」
ギルの眠るベッドの、その横のベッドの上掛けを剥がしながらラヴィニアはアルフレッドの呼びかけを背に受ける。ずらりと並んだベッドだが、使われているのはギルとツバサの分だけで他は空っぽだ。
名を呼んできたのに、続く言葉のないアルフレッドを不思議に思ってラヴィニアは振り向く。
ゆっくりと確実に朝日は登って来ていて、カーテンを引いていない窓から明るい光が差し込み救護室を夜から朝へと送り出そうとしていた。
「ブライトン?」
もう一度、彼を呼ぶ。
昨日は誰にとっても散々な日だった。
アキトの言動にまだ理解出来ない点が多々あり、この後の調べでおいおい明らかになっていく筈だ。だが、ラヴィニアの愛する人達が無事であるのならば、もうこの件はラヴィニアの手からは離れている。
個人的な認識では終わったと思っているが、深く関わっていたクラウドやアルフレッドにとってはそこまで割り切れるものではないだろうか。
「……大丈夫?」
何かまだ憂いがあるのだろうか? と心配になってラヴィニアはアルフレッドの顔を伺った。
「……あの時は、ごめん」
「あの時?」
それがいつの時を指しているのか分からず、ラヴィニアは眉を顰めて視線で説明を求める。
だがアルフレッドは微笑んで、首を横に振った。
「言っておきたかっただけだ。気にするな」
「なにそれ……あとで言質取ったとか言わないでよね」
「俺が謝ったんだぞ? そっちこそ言質にするなよ?」
相変わらずの言い方に、ラヴィニアはますますしかめっ面になる。しおらしい様子で部屋に入ってきたかと思ったら、アルフレッドはすぐに調子を取り戻して憎たらしいいつもの彼に戻ったのだ。
とはいえ、日常が戻ってきたかのようでラヴィニアとしても、胸の閊えが取れたような気持ちになる、
「……結局、大きな流れに巻き込まれただけだったのね、私達」
断続的に細かい情報が先程までここにいたクラウドの下に届き、当事者としてラヴィニアも知れる限りのことを教えてもらっていた。
これまで王子だから、と宰相側はどうしてもアキトの屋敷の捜索が出来なかったのだが、聖女誘拐の件で遂に踏み込むことが出来たのだ。
アキトは今回の事件を王位簒奪の計画の初期段階と考えていた為、自身の領地の屋敷には大量の証拠品が処分されることなく、残されていた。
その中には魔族召喚に関する文献や、聖女の力を研究したレポートも多くあり、女性の魔術師に後天的に聖女としての力を植え付けることが出来ないか、という実験を繰り返していたことも分かった。
『魔女殺し』を使って魔力貯蔵器官を取り出し、別の魔術師に移植して使える魔術属性を増やすという悍ましい研究もなされており、アキトが大勢の魔術師を殺めてきたことが発覚したのだ。
「アキト殿下……ううん、アキト、の計画はとても恐ろしいものだったわ。それ程までに王位に執着があったなんて、驚いた」
「……グレアム殿下と自分に生まれ以外の差異があるとは思えなかったのかもな」
アルフレッドの言葉は、まるでアキトの気持ちを代弁するかのような響きがあった。彼にも思うところがあるのだろう。
昨夜アキトが捕まってから今までのこの短い間に、大犯罪が次々に明るみに出て目まぐるしく状況が変わっていった。
事件の渦中にいた時はラヴィニアはひたすら必死で、ハッタリと機転だけで潜り抜けてきたが、自分がいかに怖いものなしに危ういことをしたのか、そして今ここに全員無事でいることがどれほど幸運なことかに震える思いだった。
「そうね……」
「ツバサや……ラヴィが無事で本当によかった」
「皆のおかげよ」
だがこれはただ幸運だっただけではなく、クラウドがアルフレッドの裏での尽力があり、アウローラの日頃の行いのおかげであり、ギルが真っ直ぐにラヴィニアを愛して守ってくれた結果なのだ。
そんな当たり前のことに気付かず、ずっと自分の実力を示すことに夢中で、その結果魔力貯蔵器官を失った。何もかも失った果てにツバサに出会ったことだけは、真実、幸運といえるだろう。
ベッドで眠るツバサを見つめてから顔を向けると、アルフレッドはじっとこちらを見ていた。ラヴィニアは思わず笑顔になる。
「ブライトン。あなたにも、ずっと、ありがとう」
あの村に引き籠り、自分とツバサさえ守っていればいいと思っていたことは、傲慢だった。ラヴィニアには魔力貯蔵器官がなくても、まだまだ出来ることがある。
アルフレッドはなんてことない様子で肩を竦めた。
「どういたしまして。まぁおかげで俺は次期魔術師団長だ。これでようやく誰にも文句言われることなく、魔術の研究を好き勝手出来る」
「あら、トップになったら忙しくてそんな暇あるかしら」
「俺ぐらいになると、時間は作り出すものなんだよ」
「本当に食えない男ね……」
アルフレッドがわざと嫌味な言い方をしたので、ラヴィニアも普段通りに嫌味で応じる。
「惚れなおした?」
「元々惚れてないのよ、アルフレッド・ブライトン!」
ぴしゃりと言い返すと、アルフレッドは肩を震わせて笑った。その笑みを残したまま、彼はこちらを見て柔らかく目を和ませる。
「他人行儀だな。皆みたいにアルフって呼んでくれよ」
「はぁ? よく言うわね。元々最初に家名で呼べって言ってきたのはあなただったと思うけど?」
ラヴィニアとアルフレッドは学生時代、自他ともに認めるライバルだった。
アウローラ達と同じように彼を名前で呼ぼうとした際に、家名で呼んでくれ、と線引きされていたのだ。その所為でラヴィニアはアルフレッドに対して妙に壁を感じてきたというのに、今度は一転して名前で呼べとは、どういった心境の変化なのか。
「つれないこと言うなよ、俺とラヴィの仲じゃないか」
「あのねぇ……」
ずい、とアルフレッドが顔を近づけてきて、なおも応戦しようと唇を開く。
すると腕を後ろからぐい、と引かれてラヴィニアは背後のベッドにぽすん、と座ることとなった。
つまり、ギルが横たわっているベッドに。
「俺の妻を口説くのはやめろ、アルフ」
「ギル!」
「おやおや、お目覚めか」
驚いてラヴィニアは声を上げてしまったが、その一つ向こうのベッドでは疲れたツバサが眠っているのだ。慌てて口を両手で覆う。
ベッドの上に半身を起こしたギルに、ぎゅっと抱き寄せられてラヴィニアはちょっとだけ笑った。その抱擁は恋人のそれというよりも、お気に入りのぬいぐるみを抱きしめて離さない子供のようだったからだ。
可愛らしくて、思わずギルの腕を指でなぞる。
「……取ったりしねぇのに。冗談の通じない奴だな」
「冗談なら通じるさ」
ラヴィニアの指先を見てアルフレッドが唇を尖らせる。いつものように煙に巻かれたのだと察してラヴィニアも真似て唇を尖らせたが、ギルだけが何故か不満そうに低く呻いた。
「ギル? まだ眠い?」
「ぐずってるわけじゃなくてだな……」
よしよしとギルの金糸の頭を撫でると、彼はまた呻いた。その間に、アルフレッドがスタスタと扉に向かって歩いて行ってしまう。
「じゃあ俺は帰るな。ツバサにもお疲れ様って伝えておいて」
「あっ……」
ラヴィニアは慌てて立ち上がる。なんとなく、ここで何も言わずに彼を帰したくなかったのだ。
「ア、アルフレッド!」
初めて名を呼ぶと、アルフレッドは驚くほど素早く振り返った。薄い水色の瞳が、僅かに揺れている。
「……どうかした?」
「いや……うーん、お疲れ様?」
ラヴィニアがそう言うと、アルフレッドは噴出した。
「お互い様だ」
そのまま彼は救護室を出て行ってしまい、中にはラヴィニアとギル。そして眠るツバサ。
「はぁ……俺達は新婚なのに、全然のんびり出来ないな」
「そうね。でも私、今回のことで魔法石の研究をもっとしたくなったわ! ……呆れる?」
「いいや。どんなアイデアが浮かんだんだ?」
ラヴィニアが言うと、ギルにゆっくりと髪を撫でられた。愛し気な仕草は心地よく、うっとりとしてしまう。
「例えば……魔力の制御が出来ない小さな子供に合わせて、定期的に魔力を吸いとる術式を魔法石に刻んだらどうかしら? ツバサももっと小さい時はいつも魔力が溢れて辛そうだったの、あの子は幸いすぐに制御で出来るようになったけど、自家中毒を防げるんじゃないかと思って」
「……なるほど。魔力の暴走も防げるかもな」
「そう! ざっと考えただけでも複数の高度な術式が必要になるし、それに適した特性の魔法石を探さなくちゃいけないけど……エイデンやアルフレッドに協力してもらうわ。あと魔法石に関してはローラの情報網が頼りになりそうだし、それからクラウドには法的な許可を取ってもらわなくちゃ!」
活き活きとアイデアを語っていると、突然ギルは唸りながらラヴィニアの肩に額を擦り付けてきた。
珍しいな、と感じる。彼は昔からラヴィニアよりも寝起きが良かった。刺されたことでかなり血を失ったので、どうしても眠いのだろう。
「ああ……あなたはまだ休んでいたほうがよかったわよね……ごめんなさい、つい興奮しちゃって」
「いや……俺の妻は、大人気だからもっとしっかり抱きしめておかねば、と決意を新たにしていただけだ」
「何よそれ? 私がフラフラしてるみたいに言わないでちょうだい」
ムッとラヴィニアが唇を尖らせると、すかさずそこにキスをされた。
「五年も離れてたんだから、同じ時間を抱きしめていてもいいぐらいだ」
「あなたって極端ね。もうどこにも行かないわよ」
何やら懸念を抱いているらしい夫に、ラヴィニアは同じ様に素早くキスを返した。それから見つめ合って、ゆっくりと唇を合わせる。
こっそりと互いの宿舎に忍び込んで夜通しのお喋りと、たくさんのキスをした日々。その後五年の別離を経て、結婚し、今はまた彼の腕の中に戻ってきた。
なんて数奇な人生だろう。たくさんの辛く寂しい夜があり、何度も何度もラヴィニアは自分を失ってしまいそうだった。
だが大切な人の言葉があった。灯してくれた光があった。ずっと守っていてくれた人がいた。
眩しいぐらい光り輝く、愛しい娘がいた。
ギルを黙って見つめると、彼は笑ってまたキスをくれる。
なるほど。
幸せはいつも、ここにあった。




