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魔女の凱旋  作者: 林檎
19/73

19.大切な約束と、彼の話

 

「……守ってくれて、ありがとう」


 素直に礼を言うと、いつもと違い少し下の位置にあるギルの顔が驚きに彩られていた。失礼な男である。ラヴィニアとて、暴漢から救われれば礼の一つも言う。


「ああ。……ああ、うん」

「何でそんなに噛み締める……?」


 やけに頷いている男に、ラヴィニアは怪訝な表情を浮かべた。さすがに今まで一度も礼を言ったことのない礼儀知らずではなかった筈だが。


「……今回は、守れてよかった、と思って……」

「!」


 ギルのその言葉を聞いた瞬間、ラヴィニアは彼の腕の中で暴れ出した。


「ラヴィ! 落ちるぞ!」

「お母さん!?」

「いっそ落としてちょうだい! こんな……こんな言葉で、あなたを許したわけじゃないのよ!」


 五年前の失望と怒りが、まるで湯水のように湧き上がる。

 いつだって守ると約束した男は、肝心な時にラヴィニアに会いにも来なかったではないか。それを、今更許されたと思わないで欲しい。今回のこととは、別だ。

 五年前の傷ついたラヴィニアが顔を出して、ジタバタと子供のように暴れて抵抗する。驚いたツバサの声も耳には届かない。


 かつてギルが『守る』と約束してくれたことは、ラヴィニアにとって掛け替えのない甘やかで幸福な記憶だったのだ。

 あの日、研究室でギルが謝ってくれたおかげで何か事情があるのだろう、と分かってはいるもののそれでも心の整理がつかないぐらい、大切な約束。


 王の御前であっても暴漢に遭ってもどこか冷静だったラヴィニアだが、ギルの言葉でこんなにも簡単に心が乱されてしまう。ツバサを出征させずに済んだ安堵もあり、緊張感が無くなったのか涙腺まで緩んでいた。

 紫の瞳に涙の膜が張ると、それを見たギルが唇を噛む。


「ああ……! っ、お前ときたら……!」

「は? 何、その言い方、私が悪いとでも……」


 舌打ちせんばかりのギルのセリフにラヴィニアは眦を吊り上げたが、彼はそれを無視してラヴィニアを抱えたままツバサの元で屈む。


「聖女様、失礼する」

「ギルさん? ひゃっ!?」

「ちょっとギル!」


 驚いたことに、片腕でラヴィニアを抱えたままもう一方の腕にツバサを抱え、ギルは人気のない廊下を走りだしたのだ。ここでも彼の怪力が発揮される。

 謁見の間の外で控えていたアンジェリーナは、助けてくれることなく何故か澄ました顔で付いてくるし、その後ろには訳が分からないという表情でグラウも付いてくる。

 ラヴィニアとしては、グラウと握手をして自分も同じ気持ちだと言いたいところだ。

 訳が分からない。


「なんなの!?」

「ここでは人が多い」

「うちの娘を人気のないところに連れて行って、どうするつもりよ!」

「…………お前が馬鹿なのは、よく分かった」

「馬鹿って言う方が、馬鹿なのよ!!」


 自分が暴れて、もしギルがツバサを落っことされてはかなわない。

 ラヴィニアは彼の腕の中で暴れるのは止めたものの、自由になる手でギルの耳を引っ張って文句を言った。


「もうっ……! なんなのよ……ツバサ、大丈夫?」

「大丈夫!」


 ギルの腕に安定した様子で座ったツバサは、何故か楽しそうにしている。

 そういえば、ツバサと共に暮らしている村には男性は老人しかおらず、こんな風に抱き上げてもらうことはなかった。

 娘が楽しいならいいかしら? と一瞬流されそうになったが、慌ててラヴィニアはその考えを消した。おかしな状況には変わりないのだ。


 なるべく人通りの少ない廊下を通っているのは分かるが、各位置に配置されている衛兵達にはバッチリ見られている。

 そして駆けることしばし。ギルがラヴィニアとツバサを抱いたままやってきたのは、客室棟の庭園だった。

 夜はオレンジ色のランプに照らされて幻想的な雰囲気だった場所だが、まだ昼の明るい光に溢れるそこは穏やかであり相変わらず人気がない所為でとても静かである。

 まずそっとツバサを地面に下ろすと、ギルは付いてきたアンジェリーナとグラウに視線を向けた。


「聖女様を頼む」

「はい、ギル様」


 アンジェリーナがすぐに朗らかに請け負う。グラウは今もまだ事情が飲み込めていないようだが、彼の役目は聖女の護衛兼監視なので、当然否やはない。


「ちょっと!」


 ラヴィニアはここぞとばかりに文句を言ったが、そちらは無視される。次にギルは彼女を抱き上げたまま地面に膝を突き、ツバサと視線を合わせた。


「聖女様、申し訳ないがしばしあなたの母君をお借りしたい」

「……少しだけ、貸すだけだよ。すぐに私に返してね」

「そこは貸さないって言っていいのよ、ツバサ……」


 ギルの力強い腕の拘束から逃れることは諦めたものの、口を挟むことは我慢出来ないラヴィニアはブツブツと言う。


「だってお母さんも、ギルさんとお話ししたいことがあるでしょう?」

「ああん、うちの娘は頭がいい……」


 唸るように言って、ラヴィニアはくたりとギルの肩に頭を乗せた。すると、それまで何にも動じなかったギルの体が震え、低い唸り声が漏れる。


「なんなの」

「今のはお前が悪い」

「そもそも、全面的に、まず、あなたが悪いと思うわよ?」


 ラヴィニアの口は、減るということがない。ちらりとこちらを見てから、ギルは立ち上がりそのまま庭の奥へと向かった。


「本当になんなの……もう」

「お前こそ、本当に……」


 ギルは何故か凶悪な表情を浮かべて、歯噛みしている。そんな顔は久しぶりに見たな、とラヴィニアは呑気に考えていた。



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