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魔女の凱旋  作者: 林檎
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69.月だけが見ている

 

『彼』は、ひたすら逃げていた。


 実はずっと倉庫内にいたのだが、他の人間の影に隠れて状況を見ていた男は、捜索隊が突入してきたどさくさに紛れて逃亡しているところだった。

 アキトの一味と接触する時はずっとローブのフードで顔を隠していたし、騎士達に対しては現場に彼がいても『元部下のことが心配で捜索に参加していた』と言えばその場は見逃された。


 アキトとダナンは流石に『彼』の顔も身元も知っているから、彼らが捜索隊に聴取を受けて彼の関与を白状してしまうまでの短い時間が、そのまま逃亡の為に使える時間だった。

 現場は混乱しているし、彼の身分を使えばこのまま王都を脱出することも可能だ。溜め込んだ財などは持ち出せなかったが、牢獄に入れられるよりもマシだろう。

 五年前にラヴィニアに面会に行った際に見た、あの不衛生で冷たい牢獄に繋がれることを考えたくなかったのだ。


 ようやく倉庫からある程度の距離を取ることが出来て、裏路地の角で一旦立ち止まる。ここからは顔を隠した方がいいだろうとフードを深く被った。

 そして更に離れようとした彼の肩を、誰かが突然掴んだ。


「どこに行くんですか? ヘニング卿」

「!」


 ヘニングが振り返ると、そこにはいつものように食えない笑顔を浮かべたアルフレッド・ブライトンがいた。周囲には他に誰もおらず、ヘニングは視線を走らせる。


「俺一人ですよ。ラヴィニアはギルと一緒に救護班の馬車で城に戻りました。彼女のことを心配で、捜索に参加していたんですよね?」


 ニコニコと微笑んで言われてヘニングは焦ったが、引き攣った笑いを浮かべる。


「あ、ああ、そうなんだ。彼女が無事だったのを見届けたから、私も城へ戻ろうかと……」

「逆方向ですよ?」

「まぁ……帰る前に、少し用事があって……」


 ヘニングが目を泳がせると、アルフレッドは芝居がかった仕草で首を傾げた。


「アキト殿下が王位簒奪を狙っていたことも、聖女を誘拐したことも大事件ですよ。そんな大変な時に魔術師団長ともあろう人が、真っ先に王城に戻らずにどうするんですか。用事なら、部下の俺が済ませてくるので、詳しく教えてください」


 さあ、とアルフレッドがずいっと近づいてきたので、ヘニングは咄嗟に後ずさる。すると、完全に裏路地に入り込んでしまい、そこは薄暗く不潔な匂いがした。

 時刻は遅くなっていてすっかり夜なので、表通りならば街灯があるがここにはその光は届かない。僅かな月灯りだけが頼りだったが、その光を背負ったアルフレッドは今も薄く微笑んでいて不気味だ。


「さあ、どんな用事なのか教えてください」

「あー……その……」


 ヘニングが口籠ると、アルフレッドの薄い水色の瞳が覗き込んでくる。その瞳がゆっくりと瞬きすると、途端に笑顔が消えていた。


「こんな時に咄嗟の言い訳一つ出来なくて、どうすんだよ」


 低くどすの効いた声は、内容も響きも冷たくてヘニングは目を見開いた。先ほどまで不気味なほど微笑んでいた部下は、今や声同様に冷たい表情でこちらを睥睨している。


「なんだ、その口の利き方は……!」

「黙れ」

「!?」


 アルフレッドが言った瞬間、ヘニングの体が地面に無理矢理打ち付けられた。

 魔術を使ったことはわかったが、その術式を編む様子も魔力の動きもヘニングには知覚出来なかったのだ。


「き、貴様、何を……」

「うん……ああ、ようやくあんたを地面に這いつくばらせることが出来る」


 アルフレッドは満足そうにため息をつき、指先でさらに魔術を操る。ヘニングの腕が捻り上げられて、骨が軋んだ。


「ぐぁっ……! い、痛い! やめてくれ!」

「よかった。痛いよな。でもラヴィはもっと痛くて、辛かった筈なんだ。もっと、苦しんでくれよ」


 アルフレッドがどこか安心したように微笑んで、指を弾く。

 すると今度はヘニングの足が有り得ない方向に曲がった。その瞬間、ボキリッ、と鈍い音がする。


「ぎゃああああっ!」

「この辺り一体に認識阻害の魔術具を仕掛けておいたから、存分に汚い悲鳴も聞かせてくれ。何をやってもラヴィが失ったものは戻って来ないけど、俺の気が少しは晴れる」


 折れたヘニングの足を踏んで、アルフレッドは満足そうにため息をついた。道理で人気がない筈だ。ヘニングは逃げてきたつもりで、アルフレッドの仕掛けた罠の中に飛び込んでしまったらしい。


「何で……何故だ、アルフレッド・ブライトン! お前はこの五年、私のサポートに徹してくれていたじゃないかっ!」


 そう。

 五年前の事件以降、あれほど他人に興味がなく自分の研究第一だったアルフレッドは、ヘニングに分かりやすく媚びを売るようになった。そしてヘニングが魔術師団長になれたのだって、献身的なアルフレッドのサポートがあったからこそなのだ。

 そうでなければ、ジャック・コールから師団長の座を継いだエイネア・ウォードがたった四年でその座を退く筈がない。


「だって……高いところから落ちた方が痛いだろう? あのままうだつの上がらない魔術師の一人として罪の裁きを受けるよりも、富も権力も手に入れた魔術師団長の地位から罪人として引き摺り下ろされる方が、あんたみたいな権威主義者は辛いだろう?」


 ぐい、とヘニングの髪を掴んで顔を上げさせて、アルフレッドは冷たく言った。


「まさか……その為だけに?」

「そう。まぁ、確かに手間だったけどな。あんなに協力してやったのに、師団長になるのに四年もかかるんだから驚いた。全く、なんでそんなに無能なんだ?」


 アルフレッドは心底不思議そうに首を傾げる。


「しかもそんな前から……まさか、ラヴィニア・ダルトンの為か!?」

「そうだよ」


 今やヘニングに恐怖しか与えない男は、月を背にしてやけに機嫌よく笑った。



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