60.ひとつ、取り上げられる
しばらく走り続けていた馬車が停まったのは、夕闇が迫ってくる時刻だった。
「降りろ」
馭者台に座っていた男が扉を開けて、しわがれた声で言った。その顔は、やはり見覚えのないものだ。
「ここはどこかしら?」
アウローラが馭者に訊ねたが、返事はない。
途中から馬車の窓には外から布が掛けられてどこに向かっているのか見えなくなっていたし、降ろされた場所がどこなのかラヴィニアには分からない。
走っていた時間が長かったので王都の外だと見当はつくが、王都と外を隔てる門はどうやって通過したのだろうか? 外から鍵がかかり窓を塞がれた貴族の馬車など、聖女が誘拐された現状では怪し過ぎるのに、中を確認されなかった。
そしてここがどこかの街の貧民街であることだけは分かるが、ラヴィニアは貴族令嬢として育ちその後王都を追放されている。もしここが王都の貧民街だったとしてもちっとも見覚えがなく、右も左も分からなかっただろう。
「早く中に入れ」
どん、と押されて、粗末な木戸を潜る。
建物の中は、元は倉庫にでも使われていたのか意外なほど広かった。そしていかにもゴロツキといった風体の男達が大勢いた。彼らの無遠慮な視線を受けつつ、ラヴィニアとアウローラは促されて歩を進める。
奥には扉がいくつかあり、その一つを開けて二人は押し込まれた。
「……あの方が来るまで、ここで待ってろ」
「あの方って、アキト殿下のことかしら」
部屋を見渡してアウローラが言うと、リーダー格らしい男がニヤリと笑った。
「なんだ知ってるのか。そういやアンタの旦那は第一王子サマ派だっけな?」
「あら、私の夫は中立よ」
「そうは言っても、血の繋がったものを優先するだろ貴族なんて」
アウローラの夫、キース・ユディット公爵とアキト殿下は、グレアム殿下同様に血が繋がっている。二人の王子の父がジョルジュ陛下。陛下の妹が、キースの母親なのだから。
奇妙に感じたラヴィニアは、その疑問が表情に出てしまっていたらしい。
男がこちらを見て話を変えた。
「……そうそう。カーヴァンクル夫人からは首飾りを取り上げておくように言われてるんだった」
「え、嫌よ、ちょっと!」
いきなり男の腕がこちらに伸び、魔法石のペンダントを奪われる。強引に引っ張られた所為で華奢な鎖が引きちぎられた。ぶちん、と鈍く小さな音がして、首に僅かな痛みが走る。
「ッ!」
「ちょっと! レディへの態度がなってないんじゃなくて!?」
首への痛みにラヴィニアが息を詰めると、アウローラが鋭い怒鳴り声を上げた。命令し慣れた彼女のよく通る声に男は一瞬怯んだが、すぐに作ったような笑みを浮かべて部屋を去って行く。
そのまま扉が閉まると、ガチャンという鍵の閉まる大きな音が響いた。
「なんなの、あの男! 最低ね!」
憤慨しながらアウローラはラヴィニアの赤い髪をかき上げて、首の傷を確かめた。
「ああ……可哀相にラヴィ」
「え? 結構大きな怪我?」
あまりにもアウローラが悲壮感たっぷりに嘆くので、ラヴィニアはちょっと焦った。
「大怪我よ」
「ええ……そこまで痛くなかったけど……どうしよう、血が出てる?」
「出てないわ」
「痕が残りそう?」
「きっと残らないと思うわ」
「……それって、かすり傷じゃない」
ラヴィニアは溜息をついて髪を下ろした。アウローラはそれでも唇を尖らせている。
「私の可愛いラヴィの肌に傷がついたのよ!? どんな傷でも大怪我に決まってるじゃない!」
「大袈裟よぉ」
「当然のことよ。大切な人が傷つけられたら、程度がどうであれ許すことは出来ないわ。そうでしょう?」
アウローラはぷりぷりと怒って、ドレスの隠しからハンカチを取り出してそっと首に当ててくれた。
「うん……そうね」
確かにラヴィニアだって、ツバサがちょっとでも傷つけられたらすごく怒るだろう。その対象がギルでもアウローラでも、同じことだ。
「ありがとう」
「んもぅ! お礼を言うんじゃなく、一緒に怒るところよ!」
すぐに叱られてしまった。




