3.母として、出来ることを
「それでも昨今、魔物の台頭は無視出来ないところまで来ている。勿論騎士団や魔術師団が協力して倒してはいるが、聖魔術を使う聖女が同行してくれれば大助かりなのは、分かるだろう?」
「楽をする為に、小さな子供に対価を支払わせるの? 自分達の職務に誇りはないの、アルフレッド・ブライトン!」
ラヴィニアが吼えても、ブライトンはもう一度肩を竦めるだけだ。話は平行線、そう言ったのはラヴィニアだがブライトンの方でも引く気はないらしい。
ツバサがハラハラと母親を見つめていて、先程殴りかかられたままに彼女達の傍に立つギルはそんなツバサを見ている。
見るな、というつもりで、ラヴィニアはツバサをしっかりと抱き寄せた。
「聖女様を戦場に連れていく俺達を非難するけど、じゃあラヴィは自分のことはどう思ってるんだ?」
ブライトンの砕けた呼び名と厳しい言葉に、ラヴィニアの表情は歪んだ。気づけば、ギルの視線はこちらに向いている。
「彼女を連れていくのは反対、じゃあ民が苦しめられるのはいいのかい? 確かに戦いやすくなるように聖女様に来て欲しいと望んでいるが、それがただの我々の怠惰じゃないのは分かるだろ?」
「それでも十歳になるかならないかの子供を……」
「それで君は何をしている?」
「っ……」
ラヴィニアは言葉に詰まる。
「俺達は戦う。聖女様には戦いのサポートをして欲しい。ラヴィニアが言う、子供を戦場に連れていくことに申し訳なさも、勿論感じている。でもラヴィは文句を言うだけ? 戦いもせず、ただ子供を囲い込んでいるだけ?」
痛いところを突かれて、言葉が紡げない。確かにそうだ。
青褪めていくラヴィニアに、ギルが何か言いたそうに唇を開いたがブライトンが手で制した。
ツバサを戦場に連れて行くことは断固として反対だが、だからといって民が魔物に襲われることを指を咥えて見ているだけだなんて、子供を連れて行こうとしている彼らよりも更にタチが悪い。
文句を言うだけで、何もしていないのだから。
「……分かったわ。私が代替え案を出す。それが、ツバサを連れていくよりも有効な手段ならばそちらを取るって約束して」
「……聖女様の代わりになるものを、ラヴィが発明するというのかい? 今まで誰も出来なかったことだよ?」
さすがに訝し気にブライトンが言うが、ラヴィニアは退けなかった。これが失敗すれば、ツバサが戦場に連れて行かれてしまうのだ。
母として子を守る。その言葉が口先だけではないことを証明するならば、今をおいてこれほどの好機はない。
騎士や魔術師がどれほど手厚く守ってくれようとも、戦場の惨たらしさなぞ十歳の子供に見せたくない。それが愛するツバサならばなおのこと。
ラヴィニアは必死だった。
「今まで誰も出来なかったことだとしても、なんだってやるわよ! ……やってみせるわ」
ぎゅっ、と拳を握りしめると、ブライトンの白々しい拍手が応接室に響いた。ツバサは青褪めているし、ギルは冷めた目でブライトンを見遣る。
「いいね! 不可能を可能にする女。ラヴィニア・ダルトンはそうでなくちゃ」
「……どっちに転んでもあなたにとっては有利ってわけね。この詐欺師」
ラヴィニアが罵っても、ブライトンはどこ吹く風だ。
「老獪な肥えた狸ばかりの王城で、これだけ若くして副師団長なんて地位に就いてるんだ。昔馴染みの才能に頼るぐらい、可愛いものだろう」
「他の狸よりも最速で肥えていきそうね、あなた」
「朝の走り込みを欠かさないようにするよ」
自分のスマートな腹を撫でながらにっこりと笑ったブライトンの顔は、狸そのものだった。
*
そうと決まれば話は早い。
聖女様ご一行が魔物退治に出発する日取りは予め決められていて、着々と準備が進む。だがラヴィニアだけはそれに逆らう為に、聖女の力に代わる方法を出発の日までに作り出すことが課せられた。
客室棟に急ごしらえの研究室が設けられ、魔術書庫への立ち入り許可証を渡される。
久しぶりに立ち行った書庫は相変わらず天井まで聳え立つ書架で埋め尽くされていて、紙の匂いや抑えられた照明などが懐かしい。
しかしブライトンはまるで最初からこうなることが分かっていたかのように手際が良く、ラヴィニアはこれみよがしに舌をだして顔を顰めた。
「許可証は陛下からの正式なものだよ。ただ、他の魔術師も出入りするから気をつけて」
「自分達の勝手で私を追い出しておいて、よくもぬけぬけと……」
「今回魔術書庫に立ち入るのは、ラヴィの勝手都合だよねぇ?」
ニヤニヤと笑ってくる頬を叩いてやろうと拳を握ると、ブライトンは大袈裟に後ずさった。
王城を追放されたラヴィニアが魔術書庫に入っていいのかと不安になったが、許可証は正式なものだし、五年前の件は首謀者の処刑と加担したラヴィニアへの罷免と追放で片がついている。
魔術師のラヴィニアが王城に立ち入ることは叶わないが、客室棟に「聖女の母」として滞在することは可能なのだという。とんだ屁理屈であり、狸は実に狡猾だ。
そして客室棟だけではなく、魔術師団の心臓部でもある魔術書庫への立ち入りが許可されている。
魔力貯蔵器官を失ったラヴィニアはもう魔術師には戻れないとはいえ、どんな手管を使って許可証を受理させたのやら。
非常に気にかかるが、書庫を使えるのは有難い。
「……使っていいなら、好きに使わせてもらうわよ」
「そうそう。可愛い娘さんの為に頑張って。俺達だって、小さな子を戦場に連れて行かずに済むなら、それに越したことはないんだから」
「だったら研究も自分達でしなさいよ!」
「ラヴィほどの天才はなかなかいないよ。俺にはそんな暇ないし」
暗に自分のことも天才だと仄めかして、ブライトンはラヴィニアに殴られる前に書庫を出て行った。