32.魔法石と求婚
次に目覚めた時には、ラヴィニアは王城の救護室のベッドの上にいた。白いカーテンの向こうは夕方に差し掛かっている。
傍らではギルがベッドに突っ伏すように眠っていて、サイドテーブルには豪華な見舞いの品といくつかの書類。
「……ギル」
「ラヴィ!」
そっと名を呼ぶと、彼はすぐさま目を覚まして体を起こした。
座っている椅子がギシリと悲鳴を上げる。鎧こそ脱いでいるが、彼は討伐任務の際と同じ格好だった。
あれからずっと、付き添ってくれていたのだろうか。
「大丈夫か、ラヴィニア……」
「うん……ちょっと体がギシギシする」
「それは丸一日寝ていた所為だ。救護専門の魔術師が回復魔術を掛けてくれたから今はないが……倒れた際に傷が出来て、その時に結構出血した分は補えていない」
それを聞いてラヴィニアは驚く。今日は討伐任務の日の夕方だと思い込んでいたが、一日経っていたらしい。
それからギルの手を借りて、ゆっくりと身を起こした。途端、クラクラと目眩がするのは貧血の所為だ。あとふくらはぎの辺りの皮膚が引き攣れるような感覚があるので、怪我をした箇所はここだと知れた。
傷は塞がっていても、新しい皮膚がまだ体に馴染んでいないのだ。
「ん……」
ギルの手のひらが、こめかみから頬へと撫で下ろす。冷えた指先が心地よくて、ラヴィニアはぐいぐいとそこに頬を押し当てた。
「目眩がするか?吐き気は」
「起き上がった時に目眩がちょっと……今は平気。吐き気はないわ」
「そうか……抱きしめても、いい?」
「うん」
頷いてラヴィニアの方から腕を広げると、ギルはベッドに座って身を捩って抱きしめてくれた。魔物に襲われた恐怖が、力強くて温かい彼の腕の中にいると和らいでいく。
「……怖かった。私、あの場で硬直するなんて、本当にバカだったわ」
その可能性は十分に考慮していたのに、結局硬直してしまった。ラヴィニアは情けなくて目頭が熱くなる。
「俺も……あのままラヴィを失ってしまうんじゃないかと思って、恐ろしかった」
「ギルも?」
「うん」
ギルの唇が労わるように、ラヴィニアのつむじやこめかみにチュッと音をたてて触れては離れていく。この感触を失う、と仮定で考えて見れば、確かにゾッとする。
自分が恐ろしかったのは自業自得としても、愛する人まで傷つけてしまったのだ。
「ごめん、ギル……」
「いや……あの場で、助けに駆けつけられなくて、こちらこそすまない」
騎士失格だとギルは悔いるが、隊列の位置的にギルはかなり遠いところに配置されていたので仕方がない。
「あの魔物はどうなったの?」
「ラヴィの水魔術で倒されたよ」
「あれで……?」
魔法石に込めておいたのは魔術書とよくよく睨めっこしてあの魔物に効くのではないか、と予測していた水魔術だった。
倒せる程威力が出るとは思っていなかったが、ローザの主張通り魔物の種類によって同じ属性の中でも特に効果的な術があるようだ。これで一つ、研究結果が得られた。
とはいえ、その度にこんなことになっていては命がいくつあっても足らない。方向性は正しいとしても、実証方法に関してはもっと考える必要がある。
研究に気を取られていると、ギルに意識をこちらに向けるように、と頬にキスをされた。
「ギル」
「すぐにお留守になる」
「う……ごめん」
「うん。だから、俺も今回のことで懲りた」
「え……?」
ヒヤリ、とラヴィニアの胸が冷える。彼のことをそっちのけの恋人に、ついに愛想を尽かされてしまったのだろうか。
「あ、ギル、ごめんなさ……」
逞しい体が離れていく動きに、ラヴィニアはぎゅっと目を閉じて謝罪の言葉を口にする。しようと、した。
しかし、チャリ、と小さな音を立てて首になにかが回されて、そっと目を開ける。
「これ、は……?」
首に提げられたのは、金の留め具の先に美しい碧色の石。よく見ると石の中には金粉がチラチラと輝いている。鎖もしっかりとした金のもので、肌に馴染む。
「……魔法石?」
「そう。魔力のない装飾用のもので、王都から遠く離れた西の鉱山で採掘される中でも最も美しくて……俺の瞳の色と同じものを誂えてもらった」
「綺麗……」
石を手に取って、ラヴィニアはうっとりとため息をついた。
さすが拘っただけあって、石は本当にギルの瞳と同じ色をしている。なんとなく恥ずかしくて彼に伝えたことはなかったが、ラヴィニアはギルの瞳の色が、大好きなのだ。
「くれるの? 嬉しい」
「ああ。でもただの贈り物じゃない」
ギルはそう言うと、ラヴィニアの額に己のそれを擦り付けた。大きな獣のような動きに、くすぐったくて肩を竦めて笑ってしまう。
「ラヴィニア。愛している、いつまでも待つつもりだったが……お前を失うことは耐えられない」
「うん……?」
ラヴィニアが首を傾げると、ギルが笑う。なんだか泣き笑いのように見えて、胸が詰まった。
「なにを投げ出しても、ラヴィを守る権利が欲しい。今すぐ俺と結婚してくれ」
「は……」
紫の瞳を丸くして、ラヴィニアは絶句した。つまりこの美しい首飾りは、結婚を申し込む時の贈り物なのだ。いつかは、と思ってはいたが、こんな形でプロポーズされるとはさすがに予想外だった。
ギルは優しいが、合理主義だ。もうラヴィニアの為に、ラヴィニアの我儘を待ってはくれないらしい。
「……ダメか?」
「私……仕事も、研究も続けたいんだけど……」
「それは勿論構わない。俺と結婚した後も、ラヴィニアは変わらずラヴィニアのままだ。ただ、何かあった時に……いや、何も起こらないように守る為に、俺を夫にして欲しい」
いつものラヴィニアならば、守られなくても自分で戦える、と言ったかもしれない。でも今はあの魔物との戦いで恐怖を覚えたばかりで、騎士の強さを目の当たりにしたばかりだった。
なにより、ギルに抱きしめられてこれほど安心している。ここから出て行きたくない、と思うほどに。
そんな風にラヴィニアはギルを頼りに感じているのに、当の彼はこちらの様子を窺って不安そうに碧眼を揺らしている。
愛する人をここまで不安にさせて、悲しませて、後悔をさせて。その上で通すべき意地など、あるだろうか?
ラヴィニアはずっと自分の実力を認めて欲しい、努力の結果を見て欲しい、と思ってきた。誰よりも認めて欲しい人が、ここまでラヴィニアを認めてくれているのに。そしてそのギル自身は、ラヴィニアの為にずっと我を抑えてくれているのに。
たまらなくなったラヴィニアは、ギルの首に腕を回して引き寄せるとその唇にキスをした。
「ラヴィ?」
「……お願い、もう一度言って?」
彼がしたのと同じように額同士を合わせて強請ると、すぐに願いは叶えられる。
「愛してる、ラヴィニア。俺と、結婚してくれ」
「勿論!」
弾けるようにラヴィニアが笑うと、同じように笑顔担ったギルに噛み付くようなキスをされた。




