58.失わない
さっと立ち上がって、ラヴィニアはブライトンに指を突きつけて宣言した。
彼は目を丸くしている。
「ラヴィニア?」
分かっていないのはブライトンだけで、他の面々の表情は寛いだものになっていた。
全くこの男は、自分でなんでも抱え込もうとしてこちらのことをちっとも考えてなどいないのだから、ラヴィニアとしては呆れてしまう。
「私を見縊らないで頂戴。確かに事情を話してくれればもっと良い方法を考えたかもしれないけれど、自分と娘を慮って秘密を抱えてくれた仲間を責める程狭量じゃなくってよ」
突きつけた指でついでにブライトンの額をぺしん、と緩く弾いてやる。すると、惚けたようにこちらを見つめていた彼の表情がようやくゆるゆると解けた。
この部屋に拉致監禁されてから、揶揄するような笑顔は浮かべつつもブライトンの瞳はずっと緊張していた。それが今、ようやく蕩けたのだ。
「……確かに、俺の大好きなラヴィニア・ダルトンはそんな心の狭い女じゃなかったな」
「おい、その発言に関しては聞き捨てならんぞ」
すかさずギルが長い脚を組んで、己の領分を主張する。
「まず現在ラヴィの姓はカーヴァンクルであり、俺の妻だ」
「まぁ、大前提としてラヴィは私の可愛い子なの。それこそ心の狭い男は嫌われましてよ、ギル」
「……ローラ。話をややこしくするな」
「あら、クラウド。あなたも参戦なさる?」
うふふ、と魅力的に笑ってアウローラが混ぜっ返した。
途端、部屋の雰囲気は学生の頃のそれになり、今までの憂いなどは彼らが揃えばたちどころに解決出来てしまうような気分になる。
秘密を抱えずに話して欲しかったのも、それでも秘密にしてくれていたから今まで平和が維持出来たのも、事実。だが、ラヴィニアがなにも失っていなかったことを自覚した今、ならば全員で事にあたれば必ず勝てるという確信が生まれてしまう。
これを驕りと謗られないように、現実にしてみせる。
「うーん、皆、私のことが大好きね。私の為に争わないで?」
ラヴィニアがいつものように棒読みで言ってのけると、笑顔が咲いた。
しかし、ラヴィニアのことが大好きでいつもならばいの一番に参戦してくるエイデンが静かなことに気付いて、不思議に思って振り向く。
視線の先には、窓辺に置いた椅子に座って、魔術具を調整しながら窓の外をじっと見つめるエイデンの姿。
何故かどこか遠くに彼がいるような気がして、ラヴィニアは慌てて声を掛けた。
「エイデン?」
「…………なんか……外が、変」
それだけを呟いて、尚もエイデンの黄金の瞳は不思議な色を帯びて、窓の外を注視している。それに反応して、この中で一番聴覚の鋭敏なギルがぴくりと身じろいで扉に向かった。
「ギル?」
「……聖女が、という声が聞こえた。確認してくる」
言うやいなや、ギルは扉を細く開けてサッと部屋を出て行く。
ブライトンとクラウドが険しい表情で視線を交わし、エイデンは魔術具の調整を続けつつぐるりと皆を見渡した。
「どうする? このまま盗聴防止を続ける?」
ラヴィニアに視線が集まり、一瞬悩む。が、そのすぐ後にもうギルが部屋に駆け込んできた。
「ツバサが何者かに誘拐された! 城の中は大騒ぎだ」
「!」
「グラウは何をしていた!」
サッ、と青褪めたラヴィニアにすかさずアウローラが寄り添い、聖女の護衛を派遣している立場であるブライトンが吠える。
「……気絶させられていたそうだ」
「ツバサ……!」
また手遅れだったのだろうか?
今回は、ラヴィニアは急いだつもりだったのに、また手遅れになってラヴィニアはツバサを、大切な娘を失ってしまうのだろうか?
「ギル……」
「大丈夫だ、ラヴィニア」
アウローラに抱きしめられたまま、ラヴィニアが夫に手を伸ばす。すると彼はすぐにこちらに来て、その手を取ってくれる。
目の前が真っ暗になり、寄り添うアウローラと手を握ってくれるギルのおかげでラヴィニアはなんとか気絶せずにいられたが、顔は真っ青だ。
クラウドが盛大に舌打ちする。
「クソッ! 向こうも俺達が集まって話している間、ツバサへの警戒が薄れることを好機とみたのか。……すまん、まさか白昼堂々聖女を誘拐されるとは予想外だった。宰相に指示を仰ぐ」
そう吐き捨てるとクラウドは、挨拶もそこそこに部屋を走って出て行った。
「俺はグラウに話を聞いて、詳しい状況を確認する」
ブライトンもローブの裾を捌いて椅子から立ち上がった。
彼も見たことがないぐらい青褪めていて、この五年どれほど慎重にツバサのことを守ってくれていたかを思うと、ラヴィニアは胸が引き絞られるような思いだった。
そこに、珍しくエイデンも積極的に参加する。
「アルフ、僕も行くよ。聖女の魔力は特殊だから、状況が分かれば魔力を辿る方法が見つかるかも」
「助かる」
二人が頷きあって部屋を出て行こうとするので、ラヴィニアは慌てて追いかけた。
居ても立っても居られない気持ちで手をフラフラと伸ばすと、その手は驚くほどしっかりとエイデンに握られる。顔を上げると、彼はこちらを優しい表情で見つめていた。
「エイデン?」
「僕もラヴィが大好きだよ。だから……もう二度とラヴィから何も奪われないように、ちゃんと守るからね」
にこりと微笑まれて、いつもならホッとする筈なのに何故かラヴィニアは不安が増す。
何か間違っていないか? 気付けていないことがあるのではないか?
「エイデン……無理はしないでね」
「ツバサの為だもの。ちょっとは無理するよ」
「あなたが怪我をするのも、嫌よ」
「……うん。わかった。なるべく気をつけるよ」
そう言うと、エイデンはブライトンと共に部屋を出て行った。
後に残ったのはラヴィニアとアウローラ、そしてギルの三人だ。だがギルは騎士という立場上、当然聖女捜索に加わるのだろう。
彼がまだここにいるのは、偏に妻を慮ってくれているからだ。
「……ラヴィニア」
「分かってる。……一人で突っ走ったりしないわ」
自分に言い聞かせるように、ラヴィニアが呟く。
相手は第二王子殿下で、目的は王位なのだ。これはたまたま大事件の一端を踏んでいるだけで、事はラヴィニアの手に余ると先程痛感したばかり。むしろ蚊帳の外、部外者に近い位置にいる。
だが、渦中にいるのはラヴィニアの大切な娘、ツバサだ。
「……う」
ここで泣いては駄目だ、と分かっているのに耐え切れずにラヴィニアの、紫の瞳から大粒の涙が零れる。
あの優しくて可愛い子は、辛い思いをしていないだろうか。心細いに違いない。早く駆け寄って、抱きしめてあげたい。この手が届かないことが、恨めしい。
どうして、今、自分は魔術師ではないのだろう? 過去にどれほど名を馳せたからといって、愛する娘を今守ることが出来ない自分など、なんの意味があるのだろうか?
そう考えると、涙がますます零れてしまう。そんなラヴィニアを、ギルが強い力で抱きしめてくれた。
いつものように、隙間なく。
「ギル……」
「もう五年前の無力な俺達じゃない。ラヴィの守りたいものを、一緒に守れる力がある」




