51.愛すべき
騎士団の一隊を任されているギルと、聖女という誰にも替わることの出来ない務めのあるツバサ。
そんな二人に比べると、ラヴィニアの聖女謹製の魔法石の作成法汎用化は一時的な仕事だ。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、奥様」
午前中に魔術師達との会議を終えて屋敷に帰ると、アンジェリーナがすぐに出迎えてくれる。
「お茶のご用意をいたしますね」
「ありがとう、アンジェ」
ラヴィニアが礼を言うと、アンジェリーナはいつものように穏やかに微笑んでくれる。まだなにも告げていないのに、少し疲れているのを見抜かれてしまったようだ。
実は、魔法石の研究は思ったよりも進みが遅い。
ラヴィニアの場合は自分が貯めた魔力を自分で使っていた為に問題なかったが、他者の魔力をまた別の者が扱うとなると魔力が反発しあってしまうのだ。
ツバサの魔力を込められた魔法石にはこれ以上細工で出来なかったので、ラヴィニアは術式も新しく開発した。
本来新しく術式を編み出すには途方もない時間と、研鑽が必要だが、短い時間でラヴィニアは一応の開発に至ったのだ。
これは何ということはない、自分の魔力を込めた魔法石を量産して商売出来ないだろうか、という商魂逞しいアイデアを常日頃からラヴィニアが抱いていた所為で、術式に関しては村にいた頃から研究していたから骨子が出来ていたのだ。
だが勿論十分とはいえず、魔法石の加工も術式の整理も上手くいっていない。聖女謹製の魔法石は、効果は得られているものの、まだまだ改良すべき点が山積みだった。
そもそも、魔女として悪評の高いラヴィニアに対して魔術師達が協力的ではないのが痛い。術式のほうも、専門職である錬金術師に見てもらう必要を感じていた。
「あ、お母さん!」
居間に向かうと、なにやら二人で話し合っていたらしいツバサとギルがパッとこちらに顔を向けた。ツバサはぴょんとソファから降りてこちらに駆け寄ってくる。
「おかえりなさい!」
「ただいま、ツバサ」
腰に抱き着かれたので、ラヴィニアは僅かに屈んで愛娘のつむじにキスを落とす。午後の明るい光に照らされて、ツバサの艶のある黒髪はまるで絹のような光沢を放っている。
同じく立ち上がってこちらにやってきたギルに、ツバサごと抱きしめられた。
「おかえり」
「ただいま、あなた。二人とも、今日はもう帰ってきていたの?」
いつもは自分がおかえりを言う立場だったので、ラヴィニアはくすぐったく感じながらも夫のキスを頬に受ける。
ギルは慈しむように手の平でラヴィニアの肩に触れ、腕を撫でてそのままラヴィニアに抱き着いているツバサの頭をくしゃくしゃと撫でた。
相変わらずラヴィニアに触れる時は恭しく、ツバサに触れる時は少し遠慮がない。ラヴィニアはそれを見るた度にこの上もなくギルに大切にされていることを実感しつつも、少し乱雑に扱われるツバサが羨ましくもあった。
あんな風に自分にも気兼ねなく触れて欲しい。そう思うことはさすがに贅沢なのだと分かっている。
ギルが他人に向ける全ての感情を味わいたいと思うのは、恋人であり妻になったラヴィニアの惚気に等しい願いだった。
「そう。たまたまツバサと帰りが一緒になったから、馬に乗せて帰ってきたんだ」
ギルはくつくつと面白そうに笑う。
ツバサは王城が用意した馬車でグラウに護衛されて通っているが、帰宅の際に騎士団第三隊の隊長であるギルと会えば、さすがに護衛は彼に任せるだろう。
ツバサも興奮した様子で、ラヴィニアの腹に顔を押し付けて声を上げて笑った。
「そう! ギルさんの馬に乗ったの! あのね、お母さん、馬に乗ったことある? ギルさん、すごーーーく速いんだよ!」
「……もうギル。子供も一緒なのに早駆けしたの?」
ラヴィニアが呆れた様子で言うと、ギルは一瞬気まずい表情を浮かべたがすぐにまた笑顔になった。子供のような笑顔は可愛らしくて、ついつい見惚れてしまう。
「ツバサは馬には乗ったことないって言うから。面白かったよな、ツバサ?」
「うん! 私も乗れるようになる?」
「もう少し体が大きくなって、練習すれば乗れるようになるだろ」
なにやら二人は結託して、活き活きとお喋りしている。
王立学園でのカリキュラムに乗馬が入っていたし、貴族令嬢の嗜みでもある。アウローラなどは騎士顔負けの乗馬スキルを持っているほどだ。
しかしラヴィニアとしては、常にこちらの思い通りになるわけではない馬は苦手だった。
「お母さんも乗れる?」
もう一度聞かれて、ラヴィニアはううん、と唸った。可愛い娘の期待に満ちた瞳には常に応えたいものだが、どうか気付いて欲しい。
今、比較対象として挙げられている男は王立学園始まって以来最も剣技と乗馬技術に優れた、騎士になるべくして生まれたような男なのだ。
そんなギルの早駆けを味わってきたばかりのツバサに、乗馬においてラヴィニアが対抗出来るカードなどない。
「私は……あまり得意ではないわ」
「そうなの?」
「問題ない。ラヴィニアのことは俺が乗せて走るから」
ツバサがしきりに母に強請っていると、ギルがあっさりと言ってラヴィニアを抱きしめる。すると案の定ツバサはむっと眉と唇を寄せた。
「ギルさんは体が大きいからってお母さんのことを抱っこしすぎじゃない? 私だってぎゅっと出来るし!」
「でもまだラヴィを乗せて馬で走ることは出来ないだろ?」
「それはギルさんのほうが年上だからだもん。おとなげないと思います!」
あらら? とラヴィニアは首を傾げる。
先程まで子供同士の悪友のように戯れていたギルとツバサだったが、今はお気に入りのオモチャを取り合うライバルのようにいがみ合っている。
ラヴィニアがこんな風に王城の魔術師達とざっばらんに話が出来たら、どれほど助かることだろう。
そんなことは無理だと分かってはいるが、幼い子供のようにラヴィニアを取り合っている二人を見ているとなんだか気持ちが軽くなってきた。
「もう、ケンカしないで」
「お母さんは私とギルさん、どっちの馬に乗りたい!?」
いつの間にかそんな話になっていたらしい。
ラヴィニアは思わず子供のように屈託なく笑い、夫と娘の両方の頬にそれぞれキスをした。
「私は一人で乗るから、あなた達は二人で乗りなさい!」
「ええー!!」
「ラヴィ!?」
ツバサとギルの悲鳴が居間に響き渡り、茶器の乗ったワゴンを押して部屋に入ってきたアンジェリーナはいつも通りの和やかな光景に静かに微笑むのだった。




