25.ローザ・メイヤー
エイデンも魔術素養を有しているので魔術は使えるのだが、その才能は専ら魔術具を作成する方に使われている。
魔術具の器を作るのが錬金術師で、術式を作るのが魔術師の役目。
魔術素養は魔術の術式が編めることと魔力貯蔵器官を有していることを指す。つまり魔力があり、発動させることが出来る者、という意味だ。
「僕の小さな頭には、その魔術が入る余地がないよ。それに君が掛けてくれるから、必要ないでしょう?」
「甘えたねぇ……もし私がいなくなったらどうするの?」
冗談のつもりで言ったのに、エイデンの瞳にはみるみる内に涙が溜まる。
「ええ? ラヴィ、僕を置いてどこか言っちゃうの?」
「ああ、もう、成人したんだから簡単に泣くのはやめなさい、エイデン!」
ぼたぼたとエイデンの瞳からは涙が零れ、彼はそれを拭いもせずに真っ直ぐとこちらを見つめて来る。いとけない子供を泣かせてしまったかのような罪悪感にかられ、ラヴィニアは慌ててハンカチを取り出した。
「ものの例えでしょう! 一人でちゃんと出来るようになりなさいってことよ」
「……どこにも行かない?」
「行かないわよ」
そっとハンカチでエイデンの目じりに触れると、彼が瞬きをしたのでまたぼろりと涙が零れる。綺麗にプレスされたラヴィニアのハンカチが、その水分を吸い取った。
本当に年端もいかない子供ならば可愛いものだが、相手は同い年で自分よりもはるかに背の高い成人男性だ。呆れてしまうラヴィニアを、非難する者はいないだろう。
いい大人が二人して、外廊下に座り込んで何をやっているのやら。
「じゃあよかった……」
「はいはい、驚かせてごめんなさいね」
「ラヴィは僕の特別な人だから、許してあげるよ」
「えー? ありがとう」
ラヴィニアは笑って、中途半端に伸びたエイデンのぼさぼさの髪を指で梳いてやる。きちんと身だしなみを整えれば、きっとエイデンは素敵な貴公子に見えるのに、勿体ない。
頭を撫でられた彼は気を良くして、ポケットから小さな種を取り出した。
「特別なラヴィにだけ、見せてあげる」
「種? 花の?」
「そう。まだ途中なんだけどな、夜になったら光る花だよ!」
錬金術師はエイデンの天職だろう。自由な発想と、それを実現させる技術を兼ね備えていて、早くも王城中に注目されている。
「まぁ、可愛いわね! ベッドサイドや窓辺に飾りたいわ」
「うん、それも素敵だね。でも僕は街道脇に植えたいんだ」
「街道に?」
錬金術で品種改良した花をわざわざ街道に植える、という発想にラヴィニアは首を傾げた。
エイデンは、うっとりと微笑む。
「うん……街道脇に咲いて、旅人の夜の道行を照らしてあげたいんだ」
エイデンは天才集団と呼ばれた同級生達の中でも飛びぬけて優秀だった。彼が出来るというのならば、光る花は必ず完成する。
しかしそうして出来上がった高価な花を、欲深い王城の連中が街道という誰でも通ることの出来る場所に植えることを許可するだろうか、とラヴィニアは心配になった。
エイデンの思い描く景色のなんと美しいことだろう。その理想の儚さも含めて、つい想像せずにはいられない尊さだ。
「それは……夢のように綺麗な光景でしょうね」
ラヴィニアもうっとりと呟くと、エイデンは嬉しそうにコクコクと頷いた。
彼は自分の研究にしか興味がない。
出来上がったものは製作者としての権利は有しているが、その利用方法については普段は全く頓着していない。
だというのに今回珍しく使い方にも希望があるこの光る花が、エイデンの望み通りの使われ方をされなかった場合に、彼が悲しむのを見たくなかった。
「うん。そうなったら、皆でお花見に行こうねラヴィ」
エイデンは子供のようにニコニコと笑っている。
「皆?」
「そう、ギルとかアルフとか……アウローラはお嬢様だから夜の外出は禁止かな?」
次々と出て来る同級生の名前に、まだ卒業して半年足らずなのに懐かしさに微笑む。皆で和気藹々と研鑽した日々は、今振り返れば本当に楽しかった。
今は、そこから続く道の途中に立っている。
「ローラには私からも言ってあげるわ」
「ありがとうラヴィ……ところで、どこかに行く途中だったんじゃないの?」
のんびりとしたエイデンの指摘に、途端ラヴィニアは青褪めた。
慌ててエイデンに別れの挨拶を告げて、ラヴィニアは魔術書庫へと走る。
時間を短縮する為に錬金術師棟の横を通ったのに、ついエイデンとのお喋りに夢中になってしまった。
魔術書庫は、他の棟よりも古い建物で石造りの壁にびっしりと蔦が這っている。その入口のこれまた古びた扉をそっと開くと、古い紙の乾燥した香りがした。
「おや、ダルトン」
「ヘニング卿!」
中に入ると、ちょうどたくさんの魔術書を抱えたヘニング卿と行き合った。
「お疲れ様です」
「ああ。君は今日はここで仕事かい?」
「メイヤー先輩に呼ばれて……」
ラヴィニアがそう言うと、ヘニング卿はなるほど、と頷く。
「そうか。では師団長には君は午後はこちらで業務にあたると伝えておこう」
「ありがとうございます」
ラヴィニアは慌てて魔術師棟を出てきてしまったので、自分の行き先を報告していなかった。ブライトンが伝えてくれていればいいが、彼の研究への没頭加減とラヴィニアへの扱いを考えると報告は期待出来ない。魔術師団長のジャック・コールは豪快だが厳しい人だし、副師団長のエイネア・ウォードは規則にとても細かい人だ。
たまたま行き合ったのが細やかな心遣いをしてくれるヘニング卿で助かった。重ねて礼を告げ、書庫を出て行くヘニング卿の背を見送ってからラヴィニアは、ブライトンの言っていた二の棚を目指す。
「……メイヤー先輩、遅くなって申し訳ありません」
特に古い魔術書の並ぶ区域。そこに設えられたテーブルに人影を見つけて、ラヴィニアは息を整えつつ声を掛けた。
青みがかった黒髪に琥珀色の瞳の神秘的な美貌の女性。ラヴィニアよりも五歳年上で、これまでに多くの術式を開発してきた優秀な魔術師。
「……あら。ようこそ、ラヴィニア・ダルトン」
女性魔術師の皆が憧れる魔女、ローザ・メイヤーがそこに立っていた。




