6.二人きりの晩餐
その夜。
共に夕食をというブライトンの誘いを断って、ラヴィニアとツバサは客室棟の食堂で二人きりで食事をした。二人で使うには広すぎる食堂、小さいが上品なシャンデリア、飴色の家具。テーブルクロスはパリッとした白。
テーブルにずらりと並ぶ食事は、品数も多く食材も高級なものが使われている。聖女への待遇なのだろう。
料理もだが、付きっきりで給仕されることにツバサは落ち着かないようだ。
「すごい豪華……」
「ここにいる時だけだからね、家に帰ったらまた質素な食事に逆戻りよ。それともここで暮らしたくなっちゃう?」
ラヴィニアは茶化して言うと、ツバサははっきりと首を横に振る。
「お母さんの作るご飯の方が、好きだよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」
ラヴィニアの料理の腕は、さほど高くはない。元々伯爵令嬢なので家事なんてやったことはなかったし、食事も食べる専門だった。
王城を追い出されて村に辿り着いてから、保護したツバサの為にも他の村人に教えを請うてなんとかかんとか努力してきたが、いつまで経っても大して上達しない。
料理を作るよリも、薬草を煎じたり魔術具を作る方がラヴィニアにとっては容易かった。
ラヴィニアが蠱惑的に微笑むと、ツバサは大きく頷く。しかし、すぐにシュンと萎れた。
「でも……ここで暮らしたいわけじゃないけど……私、ここに残った方がいいのかな……」
ツバサは皿にカトラリーを伏せて、、ぽつりと呟く。それを見て、ラヴィニアも眉を下げた。王城の男達相手にどれだけ強気でいられても、この可愛い娘にだけは全面降伏だ。
愛する娘の苦悩姿は、見ているだけでラヴィニアをも苛む。
「……ツバサはどうしたい?」
「お母さんと一緒にいたい」
「うん、私も」
迷いなく言われると、やはり嬉しい。
こちらもカトラリーを皿に伏せて、ラヴィニアはツバサの前髪にそっと触れた。
必死に無実を訴えたものの誰にも信じてもらえず、何もかも奪われて王城から追い出されたラヴィニアは、異世界から迷い込んだばかりの立場が弱く己を守ることの出来ない幼子を見捨てることなんて出来なかった。
そしてツバサを守ろうと気持ちを強く持つことで、ラヴィニア自身が支えられてきたのだ。一人では、とてもこの五年をまともに生きてこれなかった。
そのツバサが、聖女だった。
「でも……でも、私は聖女……なんだよね……?」
ツバサに問われて、嘘は言えない。ラヴィニアは頷いた。
「だからって義務感から聖女の役目をする必要はないのよ。昼間も言ったけど、魔物退治ならあいつらでも出来る。土地の浄化だって、時間を掛ければ……」
「お母さん」
ツバサが椅子から立ち上がり、ぎゅっとラヴィニアに抱き着いた。
聖女であるツバサは、もう弱い立場の何も持たない子供ではない、戦場に出す出さないは別に考えると、この客室棟での待遇ひとつとっても分かるように、聖女としてツバサは何不自由なくこの王城で暮らしていく権利があるのだ。
ラヴィニアはツバサを絶対に戦場には出したくないが、聖女としての立場を受けれるかどうかはツバサの自由だと考えている。
選ぶのは、ツバサだ。
「ツバサ?」
「お母さんは、私のことを大事にしてくれるけど……どこかで、魔物の所為で苦しんでる誰かも、誰かの子供なんだよね……?」
ツバサの黒い瞳に、涙の膜が張る。
頑固で頑張り屋のツバサは、拾われた最初の頃以降滅多に泣くことはなかったのに。
「大丈夫、大丈夫。今日は色んなことがあって、怖かったね。大丈夫よ……お母さんが守ってあげるから」
優しく抱きしめて、ラヴィニアは何度もそう繰り返す。
小さな頭を撫でてやると、もっととでも言うようにグイグイと頭を押し付けてくる。それが可愛くて、ラヴィニアはツバサの髪をくしゃくしゃと乱して撫で続けた。
今日は、随分と長い一日だった。
宛てがわれた客室に贅沢にも浴室も併設されていたので、食事を終えた二人は喜んで風呂に入った。
村ではたっぷりのお湯の張られたバスタブなんて勿論あり得なかったが、元伯爵令嬢のラヴィニアにとっては懐かしく慣れた習慣だ。
ツバサも元いた世界ではお風呂は日常的だったらしく、久しぶりのバスタブにはしゃいでいて、食事の時の沈んだ様子は払拭されていた。その様子を見て、ラヴィニアはこっそりと安堵した。
夜が更け、ブライトンはラヴィニアとツバサにそれぞれ別の寝室を用意していたが、二人は家でいつもそうであるように一緒の寝台に入った。
「お母さん、おやすみなさい」
「おやすみツバサ。いい夢を」
額にキスを落としてやると、ツバサは今日一日の出来事に疲れきっていたようで、すぐに眠ってしまった。
丸い額、ふっくらした頬。可愛い可愛い、ラヴィニアの宝物。
食事の時の会話で、ツバサは聖女としての責任を自覚し始めていると感じた。賢い子なのでブライトンのわざとらしい誘導に気付いているのだろうに、優しい子なので真剣に向き合っているのだ。
ツバサが自分で決めればいい、と考えているものの、まだ彼女は幼い。
成人していて他人の言葉に左右されず判断出来て、身を守ることが出来るのならば、ラヴィニアは何も言うつもりはなかった。戦場は反対だけど、魔物によって汚された土地の浄化の為に聖女として旅に出たいのならば、出ればいい。
でもまだ十歳の子供に、自分で判断しろというのは無茶な話だろう。
迷っているのは、ラヴィニアも一緒だった。保護者として、どうしてあげることがツバサにとって一番いい事なのか、悩んでいるのだ。
「……一緒に行ってあげられたら、いいのに」
優しいツバサは、自分が聖女として旅立てば無辜の民を救うことが出来る、ということに気持ちが傾いている。
ラヴィニアは、唇を噛みしめた。
ブライトンやギルに偉そうに啖呵を切ったものの、聖女の力に代わる方法だなんて出来る保証はない。
しかし魔力貯蔵器官を失った自分では戦場でツバサを守ってやることが出来ない、と分かっている。だからこそ、ツバサが戦場に出ることを止めていた。その代わりに自分の出来る方法でツバサを守りたい。
これは、ラヴィニアの自分勝手な行いなのだろうか?