23.恋人達の逢瀬(過去編)
五年前の話です!
温かい手の平の感触がする。
ゆっくりと頭を撫でられて、首筋を辿り背中に流れていく。官能的なものではなく、子猫を撫でるかのような慈しみに満ちた動きだ。
それが気持ち良くて、ラヴィニアは目を閉じたままうっとりと溜息をついた。しかし、そんな穏やかな時間は長く続かない。
なにせ、容赦なく陽は昇り、今日が始まる。
「ラヴィニア、そろそろ起きた方がいいと思うぞ」
「んん……? いま、なんじ……?」
低く心地よいギルの声が聞こえて、ラヴィニアはむにゃむにゃと甘えて訊ねる。返ってきた時間を聞いて、一気に目が醒めて飛び起きた。
「嘘! どうして起こしてくれなかったの!?」
「起こしたけど起きなかったんだろ」
ベッドに座るギルは、ちょっと呆れた表情を浮かべている。寝癖がついているくせに、今日も今日とて憎らしいぐらいいい男だ。
「絶対、嘘!!」
繰り返して、ラヴィニアは部屋の隅の備え付け洗面台へと駆けていく。衝立に隠れて、慌てて身なりを整えた。
ここは王城の男性騎士隊舎。当然女人禁制だが、昨夜ラヴィニアはギルの手引きによりこっそりと彼の部屋に忍び込んだのだ。
バタバタと戻ってきたラヴィニアはもう魔術師のローブをきちんと着込んでいて、まるで寝坊などしていないかのような出で立ちだ。昨夜眠ったままの姿の、寝癖のついたギルとは大違いである。
「あなたは時間、いいの?」
「俺は今日は昼からだから」
「ああそう……」
ぱたぱたを駆けまわって支度していたラヴィニアは、勢いよく部屋の窓を開ける。ギルは相変わらず呆れた顔のまま。
「……扉から出れば?」
「さすがに、男の部屋に泊まったところを見られて平気なほど豪胆ではないのよ!」
ブーツの踵を鳴らして今にも飛び出して行きそうなラヴィニアを、ギルは背後から抱きしめた。
「疚しいことなんてしてないのに?」
「一晩泊ってる時点で疚しいでしょ……」
王立学園を卒業し、そのまま王城に勤めるようになって半年。おのおのの分野で優秀な二人は、多忙な日々を送っていた。
少しの逢瀬の時間を捻出するのも難しく、学生時代からの恋仲だったので四六時中一緒にいた頃が懐かしい。
あまりにも恋人が恋しがるものだからラヴィニアはギルの宿舎に忍び込んで、離れていた時間を取り戻す勢いで一晩中語り合ったのだ。
ギルは紳士であり、神の御前で嘘をつくようなことは誓ってしていないが、男女が一部屋で一夜を過ごしたのは事実だ。互いに貴族の生まれであり、疚しいことはしていませんなどと言って通用するとは思っていない。
「だってそうでもしないと、お互いに忙しすぎて会う時間がない」
「……そうね」
ギルの口からは拗ねた言葉が零れ、ラヴィニアも俯いて同意する。我慢出来なかったのはお互い様だ。
「ダルトン伯爵家に、婚約の打診に行ってもいいか?」
「それは……」
パッ、とラヴィニアは顔を上げた。
ラヴィニアとギルは周囲公認の恋仲だが、まだ婚約はしていない。
ダルトン伯爵家には幼い弟がいて、彼が次期伯爵となる。姉であるラヴィニアが婚約すれば、すぐに結婚して家庭に入り、弟の後ろ盾となることを望まれているのだ。
これは貴族令嬢としては当たり前の流れ。だが、そこに収まるにはラヴィニアは優秀過ぎた。
「ごめんなさい。もう少しだけ待って」
「ラヴィ……結婚しても、仕事は続けられるだろう? 誰にも何も言わせない、俺がラヴィの自由を守る」
「それは……嬉しいけど……」
それでも、ダルトン伯爵家の令嬢とカーヴァンクル侯爵家の嫁、では扱いが違う。ラヴィニアはどうしても自分の実力だけで仕事に挑んでみたかったのだ。
また俯いてしまったラヴィニア、その旋毛にキスを落としてギルは肩を竦めた。
「……家の名前に左右されず実力を発揮し、自分を正当に評価して欲しいのは俺も同じだ」
侯爵家の次男であるギルは、騎士団に入る際に第一隊配属を打診されていた。第一隊は王族の近衛騎士を含む王城警備が主な仕事だ。
それを断って、遠征も多い魔物退治が主な仕事の第三隊に入隊したのは、ラヴィニアと同じ理由だった。
実力を試したい。己が優秀だということを、証明したい。
「ギル、ごめん」
「キスしてくれたら、許してやる」
「……それってお詫びになる?」
ギルが片目を瞑って言うと、ラヴィニアの顔にようやく笑顔が戻った。
「愛しているわ、ギル。それだけは、ずっと変わらない」
背伸びしたラヴィニアが、ギルの唇に口付けて、吐息の触れる距離で囁く。
「うん、俺も」
ギルの碧眼が甘く蕩けているのが分かって、じわりと愛情が込み上げる。これ以上ここにいたら、何でも言ってしまいそうでラヴィニアは慌てて体を離した。
「……疚しいことをしてしまったわ。バレない内に行くわね」
「気をつけて」
ギルの声を背に、ラヴィニアは窓枠を蹴って飛び降りた。魔術を使って重量を調整し、三階の高さから見事に着地する。
人気のない裏庭に降り立ち誰にも見られていないことを確認して、ラヴィニアはそのまま更に塀を越えてその場を去っていく。
「泥棒より見事だな」
ギルの愛し気な囁きは、既に遠く離れていたラヴィニアの耳には届かなかった。




