65.淡雪のように
聖女としてのツバサに魔術を教えているのは、ブライトンだ。親しい人が裏切っていた、と言われてショックなのだろう。
勿論、ラヴィニアだってショックだ。それが、本当ならば。
「……」
「俺が呼ぶように言ったから、ブライトンはお前の命を助ける約束の代わりに聖女を差し出したんだ。あの男は味方面して、お前を裏切っていたんだよ、ラヴィニア」
娘を抱きしめる力を強くして、ラヴィニアは眦を吊り上げる。
「だったらなんだと言うの?」
「は?」
「それで私が、ブライトンに嘘をつかれたって動揺して隙を見せるとでも思った?」
ラヴィニアの心は怒りに満ちていた。
アキトが王位を狙うのも宰相がそれを止めようとするのも、勝手にすればいい。それらはみな、ラヴィニアの手届かない世界の話であり、彼らからしてもラヴィニアは部外者だ。
だが愛する娘であるツバサが巻き込まれることも、信頼する親友の一人であるブライトンが裏切者だなんて言われることも我慢ならない。五年の間、彼らは皆ずっとラヴィニアのことを思ってくれていたのにラヴィニアは仲間達を信じることが出来ず、勝手に孤独だと思い込んでしまっていた。
もう二度と仲間を疑ったりしない。まして、娘を誘拐した男の言葉など、信じるものか。
揺さぶりがちっとも効いていないことに、アキトは舌打ちをする。
「おいおい、こっちにはコレがあることを忘れるなよ?」
アキトの様子を見て、ダナンが『魔女殺し』をひらひらと振った。
彼が鋏を握っている以上まだツバサの危機は続いていて、アキトに反論して挑発するのは危うい。だが対象者を特定する機能があるとアキトは言ったが、ツバサの魔力貯蔵器官を抉り取り潰す為にはやはり体に突き刺す必要がある筈だ。
『魔女殺し』がわざわざ鋏の形状をしている以上、取り出す、断ち切る、という過程が存在する。ただ器官を殺すだけならば、形はナイフで十分なのだから。
とはいえ、勿論油断は出来ない。対象者を特定し発動させると自動的に鋏が対象者の体に刺さるように動く、なんて驚きの機能がないとは言い切れないのだ。なにせ『魔女殺し』は悍ましい処刑道具でありながら、国宝なのだから。
「ラヴィニア、今ならまだ間に合うぞ。俺と魔術契約を結べ」
アキトの表情に、苛立ちが滲んできている。こちらもジリジリと焦ってはいるが、それは向こうも同じなのだ。
「ここが計画の最終段階なんじゃない。お前を娶れば、聖女も次期宰相達も掌握出来る。そこから王位を得る為にグレアムを倒す必要があるのに、こんなところでイチイチ足踏みをさせるな!」
「……計画の前段階でここまで手こずってちゃ、ざまぁないわね」
なんとか隙を作って、再度ダナンから鋏を奪取しなければならない。アキトが傷つくのをダナンは無視したが、さすがに彼が計画に支障が出るぐらいの愚行を犯すようならば止めに入るだろう。
だとしたら、突けばボロを出してくれそうなアキトを今は攻めるしかない。
その時視界の隅を走った影を見て、ラヴィニアはもう迷いなく方針を決めた。
「初手から躓いておいて、国盗りなんて出来るのかしら?」
傲慢な物言いに、アキトが分かりやすく激昂する。
「うるさいぞ! 俺は、従順な女の方が好みだ。娶ったあとはよく躾けてやろう」
安い悪役のようなセリフに、素で鼻白む。しかし、ダナンもニヤニヤと下品な笑いを浮かべてこちらを見ているので、注目が引けたようだ。
「あら、じゃあ私と同じね」
「……何言ってるんだ?」
アキトが怪訝な表情を浮かべる。黙ってはいるものの、ダナンも同じ疑問を持ったようだった。
そこでラヴィニアは、顔色こそ青褪めたままだったが強気に微笑む。
「うちの夫も、私の我儘ならなんでも聞いてくれるの」
「任せろ!」
その瞬間、いつの間にか現れたギルが二人を背後から切りつけた。
「ぎゃっ!?」
「くそっ、どこから入ってきた!」
ギンッ、と鈍い音がして、ダナンの手から鋏が弾き飛ばされる。突然のギルの登場にアキトは狼狽え、ダナンは腰に提げていた剣を抜き放ち慌てて応戦した。
ギルは鬼気迫る様子で攻撃を繰り出し、一刀一刀が重いのかダナンは押されっぱなしで後退していく。
そして遂に正面の扉が突破されて、大勢の騎士や警邏隊、聖女捜索に当たっていた王城側の者達がドッと倉庫内に突入してきた。たちまち辺りは騒然となり、内部にいたアキトの手下達と交戦を始める。
「ローラ!」
「ええ!」
その間に、今度こそあの鋏を確保しなくては、とラヴィニアとアウローラは踏み出した。ハッとして、アキトも慌ててそちらに向かう。
だが、
「あ、あったあった」
何故か現れたエイデンがトテトテと駆け寄り、しっかりと『魔女殺し』をその手で拾った。
「エイデン!?」
このタイミングでギルと同じ方向からやってきたことからして、正面の扉ではなくどこかの部屋の窓などから侵入したこと分かるが、ギルはまだしも実戦経験のないエイデンが何故ここにいるのか、と疑問が浮かぶ。
だが今はそれどころではなかった。
上背こそあるもののひょろりとした体躯の彼と、怪我をしているものの当然王子として剣術を嗜んでいるアキトでは乱闘になった場合どちらが勝つか分からない。加勢するつもりらしくアウローラはそのまま彼らに走り寄り、それを見たラヴィニアは踏みとどまって再びツバサを庇うように抱き寄せた。
が、当のエイデンは場違いな程和やかに笑っている。
「うんうん。まだ正常に動いてるなんて、長生きだねぇ……お前も」
まるで旧友に語り掛けるかのように穏やかに言って、エイデンはポケットから取り出した何の変哲もない一枚の紙を『魔女殺し』で切った。
「なに……?」
続く光景を見て、ラヴィニアは思わず呆然と呟く。
鋏の形状をしているので、『魔女殺し』はしっかりと紙を切った。それは見えていたし、理解出来る。
しかし、パチンと刃が交差した瞬間に『魔女殺し』の切っ先とその紙片が、まるで淡雪のようにはらはらと崩れていったのだ。




