5.残った罪と失われた力
突然話しかけてきた彼女は、自分の明るい茶色の髪を忌々しげにバサリと払う。
随分と悪意に満ちた口調だ。
「……」
驚いたラヴィニアが本を抱えて黙っていると、その女魔術師はフンと鼻を鳴らした。
「あなた達は新人だから知らないでしょうけれど、彼女はラヴィニア・ダルトン。あなた達の先輩よ」
「ダルトン……?」
「え、あのラヴィニア・ダルトン?」
女魔術師の周囲にいた他の魔術師達は、どうやら彼女の後輩らしい。彼らは視線を泳がせて戸惑っている。
ラヴィニアの顔は知らなくても、かつてのダルトン伯爵令嬢の罪は知っているのだ。
「そう! 魔族召喚に失敗して、魔力貯蔵器官を失った哀れな女よ!」
声高に宣言し、彼女は愉悦に彩られた笑顔をラヴィニアに向けてくる。
禁忌とされる、魔族召喚。
王城魔術師であり、当時のラヴィニアの直属の上司だったローザ・メイヤーという女性。
五年前にそのローザ・メイヤーは、魔術師にとってもっとも重要なものを媒体に、禁忌の魔族召喚を試みた。そうと知らずに騙されて媒体に使われたのは、ラヴィニアの魔力貯蔵器官だった。
しかしどこを間違えたのか、その召喚は失敗に終わる。
事件の首謀者であるローザ・メイヤーは即刻処刑、媒体に使われたラヴィニアの魔力貯蔵器官は失われて罪だけが残ったのだ。
今はそれよりも、ラヴィニアには気にかかることがある。
「……というか、あなた誰? 記憶にないんだけど」
そう、ラヴィニアには彼女の顔も名前も見覚えがなかったのだ。まるで顔見知りのように朗々と喋るものだから指摘が遅れてしまった。
しかし、それは彼女を激昂させるには十分だったらしい。顔を真っ赤にして、恐ろしく形相を歪める。
「あなたの同期のユリア・ジェンダンよ! 忘れたなんて言わせないわよ!」
「……ジェンダン男爵家にそんな名前の令嬢がいたわね。あなたなの? 私が王城に上がった年は魔術師採用が多かったし、私は半年で追放になったから交流のない人は覚えていなくて」
ううん、とラヴィニアは唸る。
採用人数が多かった分、ブライトンのように綺羅星のごとく目立つ同期も複数おり彼らばかりが目立っていたので、話したことのない者のことまでは覚えていなかった。ちなみに綺羅星の中にはラヴィニアも入っている。そして所属していた時間が短い、というのも大いに関係していた。
当時の直接の上司にあたるローザ・メイヤーは、ラヴィニアが王城に入ってすぐ声を掛けてきたのだ。
「この……! あなたのその思い上がった態度があの悪行に結びついたのよ!!」
ユリア・ジェンダンはそう叫んだが、ラヴィニアには飲み込みにくい。
魔術師となった当時、己の才能に思い上がっていたことは事実だが、喋ったこともないユリアのことを忘れていたことまで一緒に糾弾されるのは巻き込み事故だろう。
「……それとこれとは別だと思うけど」
なので素直に口にすると、ますますユリアは眉を吊り上げた。
「お黙り! あなたときたら、五年も経ったのにまだ驕り高ぶっているのね! ギル様もあなたなんかを見捨てて正解だったわ」
「……ギル・カーヴァンクルの話は無関係なんじゃない?」
ラヴィニアはため息を押し殺して返事をした。
五年前もそうだった。あの頃ギルと親しかったラヴィニアには城中の女性からの嫉妬と羨望の目が向き、嫌がらせを受けることも多かった。
「思い上がった態度がギル様に相応しくない」
「派手な顔立ちが下品で、ギル様の品位を損ねる」
などはしょっちゅう言われたことだ。
ラヴィニアが気が強いのも顔立ちがキツいのも生まれつき、ギルとは関係がないというのに何かにつけてそのことを持ち出されては辟易した記憶が蘇る。
「あら、さすがの悪女もギル様には未練があるのね?」
ユリアはニヤリと笑う。
「話が通じない女ね……」
話が通じないな、と思った瞬間口からもポロリと漏れてしまい、ラヴィニアは流石に顔を顰めた。あまり目立ちたくなかったのに、ユリアの怒りの火に油を注ぐのは得策ではない。
案の定ユリアはさらに大声を張り上げる。もはや彼女はここがどこなのか忘れてしまっているようだ。
「ラヴィニア・ダルトン! あなたのその思い上がり、ここで正してあげるわ!」
ユリアが魔術を展開し始めたことを肌で感じ取って、ギョッとする。
ラヴィニアが魔術貯蔵器官を失ったことをユリアが知っているのは、先ほどの発言からも明らかだ。となれば一般人同様のラヴィニアに向かって魔術を放つのは、魔術師としてやってはならないこと。おまけに、ここは訓練場ではなく魔術書庫だ。貴重な文献が山ほどある場所で、信じられない行いだった。
いくら腹を立てたからといって、そんなことをする程迂闊な人物なのだろうか、ユリア・ジェンダンは。
「ちょっと! 落ち着きなさい!」
「あなたの言うことなど、聞くものですか!!」
ユリアは吠えて、魔術を指先の一点に集中させる。緊張が高まり、ユリアの周囲にいた後輩達は慌てて逃げていった。どいつもこいつも役にたたない。
仕方なく、ラヴィニアは首から提げた魔法石を握った。この中には魔力が蓄積されていてそれを使うことよって、今のラヴィニアであっても弱い魔術程度ならば行使出来るのだ。今日は一度、扉を引きちぎられた際に防御魔術の為に使ってしまっているが、石の中に残された魔力で足りるだろうか。
いよいよ魔術が放たれそうになって、ラヴィニアも覚悟を決めた。
が、
「何をしている」
突然現れたギルがユリアの腕を強かに打ち、魔術を霧散させる。暴発させないギリギリのタイミングであり、その手腕は見事だった。
ギルはラヴィニアを庇うようにして立ち、ユリアを一喝した。
「魔術書庫で、一般人に向けて魔術を打つつもりだったのか? ふざけるな!!」
「ギ、ギル様……!」
冷たい碧眼がユリアを見下ろし、それに耐えきれなくなった彼女は床に膝をつく。まるで憑き物が落ちたかのような劇的な、そして奇妙なほどの変化だった。
そこにようやく、騒ぎを聞きつけた司書と警備の者がバタバタとやってきた。
「カーヴァンクル卿!」
「ご無事ですか!!」
彼らにも冷たい視線を向け、ギルは指示を出す。
「ユリア・ジェンダンを拘束、魔術を無力化しておけ」
「は、はい!」
「ちょっと! やめなさい、私に触らないでよ!」
ユリアは抵抗したが、屈強な警備兵に拘束され引きずるようにして連れて行かれた。後に残されたのは、ギルとラヴィニアだけだ。
「……大丈夫か」
「ええ……私も、五年前は必死に抵抗してもああやって連行されたなって……思い出しただけ」
ラヴィニアが唇を歪めて言うと、ギルは目を細める。その様子も気の昂ったラヴィニアには不快だった。
「あなた、ずっとそうやって物言いたげに顔を顰めているわね。言いたいことがあるのなら、ハッキリ言ったらどうなの? らしくないわよ、ギル・カーヴァンクル」
厳しい声でラヴィニアが指摘すると、流石にギルも顔を顰めた。
「お前は……相変わらず無意識に人を煽るような物言いをする。そのままでは城中の火種になりかねないぞ」
「忠告どうもありがとう。でもお生憎様、私とツバサはさっさと城から出ていく予定よ」
「何故態度を改めようとしない? 先ほどのユリア・ジェンダンの件でも……」
「私が悪いとでも? 勝手都合で城から放逐されて、また勝手都合でここに連れ戻されたのよ。なのに、私に悪感情を持ってる城の者相手に、私が気遣ってあげなさいって叱られているのかしら?」
ラヴィニアの皮肉っぽい言い方に、ギルは視線を泳がせる。
馬鹿馬鹿しい。何故ラヴィニアがかつて自分を捨てた奴らに忖度する必要があるのか。
「……五年前の件は私も被害者の一人よ。誰もそれを信じてくれず切り捨てられたのに、私が城の者を恨んでないとでも思うの? 私が、平気でこの五年生きてきたとでも?」
言葉は熱を持つが、ラヴィニアの心はどんどん冷えていった。
五年前も、こうして必死に言い募ったが誰も聞いてはくれなかった。ギルに至っては、その場にいなかったのだ。
誰も信じてくれない孤独を、ラヴィニアは散々味わった。
「お母さん!」
「……ツバサ」
いつの間にかツバサが近くまで来ていて、ラヴィニアの腰に抱きつく。見れば、彼女の後ろにはガルムも付いてきている。ぎゅっとくっついてきた小さくて温かい娘に、ラヴィニアから力が抜けた。
ラヴィニアを信じて、愛してくれたのはツバサだけだ。だからラヴィニアには、ツバサだけが大切なのだ。
「……訳知り顔で、私に説教しないでちょうだい」
キッパリと言うと、ギルの表情が強張った。
その後すぐに、助けてくれた礼を言いそびれたことにラヴィニアは気付いたが、もうどうしようも出来なかった。