20.あいのことば
先ほどの襲撃のショックが和らぐと、後に残ったのはツバサを戦場に行かなくて済む、という安堵が体と心を満たす。そうなると、途端に体が弛緩してギルの腕に体重を掛けることになった。
庭園の奥にたどり着くとベンチを見つけてギルは屈み、そこにラヴィニアをそっと下ろす。
ここに至るまでに抜けた腰は回復していて歩くことは可能だったのだが、ギルのあまりに恭しい仕草につい甘えてしまった。
「……ありがとう」
「ああ」
そのまま隣に座るのだろうと思っていたギルは、ラヴィニアの前に跪く。
「ギル?」
「話がある」
「あっ! 私もあるのよ、この前の話の続きを洗いざらい……」
途端に元気いっぱいに喋り出したラヴィニアに、ギルは目を細めて微笑んだ。その笑顔があまりにも愛情に満ちていて、思わずラヴィニアの言葉が止まる。
風が吹くと今が盛りと咲いている可憐な花の香りが、ふわりと辺りを取り巻いた。空は青く、陽は高く、穏やかな日和だ。
なんて目でこちらを見るのだろう、この男は。白い石畳の地面にを爪先で突くと先程の元気はどこかへ去ってしまい、ラヴィニアはもじもじと恥じらった。
「ラヴィ」
「……」
「なんでも話すと誓う、俺はもう、お前に秘密を持たない」
「なにそれちょっと重いわね……ううん、でも、この前の件は包み隠さず教えて」
「ああ、それがお前の望みなら」
「うん……」
跪いたままの騎士に、それもとびきりの美形に真っ直ぐに見つめられたまま手を取られて、ラヴィニアは困惑して頬を赤くする。何故かロマンチックな状況になっているが、これは一体なんだろう?
自分達はとっくに別れている筈だし、王城に来てからこれまでギルもそれを否定はしなかった。今更何だというのだ。
「ギル?」
「何でも言うし、何でも叶える。だから……」
ラヴィニアの手の甲に、ギルが額を擦り付けて懇願した。
「俺と結婚してくれ」
「……はい?」
ラヴィニア紫色の瞳がキョトン、と丸くなる。ギルは真剣な様子で手を戴いているし、ここには他に誰もいない。
素っ頓狂なことを言い始めたこの男に説明を求めるしかないのだ。
「……えーと、それは、聖女の後見人になりたいから、私と形だけでも結婚したいとかそういう意味?」
「馬鹿かお前は」
ギルの瞳が途端に冷える。
「何度も言わせないでよ、馬鹿って言う方が馬鹿なのよ! しかも、形式上とはいえたった今求婚した相手に言うにことかいて馬鹿? この求婚、お断りします!」
サッとラヴィニアが立とうすると、慌ててギルが謝った。
「分かった。俺が悪かった、順を追って説明するから許してくれ」
「……さっき助けてくれた恩があるから、一度だけ見逃してあげるわ」
「ありがとう」
「二度はないわよ!」
ラヴィニアがいつもの調子で言うと、ギルも肩から力を抜いて朗らかに笑った。
先ほどのロマンチックで切羽詰まった様子よりも、その方がずっといい。五年前の自分達は、こんな風に気安く話す間柄だった。ラヴィニアは、ギルに傅かれたいわけではないのだ。一緒に、並んで歩いていきたかった、ずっと。
ポンポン、とベンチの隣を叩くと、ギルはようやく跪くのを止めてラヴィニアの隣に座った。
しかし、手は握られたままだ。
「まず、洗いざらいこれまでのことを話して。なにを隠していたのか、私が知らない間になにが起こっていたのか」
「……俺が知っている範囲になるが、構わないか?」
「あなた以外に誰が知っているの?」
「……アルフは、俺よりも詳しい」
「ブライトン! やっぱり、あの狸……!」
予想通りアルフレッド・ブライトンの名が出て、ラヴィニアは唇を噛んだ。
王城に連れてこられた時点で打ち明けてくれてもよかった筈なのに、きちんと説明してくれなかったことに疑念を抱く。
ギルは真実ラヴィニアとツバサの為に口をつぐんでいたのだろうけれど、あの狸は自分の利益の為である可能性が消えない。そういう男なのだ、ブライトンという奴は。
「この前言ったが、俺はずっとラヴィの居場所を知っていた……だが、事情があって会いに行くことが出来なかった」
「うん。……それって、ひょっとしてブライトンの指示?」
こちらから質問すると、彼は頷く。
「ラヴィと聖女を守る為に、二人がどこにいるのかを王城には隠しておくべきだと」
「ブライトン……分かった、その事情とやらは狸を締め上げて聞き出すわ」
唇を吊り上げて、ラヴィニアは悪い笑みを浮かべる。学生時代に戻ったかのようなお転婆で凶悪な表情を浮かべると、ギルはそれを見て苦笑した。
ブライトンが告げてギルが納得したということはそれ相応の理由がある筈だ、居場所を隠す為に会いに行くなと言われて変なところで真面目なギルはそれを忠実に守ったのだろう。
とはいえ、ラヴィニアは知らされていなかったのだから、当のブライトンに嫌味の一つぐらい言ってやりたい。
「……お手柔らかにしてやってくれ」
「わかった、全力でいく」
「お前はそういう女だったな」
今、ギルに繋がれたままのラヴィニアの手は彼の膝の上にあり、手遊びに指の腹でくすぐられている。話に集中出来ないのでやめて欲しいが、かといって手を離せと言って本当に離れてしまうのが寂しかった。
そして話の流れで断った形になっているが、ひょっとしてあれでプロポーズは終わりだろうか? もう一度言ってくれたならば受けるのもラヴィニアとしてやぶさかではないのだが、繰り返すが変なところが真面目な男だ、断られたので終わり、と思っていたらどうしよう?
ラヴィニアが内心でぐるぐるしている間に、ギルは話を再開する。
「五年前の……事件が起こった時、俺は前日から遠征に出ていたんだ」
「! そんなこと……知らなかったわ」
当時もギルが所属していたのは、魔物退治が主な任務である第三隊だ。しかし遠征に出るほどの大規模な作戦があるのならば、ラヴィニアが知らない筈はない。
学生時代から続く恋仲だった二人は、働き始めて半年の新米騎士と新米魔術師だった為多忙であり、なるべく予定を擦り合わせようと互いの仕事状況を非常に気に掛けていたのだから。
ギルもそれに頷く。
「突然決まった遠征だった。それ自体はさほどおかしなことではないが、七日ほど拘束されたものの内容は危険性は低く急ぎの対処が必要なものでもなかった」
「……なにそれ」
ラヴィニアは話を聞いていて、だんだんと薄ら寒さを覚える。




