4.魔術書庫にて
後に残されたのはラヴィニアとツバサ、そして手伝いを申し付けられたガルムという名の新人魔術師だった。
ちなみに、ギルは随分前に応接室から出ていったきりだ。正直彼にはあまり近づきたくなかったので、出て行ってくれてホッとしている。
「……よろしくね、ガルム」
「はい。何なりとお申し付けください」
ラヴィニアが声を掛けると、朗らかな声が返ってくる。
ガルムは薄い灰色の髪に、同じ色の瞳。わざとそうしているかのように印象が薄いのは、ブライトンと同じだ。
そうなると魔術師というのも怪しい。ブライトンの子飼いの諜報員かもしれない。
それはそれとして、どこから取り掛かるかと思案しながら、ラヴィニアは傍らの娘を覗き込む。
「……ツバサ、あなたは部屋でゆっくりしてていいのよ」
「お母さんと一緒にいる」
固い声で呟いたツバサは、ぎゅっとラヴィニアの服の裾を摑んだ。
普段のツバサは好奇心旺盛で、新しい場所に来たらチョロチョロと動き回って難儀するのだが、今は随分と緊張している。
それならばしばらく滞在することになった客室棟で休んでいた方がツバサにとっては心休まるだろうか、と考えたのだが、違ったらしい。
「黒髪黒目は珍しいし報せが行ってるだろうから、皆一目であなたが聖女だってわかる筈よ。誰もあなたに危害を加えたりしないし、怖くないのよ?」
一応そう言ってみたが、ツバサは頑なに首を横に振り続けた。
この魔術書庫に来るまで廊下を歩いて来る道中も、書庫に付いてからも、ラヴィニアを監視するような目があちこちに感じられるのだ。
将来を嘱望されていた才能のある魔女。しかし五年前に起きた事件の片棒を担いだ悪女。そして今や聖女の母としてもう一度王城にやってきた、得体のしれない女。
当時のラヴィニアを知る者からの悪意や嫌悪は勿論、知らない者からの好奇の視線も存分にある。
ツバサはそれを敏感に察して、ラヴィニアから離れたがらないのだろう。本当に優しい子だ。
手伝い役のガルムは、ブライトンが付けてくれただけあって負の感情は表面には出していないが、勿論上司から監視報告を任されているのだろう。
誰も信用出来ない状況にあって、ツバサがラヴィニアの側にいたがるのは当然か。
「じゃあ……せっかくだから、ツバサも魔術の教本を読んで勉強する?」
「うん」
田舎の村では手に入らなかった教本が、ここにはたっぷりとある。
聖女の件を抜きにしても、魔術の素養に秀でたツバサは自分の魔力を制御する為に勉強をしておいて損はない。
「ガルム、魔術の初級教育の教本を何冊か見繕ってきてくれる?」
「はい」
ラヴィニアが言うと、ガルムはすぐに書棚の向こうへ去って行った。
出入りする魔術師達の前に悪目立ちすることは避けたくて、せめてと少し奥まった場所に接地された机を使っている。
まだ昼になっていないこの時間には書物を探しに来る者も少ないのか、部屋は静かで窓から差し込む光が柔らかい。
ツバサを椅子に座らせるとラヴィニアは自分もその隣に座って、ここに来るまでに書架からピックアップしてきた本の一冊を開く。
そのページを横からツバサが覗き込んできたが、ぱしぱしと瞬きを繰り返した。
「お母さん、これ文字? 全然読めない……」
「これは昔の文字だから、いつも使ってるのとは違うのよ」
途方に暮れた様子の娘の頭を、ラヴィニアは優しく撫でる。
ツバサには日々の生きる術と大陸共通文字は教えていたが、この魔術書に書かれている文字は大陸共通文字ではなく古代文字なので読めなかったのだ。
魔術を勉強していけばその内覚える必要があるが、ツバサが魔術師にならない場合は知らないままで構わない。
そんなことを話していると、何冊か教本を抱えたガルムが戻ってきた。
「お待たせしました。どうぞ、聖女様」
そう言って、ガルムは恭しくツバサの前に教本を置く。それに対して、ツバサはムッと眉を寄せた。
「ガルムさん、私、聖女様っていう名前じゃありません。ツバサよ」
「……失礼しました……ツバサ様」
にっこりと微笑んで訂正したガルムだったが、ツバサはまだ警戒を解いていないらしくラヴィニアの体に隠れるようにして教本を開いた。
「こっちは読める!」
ガルムの持ってきてくれた教本はツバサにも十分読めて理解出来る内容だったようで、彼女はラヴィニアの隣で熱心に読み始めた。
時折ラヴィニアの為に用意された紙にメモを走らせる様子もあり、元々魔術の研究が大好きなラヴィニアとしては自分と同じように魔術に熱心になってくれる娘が嬉しくて誇らしい。
その後、しばしラヴィニアとツバサはそれぞれの学習に熱心に取り組み、時間が過ぎる。書架を背に立つガルムは、退屈した様子もなく静かに控えていた。
何かを探してパラパラとページを捲っていたラヴィニアは、唇を尖らせて本を閉じる。肝心の部分で記述がなかったのだ。
立ち上がると、ガルムが身動ぎしたので手で制した。
「追加の魔術書を探してくるわね」
「私が……」
「人に頼んでいては的を得たものを見つけられないから、自分で行くわ。あなたはツバサに付いていてあげて」
ラヴィニアが微笑んで頼むと彼は一瞬だけ悩んで、しかしすぐに頷く。やはりガルムの役目は手伝いよりもツバサの、聖女の監視及び護衛が仕事のようだ。
その場に止まったガルムにツバサを任せて、ラヴィニアは書架を目指す。大体の本の配置は、五年前とさほど変わっていなかった。
五年前。騙されていたとはいえ、ラヴィニアはローザ・メイヤーと共に魔術書庫に熱心に通い、魔術書を読み漁った時期があった。そのおかげで王城を追放された後も、その魔術知識は豊富でいられたことは、ひどい皮肉だ。
古い本の香り、書架の間に設けられあ窓から注ぐ光、静かな空間ながら遠くに聞こえる喧騒。何もかも懐かしく、そして今のラヴィニアにとってはそれら全てが遠い。
目的の書架に辿り着き、何冊か抜き取って確認する。
聖女の代わりになる方法だなんてブライトンの言った通り、一朝一夕には浮かばない。それでもいくつか類似する論文があったので、それらをまず精査するつもりだった。
時間はなく、課題は多い。けれど道は前にしか進めない。ラヴィニアの何を引き換えにしても、ツバサを戦場に出すことだけは阻止するつもりだ。
そのまま本の中身を確認していると、気付かぬ内に時間が経ってしまっていたらしい。
ガヤガヤと複数の人がやってくる気配がして、ラヴィニアはなるべく目立たないように書架に隠れた。しかし自分ではあまり自覚がないが、ラヴィニアの赤い髪と容貌は目立つ。
通りかかった女魔術師がラヴィニアに気付き、不快げに目を細めて立ち止まった。
「ちょっと、いやだ。本当にいるのね、ラヴィニア・ダルトン!」