63.淑女の嗜み
アキトはそこで、またニヤリと笑ってツバサがら鋏を遠ざけた。それだけで、少しホッとする。
「魔女殺しは、魔力貯蔵器官を魔術師から切り離す魔術具だ。それゆえに鋏の形をしている」
「……元魔術師に、国宝の魔術具の説明をするの?」
器用に片眉を上げて言うと、アキトはおかしそうに笑った。
「それもそうか。でも使われたことはあっても、お前自身が使ったことがないからこれは知らないだろう?」
先程の聖女を殺したことをがあるかのような発言もあり、今度は魔女殺しを使ったことまであるかのような言い方に、ラヴィニアは薄寒さを覚える。
この男は、本当は何者なのだ? 国王陛下と正式に結ばれていない女性との間に出来た、王子様。本当に? 彼の存在は、まだ誰も知らないエピソードがあるのではないか。
「魔女殺しは、ある女の魔術師としての人生を終わらせる為に偉大な錬金術師が作った魔術具。五年前、ローザはお前の魔力貯蔵器官を取り出す為にその機能の一端を使っただけ」
「機能の一端……」
「そう、器官を魔術師から引き離す、という部分だ」
確かに、ローザ・メイヤーはあの時ラヴィニアから魔力貯蔵器官を取り出しただけ。そしてその器官は生贄として魔族召喚の媒体に使われかけたのだ。
「機能上、それが可能であったのを利用しただけだ。本来魔女殺しは、魔術師の中にある魔力貯蔵器官を抉り取り、潰すまでが仕事だ。本人以外にその器官を扱えるものなどいないから、取り出しても使いようがないからな」
それは理解出来る。実際の臓器であっても他者に移植することが困難なように、唯一無二の器官である魔力貯蔵器官は、誰か別の者に移植して使うなんてことは出来ない。
「コレは処刑道具だ。間違うことなく処刑が遂行出来るように、対象者を設定することが出来るんだよ」
「……まさか」
それが、アキトの余裕の正体。彼はニヤニヤと笑いながら鋏を光に翳した。
「そう。ここに来るまでに、ツバサを対象者に設定しておいた。今ここでお前達が逃げおおせたとしても、俺が思い立った瞬間にこの子供は聖女ではなくなるんだ」
愉快そうに言われて、その狂気じみた様子にラヴィニアは戦慄した。
『魔女殺し』を知らなかったツバサも、その前のアキトの丁寧な説明の所為で事態を把握出来てしまい、青褪めている。
「……ツバサが聖女でなくなったら、あなた自身もお困りなるんじゃなくって? 第二王子殿下」
そこに、ピシャリと水を打つような冷ややかな声がかかり、ラヴィニアはハッと息をつく。悍ましい状況に、息をするのを忘れてしまっていた。
「ユディット公爵夫人。お前は夫同様にグレアムを支持しているんだろう」
顔を向けると、それまで話す役目をラヴィニアに任せていたアウローラが一歩進み出るところだった。
「私の夫も、私も立場は中立です。尊き王家にお仕えする身。真に国の為に尽力してくださる方を支持します。ですが、子供を人質にしてその母親に結婚を迫るような下衆は問題外でしてよ」
「夫婦揃って口が達者だな……確かにツバサが聖女でなくなれば俺の計画は崩れるが、母親であり魔女殺しの実際の被害者であるラヴィニアにその道が選べるのか?」
「……」
冷たくそう言われて、アウローラが顔を顰める。
そう。魔女殺しによって魔力貯蔵器官を奪われたラヴィニアは、例え誰が対象者であったとしても処刑実行を阻もうとするだろう。
魔術師でいられなくなったこと以上に、器官を一つ失った後の後遺症は酷かった。体は随分弱ってしまったし、それに引っ張られて心も弱きになった自覚がある。
五年前のあのタイミングでツバサに出会えていなかったら、ラヴィニアは自分が今ここにいることはなかっただろうと断言出来てしまう。友人達が悲しむのが目に見えているので、口にはしないが。
「……そうね。あんたにとって都合が悪いけど、その前に私がそれを受け入れるわけがないわ」
ラヴィニアが呟くと、アキトは観衆に応える指揮者のように手を翳してご満悦の表情を浮かべる。
「うんうん。特に相手が愛娘となれば、尚更だろう。だから、この脅しは有効なんだよ、分かるか? ユディット公爵夫人」
「腕が届くものなら、その頬引っ叩いて上げますのに……」
アウローラが悔しそうに吐き捨て、力を失ったように蹲った。それを見てアキトは更に恍惚とした様子で微笑む。歪んだ男だ。
「さぁ、ラヴィニア。魔術的な契約でお前を俺の妻に……」
勝利を確信したアキトが、話を進めようとした。
その時、ドンッ、と大きな音がして外へと通じる大きな扉が揺れる。
「!?」
「開けろ! 聖女を誘拐したことは分かっている!!」
外から張り上げられた大声が、この倉庫内に響いた。
アキトやダナン、他の男達が驚いてそちらに目を向けた瞬間、アウローラとラヴィニアが同時に駆け出す。
ラヴィニアがアキトに体当たりしてツバサを取り返すと、ドレスの中に細剣を隠し持っていたアウローラがアキトの手を切り付けて『魔女殺し』を跳ね飛ばす。
「痛い!」
鋏は音を立てて吹っ飛び、拾いに行くには遠い位置だったのでアウローラとラヴィニアでその進路を塞いだ。カチャン、と硬質な音が床に反響する。
尚もドンドンと扉は外から叩かれ、その鈍い音からしてノックではなく力づくで壊そうとしていることがわかった。それを聞きながら、アキトが血の流れる腕をもう一方の腕で支える。
「……剣を仕込んでいるとは、恐れ入ったな公爵夫人」
「淑女の嗜みですわ」




