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魔女の凱旋  作者: 林檎
42/73

42.遠くまで(過去編終了)

 


 そう告げると、アウローラは離さないとばかりに抱きしめる力を強めた。

 ラヴィニアは彼らのことを愛しているが、その手を手放さなくてはならないのだ。愛しているからこそ、迷惑はかけられない。

 道連れにしたいぐらい愛した男には、既に手を離されてしまった。

 ここから先は、一人で歩まなくてはならないのだ。

 職を失い、家を失い、恋も失くした。ラヴィニアの手元には、もうなにも残っていない。

 放す様子のないアウローラに、クラウドが見兼ねて声をかける。


「……ローラ。お前も無理して来てるんだろう、ここは聞き分けろ」

「悔しいわ……私にもっと権力や力があれば、大事な人を守れたのに」


 アウローラは泣き腫らした顔を隠しもせずに真っ直ぐにラヴィニアを見つめてきた。大きな緑の瞳は、涙に濡れていても美しい。

 それからクラウドが、懐から小さな袋を取り出した。


「少ししかないが、路銀に使え」

「私も。なるべく換金しやすいように、小さな装飾品を選んで持ってきたわ」


 彼を見て、アウローラも慌ててドレスの隠しからずっしりと重い袋をラヴィニアに無理やり持たせる。


「もらえないわ、こんなの……」

「あげるんじゃないわ。貸すだけ! いつか……いつか、返して。絶対に、返してね」


 袋ごと握られた手が、震えている。

 アウローラの瞳からは絶えず涙が零れ、クラウドはずっと顔を顰めていた。彼も泣くのを我慢しているのだ。

 ラヴィニアは処刑されるわけではないのだから、今生の別れとは言えない。でも、これから王都でそれぞれに大きな役目を果たしていくのであろう二人にとって、罪人と関わることを周囲が止めることは明らかだった。


 アウローラは公爵夫人になり、クラウドはきっと宰相になる。

 その頃にはラヴィニアと関わることが許されない立場となっているだろう。そして今はまだひよっこである彼らには、ラヴィニアを庇う程の権力も力もない。

 力がないからラヴィニアを助けられないのに、力を得た頃にはラヴィニアとは関係を絶たなくてはいけない立場になるのだ。

 つまり、互いに生きていたとしても、これが事実上の今生の別れになる。


「うん……いつか、返すね」


 だからラヴィニアは嘘をついた。当然その意味が分かるアウローラは、ますます泣きじゃくる。

 でもその嘘の約束を守る為に、ラヴィニアは自ら命を絶つことだけはしない、と親友の涙に心の中で誓った。

 自分を愛してくれてた、大切な友人達。ラヴィニアが生きていることが彼らの望みならば、それだけは叶えたい。


「……いつまでもここにいるわけには、いかないわね」


 ラヴィニアがぽつりと呟くと、アウローラは涙を拭って無理矢理微笑んだ。最後に見る彼女の美しい顔が、笑顔で嬉しい。

 クラウドがそっと身を屈めたので、優しく抱擁を交わす。


「クラウド、ギル、は……」

「俺にも分からない。何度も連絡しているが、返事がこなくて……」

「……そう」


 ラヴィニアが自分から訊ねるまで、クラウドはそのことを伏せておきたかったのだろう。小言が多くてうるさいが、不器用で優しい男だ。

 ラヴィニアは生まれにも才能にも恵まれ、しかしそのなにもかもを失ったと思っていたが、素晴らしい友が残っていた。

 彼らとはもう二度と会うことは叶わないだろうけれど、彼らがどこかで元気に生きている、と思えばそれがラヴィニアの心を温めてくれる。

 アウローラへローブを返そうとすると、頑なに受け取ってくれなかったので仕方なくこちらも借りることにした。正直、着の身着のままなのでローブはとてもありがたい。


「ラヴィ。愛してる。私があなたを誰よりも愛してることを、忘れないで」

「……私も、ローラのことが大好きよ」


 重いものなど一度も持ったことのないアウローラの手が、精一杯の力でラヴィニアを抱きしめる。この温かさをきちんと覚えておきたくて、ラヴィニアも縋るように抱きしめ返した。

 やがて門番に促されて抱擁を解くと、ラヴィニアは王都の外へと出る。

 他の外門に比べて小さな門ではあるが、きちんとした跳ね上げの門扉だ。日中は正面の大きな門を開いているが、深夜の現在は脇にある木戸を潜るだけだった。

 まるで夜逃げのような状態に、まさにそうだった、とラヴィニアは皮肉な気持ちになる。


「どうか元気で、生きていて……!」


 門番によって無情に木戸が閉じられる最後、アウローラの悲痛な声が聞こえた。

 バタン、と音をたてて扉は閉じられてしまい、ラヴィニアは一人外の世界へと放り出される。

 ふと頬に触れると濡れていて、いつの間にかラヴィニアも涙を零していた。月も星もない、暗い夜道。途方に暮れるにはぴったりの状況だ。


 職も家も力も、最愛の男も失った。でも大切な友人が「生きて」と言うのなら、それだけは全うしたい。

 涙を拭って、ラヴィニアはローブのきちんと着込み、借りたお金や装飾品を小分けにして服の中やローブのポケットに分散して隠した。

 なるべく広い街道を歩いて、陽が昇って外門が開く時間に辿り着ける街がないか、頭の中に地図を広げる。

 確か方角でいえば西に、該当する中規模の街があった筈だが、まずは傷つき体力の落ちた体で、そこまで無事にたどり着けるかどうか、だ。


「……でも、行かなきゃ」


 もう一度だけ自分を奮い立たせる為に呟いて、ラヴィニアはのろのろと歩き出した。

 この萎えた脚ではどれぐらいかかるか分からないし、運悪く野盗や魔物にでも出くわせば一巻の終わり。

 一歩進むごとに挫けそうになる体と、闇への恐怖で竦みそうになる心をなんとか無理矢理動かした。

 王都の門の周辺は人為的に木々が植えられていて、小さな森のようになっている。そこを抜けて街道に辿り着くと、ラヴィニアはハッとした。


「……灯り?」


 遠くまで続く平たい街道と左右に広がる田畑。その間を細い線のように、柔らかく小さな光が足元灯のように照らしていたのだ。


「なにこれ……? ……魔術?」


 屈んでよく見ると釣鐘型の小さな花が連なって咲いていて、その中がほのかに光っている。こんな不思議な花を、ラヴィニアは見たことがなかった。


「……ひかる、花……」


 呟いて、ラヴィニアの瞳からまた涙が零れる。

 もう随分前のように感じるが、以前エイデンと話した言葉を思い出したのだ。彼は、夜に光る花を咲かせたい、と言っていたではないか。


『街道脇に咲いて、旅人の夜の道行を照らしてあげたいんだ』


 光る花は完成していたのだ。さすが天才錬金術師であるエイデン。自慢の友人だ。

 それをどうやってこの短期間で街道に植えたのか、政治的にも物理的にも問題が山積みだっただろう。ラヴィニアには想像もつかないが、しかしエイデンはいつの間にかその難問をやり遂げていたのだ。

 見通しのいい、遮るもののない街道。月も星もなく光の差さない暗い夜道を、エイデンの光がずっと先まで照らしてくれている。


「ほんとうに……夢のように綺麗よ、エイデン」


 何度も何度も目元を拭いながら、ラヴィニアはゆっくり一歩ずつ歩き出す。


 遠くまで。



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