36.天才魔術師
「ひっ……!」
ラヴィニアの口から、短い悲鳴が漏れる。
だが鋏はしっかりとその薄い腹に刺さっているものの、肉体を傷つけてはいない。それが、この金の鋏がラヴィニアの知る『本物』だと分かり、半狂乱になった。
「いやっ! やめて! やめて、抜いて!! いやっ……!!」
「うふふ、いい悲鳴だわ。あなたみたいな苦労知らずのお嬢ちゃんの苦痛に歪む顔は、本当に見ごたえがあるわ……」
ぐり、と鋏を回されて、肉体にダメージはないがラヴィニアには確かに痛みがあった。
魔術師が生まれながらに持つ、物理的な臓器ではない魔力貯蔵器官、この金鋏はその器官を魔術師から抉り取る為の魔術具なのだ。
名はそのまま、『魔女殺し』。
大昔に悪事を働いた、大罪人である魔女を『処刑』する為に錬金術師によって造られた、国宝だ。
魔力貯蔵器官を取り除かれた魔術師は、心身のバランスを崩し遅かれ早かれ何らかの方法で命を落としている。亡くなった理由は様々だが、魔術師として生まれたものにとっては通常の処刑よりも惨たらしい効果があるのだ。
現代ではそんな非人道的なことはすべきではない、と考えられて、王城の宝物庫に収納されている筈のもの。
有名だが、実際に目にする者はいないであろう、尊き処刑道具。
「ッ痛い! イタイ!! 抜いて! やめて! 取らないで……私から、それを奪わないで…!!」
ラヴィニアは力の限り泣き叫んだが、ローザは暗い笑みを浮かべて『魔女殺し』でぐりぐりと弄り、やがてなにかを掴んでゆっくりと持ち上げる。
「あ……」
もう、声にならない。
ラヴィニアは、自分の体がメリメリとおかしな音をたてているのを聞いた。金鋏がラヴィニアの腹から若木を割くような音を立てながら引き抜かれ、その刃先には白く光る何かが挟まれている。
それが、ラヴィニアの魔力貯蔵器官。
「いや……いやぁ……」
「喜んで、ラヴィニア? あなたは歴史的な出来事の発端、その生贄となれるのよ」
ローザがなにか言っているが、今まで体の中に在ったものを無理矢理取り出されたばかりのラヴィニアはそれどころではなく、脱力して床に倒れ込んだ。
身がバラバラになっていないのが不思議なぐらいだ。
上も下もない、あらゆるところから音が聞こえ、それが自分の金切り声だと気づく頃には全身にびっしょりと汗を掻いている。
ぐるぐると世界が回り、今がいつなのか、ここがどこなのか理解出来ない。
自分が何者なのか、さえも。
「若くて強い魔力なら、誰でもよかったけど……あの日、あなたが魔術書庫に来てくれて嬉しかったわ。私は、あなたの苦痛に歪む顔が見たかったの」
ローザにそう言われて、ラヴィニアは床に倒れた姿勢のまま虚な瞳で彼女を見返した。
なにも理解出来ないラヴィニアにとって、なにを言われても意味など成さない。
歌うように言いながら、ローザは取り出したばかりのラヴィニアの魔力貯蔵器官を特殊なガラスの器に入れる。それからランプの灯りでしっかりと魔術紋様を確かめ、慎重に決められた場所にそれを置いた。
それらをただ横たわって見つめていたラヴィニアだったが、僅かな動きでかちゃり、と首から提げた首飾りが音を立てたのを聞いてそちらを見た。
ころりとラヴィニアのデコルテ部分に転がった魔法石は、美しい碧色。金のインクルージョンが僅かなランプの光を受けてとろりと光った。
「!」
その瞬間、ラヴィニアは皆とした約束を思い出す。自分を愛していると言った、男の顔を、思い出す。
自分が何者なのかをはっきりと思い出したラヴィニアは、軋む体を動かそうと試みたが元より手足を拘束されている。先程魔力貯蔵器官を抜き取られた時に再び床に倒れてしまっているし、もう一度起き上がる力はもう体に残っていなかった。
文字通り、手も足も出ない状態だが頭なら動く。伊達に『天才』と称されていない。魔術が使えなくなっても、最後の一瞬まで足掻き続けるまでだ。
生贄を置く際にローザがあれほど紋様の位置を確かめていた、ということは少しでも位置を間違えたら失敗してしまう術なのだ。
だったら、成功だけはさせない。ラヴィニアの魔力貯蔵器官を使って、ローザに魔術の成功なぞさせてやるものか。
「邪魔よ、おどきなさい」
ローザは、ラヴィニアが動けず大人しくしているのをいいことにその体を蹴って紋様の端に追いやると、次々と術の準備をしていく。魔物の臓器、牙、別のガラスの器には目玉もある。
それらを順に魔術紋様の上に置いてゆき、畳まれた紙片を取り出すと魔術詠唱を始めた。
紋様を描くのは魔物の血で、それは醜悪な匂いを撒き散らしていたがラヴィニアは構わず自分の口の中を噛んで傷つけると、無理矢理自ら血を吐いた。
手が自由ならばもっと方法はたくさんあるが、今使えるのはこれしかない。何度かに分けて血を吐くと、ラヴィニアは床に頬を擦り付けるようにして、あらかじめ書かれている魔術紋様に上書きを施した。
「なにをしている!!」
ようやくラヴィニアのしていることに気づいたローザが、詠唱を途中で止めて叫ぶ。
だがもう手遅れだ。ラヴィニアは自らの血と魔物の血で汚れた顔で、わざと高慢に笑ってやった。
「分からない? あなたの邪魔をしているのよ、ローザ・メイヤー!」




