50.戦う決意
「……ラヴィも覚えていてくれ。ラヴィが何を選ぼうと、俺はずっとお前と一緒だ。もう二度と離れる気はない」
「なぁに、それ」
やけにシリアスな言い方に、ラヴィニアはつい微笑む。しかしギルの瞳は意外な程真剣な色をしていた。
「もし次にどこかに行く時は、必ず俺も連れていってくれ」
「……どこかって?」
「わからない。でも、どこに行くとしても、俺はラヴィニアについて行く。何を捨ててでも」
「……」
なにと言ったらいいのか分からなくて、ラヴィニアは口を噤む。それを和らげる為にか、ギルは殊更明るく言った。
「もう騎士としては十分に実力を示せたと思っている。ツバサのおかげで部下達を死地へ送ることも無くなったし、俺がいなくなってもあいつらならやっていけるだろう」
「……なんだか、お別れするみたいな言い方ね」
さっきはあんなに通じ合えていると思えたのに、今はギルが何を考えているのか分からない。ラヴィニアは、ギルに自分のように家や地位を捨てさせたくないのだ。
幸福て満ち足りたギルのままでいて欲しいのに。
「一隊に行けばそうなる。それにもしラヴィニアはあの村に戻りたいなら、あそこでの暮らしも悪くないだろ?」
「……別に、村に戻りたいなんて言ってないけど」
嘘だ。
あの村での暮らしは、貧しいがラヴィニアを脅かすものはなかった。
アキトに対して恐怖を感じている今は、咄嗟にあの村での暮らしに戻りたいという考えが掠めなかったと言えば嘘になる。あの村でギルとツバサと共に暮らすのは、楽しいに違いない。
ツバサの聖女のとしての現状を考えれば、それは不可能なことは分かっているが、考えるだけなら自由だ。
ラヴィニアはギルの考えは分からなくなってしまったのに、彼の方ではお見通しらしい。
「勿論、今の生活をラヴィニアが捨てたいわけじゃないことは分かってる」
穏やかな声にそう言われて、思わずこくこくと頷いた。
アウローラ達にすぐに会えて、ツバサと気軽に王都をショッピング出来る、穏やかな日々。この生活を、勿論気に入っているのだ。
「ただ覚えておいて欲しいだけだ。ラヴィの行くところに、俺も一緒に行く、と」
「ギル……」
ラヴィニアはたまらない気持ちになって目を閉じた。ギルの腕が腰から背中に上がり、座った姿勢のまま正面から抱き寄せられる。
「二度と一人にはさせない」
ギルの力強い言葉に、思わず目頭が熱くなった。
結婚してから、ギルは毎晩ラヴィニアを抱きしめて眠るようになった。ラヴィニアは魔力貯蔵器官を失った影響なのか、いつも手足が冷えていて冬にはベッドの中ですら寒くて震えてしまう。
そして村で暮らしていた時はツバサと一緒に眠っていたが、それでも度々悪夢をみては目覚める日々を送っていた。
だがギルの長い手足に抱きしめられて、彼の穏やかな呼吸を聞きながら眠ると体はとても温かく、怖い夢は一度も見なかった。
月の光すらない暗い夜でも、ギルが抱きしめてくれていれば恐ろしくなかった。
五年前、王都を放り出された夜にはエイデンの灯してくれた光だけが頼りだったが、今はギルがいてくれて、暗い夜も怖くない。
繰り返し告げてくれる愛の言葉と、優しく触れる手のひら。温かいキス。蜂蜜に砂糖をコーティングしたかのような、甘い眼差し。それら全てが、ラヴィニアを優しく甘く包んでくれるのだ。
「……どうしようも無くなったら、一緒に逃げてくれる?」
「勿論」
何に怯えているのか、ラヴィニア自身にも分からない。だた漠然とした不安が、ずっと心に掬っているのだ。
数々の疑問と、王城内の不自然な動き。まるで激しい嵐の中の木の葉のように、ラヴィニアは揺れ動き、自分を翻弄するものの正体を見極めることが出来ない。
五年前から、ずっと。
それでも、この男が今度こそずっとそばにいてくれるというのならば、その愛がラヴィニアを強くしてくれる。何ものにも負けず、戦うことが出来る。
「ラヴィを守るよ」
ギルの言葉を、ラヴィニアは受け取った。
そう、一緒に逃げてくれるという最愛の男がいるのならば、ラヴィニアは逃げずに立ち向かうことが出来るのだ。もう、五年前のラヴィニアとは違う。
「うん。そうね、でも守るだけじゃなく、一緒に戦って欲しい」
ラヴィニアの言葉に、ギルは分かっているとでもいうように静かに頷いた。
茶会の際に、アキトが奇妙な視線でツバサを見ていたことを思い出す。
あれは嫌な視線だった。なにか恐ろしいことを考えているのでは、と漠然と不安になったのだ。
そしてその視線は、ローザ・メイヤーがラヴィニアを見ていた視線によく似ていた。
何故アキトを見ているとローザを思い出すのか分からない。だが、ラヴィニアは今まで目を背けていた疑念への糸口を掴んだのではないか、という予感があった。
やけにローザを優遇していた当時の魔術師団長、なのに事件が発覚すると誰も彼女を庇うことはせず性急に進められた処刑。
ローザの奇妙な行動を証言出来る筈の当時の第三隊に、『急遽』割り振られた『急ぎではない』討伐任務。
ラヴィニアだって、ギルのことを守る。ギルだけじゃなく、家族も、友人も、そして何より幼い娘を必ず守る為にどれほど恐ろしくとも、この五年前から心に巣食う疑念を解き明かす為に戦うべきなのだ。
だってラヴィニアは、ツバサの母親なのだから。




