52.錬金術師の棲家
数日後。
錬金術師棟の一室で、ラヴィニアはエイデンと共に魔法石の加工に付いて話し合っていた。
魔法石に魔力を込めるという発想と初期の術式はラヴィニアのオリジナルだが、それを汎用化させる為にはやはり専門家に頼るに限る。
幸いなことに、ラヴィニアの親友には天才錬金術師がいるのだから。
「何度見ても、この術式の展開飛躍は面白いねぇ」
通常向かい合わせに座るべきところを、わざわざラヴィニアの隣の椅子に座ったエイデンは、術式の記された紙を見ながらご機嫌で笑う。
灰色の髪に、黄金の瞳。ヒョロリとした体に質素なシャツとズボン、白衣の裾はやはり土で汚れている。彼は五年前に別れた時以来ちっとも変っていないように見えて、ラヴィニアはとても安心した。
習い性のように洗浄魔術を掛けてやると、エイデンは頬を赤くしてにっこりと笑う。
まるで小さな子供が好物を与えられて、喜びではちきれそうになっているかのような笑顔。
こんな簡単な魔術でこんなにも大喜びしてくれるのならば、魔法石の中から魔力を使うことだってラヴィニアはちっとも厭わない。
「私の場合はなるべく圧縮した魔力を石に込めたかったから、ここには乗算させてるんだけど……」
「うん、ツバサの魔力を騎士に持たせる、という目的のためには非効率だね。適切な量の魔力だけを込めて、あとは持続させることに注力したいよねぇ……ここをこうして、こっちに効果を振って……」
言いながら、エイデンはサラサラと紙に書き足していく。字は汚いが術式が整っていくのが明白で、ラヴィニアは感嘆した。
「すごいわ、エイデン! あなたって本当に素晴らしい」
ラヴィニアは手放しで称賛したが、彼の表情は冴えない。
「ほんと? おかしくない?」
「……おかしく? ちっともおかしくなんてないわ。とても素敵よ、エイデン」
奇妙な言い方をされて、ラヴィニアは首を傾げる。
ラヴィニアが長年考えてもブラッシュアップ出来なかった術式を、あっさりと整えたエイデンは天才としか言いようがない。
「僕にはこうしたらスッキリするってすぐ分かるんだけど、それを言うと怖がる人も多いから」
「……あなたが天才であることと、他の人がそれを理解出来ないことは全くの別問題だわ」
ラヴィニアは眉を顰めた。
天才集団だった仲間達と共に王城に就職してすぐは、エイデンは自分の特異さには気づいていなかったのだろう。ちっとも変わっていないように見えたエイデンだったが、この五年の月日は彼に天才である異質、という自覚を植え付けてしまったらしい。
そして元天才魔術師であり今は只人になったからこそ、ラヴィニアにはどちらの気持ちもよくわかる。
エイデンは、常人では辿り着けない場所に最初から立っている。彼にとってはそれは当たり前のことで、常人にとっては異常なことなのだ。だからこそ嫉妬や畏怖、羨望の気持ちが生まれてしまう。
だが、それはエイデンには関係のないことで、彼らの思惑がエイデンに影響することはあってはならない。
「私に言えることは、あなたは最高ってこと」
「……ラヴィがそういうなら、僕は最高だね」
「そうよ!」
微笑んでラヴィニアがエイデンの手を握ると、彼もようやく嬉しそうに笑ってくれた。
それにしても、と錬金術師棟のエイデンの専用研究室をぐるりと見渡す。たくさんの本や書類、様々な器具が所狭しと並ぶ部屋は本来はそこそこの広さがあるのだろうに、物が多い所為で随分と圧迫されて感じる。
「あなたは最高だけど……でも、もう少し掃除をしたらもっと素敵かも。他の人には触らせないのでしょう?」
「うん……自分で場所を変えるなら覚えておけるけど、勝手に変えられたら困るから」
「きちんと分類されていても?」
「うーん……」
術式を書いた紙から顔を上げないまま、エイデンが唸る。
ラヴィニアは腰に手を当てて、ヤレヤレと溜息をついた。
「私が掃除しちゃダメ? せめて本をラベル通りに並べて、書類をファイリングするだけでも違ってくると思うんだけど」
「え! ラヴィが僕の部屋の掃除をしてくれるの? ……ああ、でも駄目だよ、そんな下働きみたいな真似、させられない」
エイデンはパッと顔を上げたが、すぐに首を横に振る。大袈裟である。
「この五年間、私は家事も掃除もなんでも自分でやっていたのよ? 友達の部屋の片づけぐらい、どうってことないわ」
「でも……今のラヴィは、侯爵家のお嫁さんだよ」
「昔も今も、私はあなたの友達よ。そうでしょう?」
ラヴィニアがそう言ってウインクすると、エイデンはふにゃりと笑った。
「そうだね。ラヴィは、ラヴィだ」
「ええ。じゃあ、掃除していいわよね?」
「うん……そうしたら、僕の部屋によく来てくれるようになるよね? ラヴィニアに会えるの嬉しいよ」
可愛らしいことを言うエイデンの頭を、ラヴィニアはくしゃくしゃに撫でる。
それから箒などを持ち込み、掃除を始めた。道具を貸してくれた下働きの者は慌てて自分達がやると言ってくれたが、それはそれでエイデンが嫌がったので結局最初の予定通りラヴィニアが一人で掃除を担当した。
「さてさて」
小さく呟いて、窓を大きく開く。
エイデンが術式を練っている間に、ラヴィニアは棚の埃を落とし本を並べていった。乱雑に置かれていただけで、分類して並べていくと全て書棚に収まりそうだったのでホッとする。
錬金術書も魔術書も多かったが、何故こんなものまで? と思うような絵本や料理の本まであって、エイデンの興味の幅の広さに驚かされる。この多岐に渡る知識欲が、彼の自由な発想の源なのだろう。
どんどん本を運び、ついでに古い書類から分類してしまおうとラヴィニアが手を伸ばすと、ガシッとその腕を掴まれた。
「ひゃっ!?」
「……」
いつの間にかラヴィニアの背後にはエイデンが立っていて、しっかりと彼に腕を掴まれていたのだ。
「エイデン?」
名を呼ぶと、無表情だったエイデンが慌てた様子で眉を下げる。
「……びっくりさせちゃってごめんね、ラヴィニア。ここの棚は触らないで欲しいんだ」
「そう……私こそ無遠慮にごめんなさい。こっちは片付けてもいいかしら?」
いくら親しい相手だとはいえ、研究途中のものを見られるのは嫌だろう。本と違って、直接書きつけたメモなどは、彼の研究の成果だ。
ラヴィニアは反省して、お伺いを立ててから書類やメモを片付けることにする。
「うん、この辺はお願い」
途端ふにゃっと笑ったいつもの彼に安心して、ラヴィニアも笑顔を浮かべた。
さっそく許可された箇所にうず高く積まれた書類を手にとる、と、ラヴィニアは途端に顔を顰めることとなった。
「……エイデン。この書類、提出期限が半年前なんだけど」
「うん……?」
可愛らしくとぼける友人と叱りながら、ラヴィニアは許可された箇所の書類をバリバリ片付けるのだった。
ちなみに先程触らないように言われた書類には、鋏の絵が描かれていたように見えたが、ラヴィニアはわざと知らないフリをした。
錬金術師が描く鋏で、ラヴィニアが知っているものはたった一つだけ。
尊き処刑道具、魔女殺し。それをエイデンと結びつけることはあまりにも恐ろしく、ラヴィニアは目を背けることしか出来なかった。




