1.王城からの使者
新連載です、よろしくお願いします!
ディンセル王国の西の端、かなり田舎の小さな村。
今そこに王城からの使者一団が、物々しい様子で一軒の小さな小屋の前に来ていた。
「お帰り下さい。うちの可愛い可愛い娘を、魔物がうじゃうじゃいる戦場へ連れて行こうとでも? 冗談じゃないわ!!」
その家の家主であるラヴィニアは、使者を怒鳴りつけるとバタンッ! と大きな音を立てて玄関扉を閉じる。ついでに閂も掛けておく。
といっても、ただの木造の小屋だ。使者の後ろには護衛の騎士達もいたし、彼らがそのつもりならば簡単に突破されてしまうだろう。扉だけならば。
だがラヴィニアをそんじょそこらの女と一緒にしてもらっては困る。
もう以前のように魔物と戦ったり出来る大層な力はないが、今や唯一の家族である義娘のことは何に代えても守り抜くつもりだった。
「お、お母さん……」
振り返ると、不安そうにウロウロしている黒髪黒目の小さな子供。愛娘のツバサに、ラヴィニアは力強く微笑んだ。
「心配いらないわ。あなたのことは私が守るから」
ぽんぽんと小さな頭を撫でると、ツバサはホッと肩から力を抜く。まったく、こんな小さくて可愛い子供を戦場に連れて行こうだなんて、大人として恥ずかしくないのだろうか?
ラヴィニアが憤然としていると、そこにコンコンコン、と紳士的なノックの音がした。再び玄関扉の方を見遣ると、扉は壊されることなくそこに佇んでいる。
「何かしら、まだご用が?」
「お前には用はない、ラヴィニア・ダルトン」
懐かしい声に懐かしい家名を呼ばれて、ラヴィニアは思わず息を飲んだ。
「ギル・カーヴァンクル。侯爵令息サマがこんな田舎までお出ましで」
「聖女様のお迎えだからな」
「はい?」
顔を顰めて扉越しに冷たい声で告げると、向こうからも冷たく低い声が返ってきてラヴィニアはますます顔を顰める。そろそろ顰めすぎて顔が痛いぐらいだ。
「さっきの話聞いてなかったの? うちの子を聖女なんて名前の徴兵に出すつもりはないわ! その鎧や剣は飾り? あなた達が自分で戦いなさい!」
そう言った瞬間、ギチ、と嫌な音がする。
ハッとしたラヴィニアは急いで後退し、目を丸くしているツバサを抱きしめた。それから小さく呪文を唱えると、いつも首から提げているお守りの魔法石が輝き防御魔術が発動する。
と同時に、メリメリという悲惨な音をてて扉が無理矢理外から引きちぎられた。
そう、扉が引きちぎられたのだ。ラヴィニアの腕の中で、ツバサがあ然としている。
「お、お母さん……何アレ! 何なの、あれ!?」
「……クソゴリラは健在だこと」
ラヴィニアが深い溜息を吐いている間に室内に堂々と入ってきたのは、金髪碧眼のまるで恋愛小説に出てきそうな麗しい顔立ちの騎士だった。
その外見麗しの騎士様、中身はゴリラで口を開けば嫌味しか出てこないギル・カーヴァンクルは、こちらを見て涼しい顔で言い宣った。
「ああ、失礼。うっかり聖女様のお住まいを損ねてしまいました、弁償いたしますのでその間は王城に部屋を用意させていただきます」
「引っぱたくわよ、ギル」
「お前の腕力で殴られても、痛くもかゆくもないな」
「このっ……!」
お言葉に甘えてラヴィニアは思い切りギルの頬をグーで殴ったが、彼は体も表情もビクともしなかった。
*
ラヴィニア・ダルトンは熟れた林檎のような赤髪に紫の瞳、顔立ちはキツく整っていて性格も苛烈な女だ。
今は田舎の小さな村で薬師の真似事をして暮らしているが、かつてはダルトン伯爵家の令嬢であり、王城に務める天才と称賛された魔術師だった。
しかし上司の悪事に巻き込まれて立場は失墜、その上司は即有罪になって物理的に首が飛んだ。その後、共犯とされたラヴィニアがどれほど無罪を主張しても詳しい調査もされないままに有罪が決定し、無情にも罷免され王城を追放されることが決まってしまう。
散々抵抗したものの実家の伯爵家には将来のある弟もおり、家族に迷惑は掛けたくない。王城を追放された魔術師が王都で暮らせるわけもなく、ラヴィニアは失意のままにこれ以上の抵抗は無駄と判断して王都を去った。
それが五年前の話だ。
「相変わらず、王城勤めの方々は強引ね」
ところ変わってその王城の、客室棟。
小さな応接室のソファに脚を組んで座り、無理やり追放された場所に今度は無理やり連れて来られてラヴィニアは腕も組んで憤然としていた。
玄関扉を派手に引きちぎられてはさすがに生活もままならなく、致し方なく王城に身を寄せた形だ。
ラヴィニアだけならばまだしも、幼くか弱いツバサに野宿のような真似はさせられない。
「お母さぁん……」
「よしよし、腕力ゴリラに家を壊されて怖かったわね、可哀想に。あとでお母さんがフライパンでぶん殴っておくわね」
隣にちょこんと座るツバサが不安そうにくっついてきたので、その黒髪の頭を撫でてラヴィニアは気軽に言う。グーで殴ったらラヴィニアの手の方が痛かったので、今度は武器を使うつもりだ。どうせあの鉄面皮が歪むことはないだろう。
すると開いたままの応接室の戸口に、魔術師のローブを着た男がやって来た。
「いやそれ流石のギルでも死ぬだろ」
「……あのゴリラが、フライパンごときで死ぬものですか。我が家のフライパンがひしゃげないか心配なぐらいよ」
ギルと同様に昔馴染みの登場であり、ラヴィニアは半眼で応対する。
「久しぶりだな、ラヴィニア。まさかあんな田舎にいるとは思わなかった。しかも聖女様と暮らしてるなんてな」
「……ブライトン。銀の紋章付きローブを着ているということは、あなたが副師団長なの? ヘニング卿じゃなかった……?」
「ヘニング卿は今や魔術師団長さ。俺も出世しただろ? 嫁に来るか、ラヴィニア」
「行くわけないでしょ。こんな年増娶ってどうするのよ」
フッと鼻を鳴らしてラヴィニアが笑うと、同期の魔術師であるアルフレッド・ブライトンは肩を竦める。
魔術師団の紋章が銀の糸で刺繍されたローブを身に纏い、薄い茶髪に薄い水色の瞳。微笑む姿は表情すらも薄いが、これは彼の処世術だとラヴィニアは知っている。本当は抜け目のない男なのだ。
そうでもなければ、この若さで頭の固い王城魔術師団の副師団長に昇りつめることなぞ不可能だ。
「いやいや、年を重ねてもイイ女だよ。ラヴィニアは」
「今は子持ちよ」
ラヴィニアがツバサを抱き寄せて言うと、ブライトンは笑った。
「その娘さんの話がしたいんだ」