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重たいまぶたを開けば、いつもの寝台の上だった。今まで起きたことが夢じゃないかと思うほどに。

オタール様と鉢合わせて、それからヴァルカン様の信用を失ってしまって。夢であればいいのにと願ったけれど、蹴られたお腹とキュッと締め付ける胸が現実だと教えてくる。


「奥様、お目覚めですか」


尋ねて来たものがシフだと気づくのには時間が必要だった。暗闇では誰か良くわからない。彼女が手元のロウソクの火を灯したところで、ようやく把握できる。


「私は街にいたのでは」


「はい。それから倒れてこちらに運ばれてきました」


「ヴァルカン様は、ヴァルカン様はどこに」


そこでシフが人差し指を口元に置いた。彼女がもう片方の手で指差すのは、ベッドに倒れかかって眠るヴァルカン様の姿だった。ローブのフードも脱げて、寝台に腕を伏せて寝る彼の横顔。


「泣いて戻って来ましたから。使用人一同、すごく慌てたのですよ。あのヴァルカン様が泣いていると」


「子供だから当たり前じゃないの」


「いいえ。坊ちゃまは虐待されてからというもの、涙を見せなくなりましたから」


シフの話にやはりこの方の傷を癒やすには、母親が必要だと感じた。顔の傷すら構わず、彼の成功を心から喜び、幸せを願ってくれるような母親の愛情が。

涙をふいてあやしてくれるような存在が今までなかったから、彼は涙を忘れていたに違いない。


「本当、初めてです。このように泣かれて、奥様につきっきりで看病するのも」


「心配をかけたわね。もう大丈夫よ」


「……本当にそうですか?」


疑いにかかってくるシフに苦笑いして大丈夫だと答えた。

本当ならこの額に伝う汗すらも自分の体を警告しているのだが。これを隠さなければ、ヴァルカン様の傷を全て癒やすにはいたらないだろうから。


「ご両親が亡くなられてからというもの、本当に大人びていましたが。このように泣かれて私めを手こずらせてくれるとは。嬉しい限りです」


苦労をかけられることを何よりの喜びと、ここの使用人たちは思っている。ヴァルカン様が本当に大切な当主なのだと、彼らからはヒシヒシといつも伝わってきた。


「年相応に反応してくれると、逆に嬉しくなりますよね。その気持ちは分かります」


「ふふふ、奥様の嬉しさというのは母性がくすぐられる方でしょう」


「だって仕方ないじゃないですか。この方、ものすごく可愛らしいんですもの」


赤茶色のクルクルとパーマがかった髪を撫でた。ヴァルカン様の口元が少しばかり緩むのを見て、微笑んでしまう。


「きっと傷が治れば誰もが目を向けてしまうほど格好良くなられます」


その左頬は少しずつ肌色を見せ始めている。陶器のように真っ白な肌色を。

この火傷跡がすべてなくなる時、どんな顔を見せてくれるのだろうか。

どうやって微笑んで、自分に自信をもってくれるだろうか。

それはまるで小さな原石だ。磨けば磨くほど、きっと彼はもっと強くきれいになる。


「シフ、もう少しだけ私に付き合って頂戴」


「はあ……こちらも疲れるのですよ。坊ちゃまにバレないように、その病を伏せておくのは。医者を手配するのだって、すごく苦労するんですからね」


シフには色々とお世話になっている。治癒魔法を使ったあとの心臓への負担や、予防する栄養管理まで。実のところ、ヴァルカン様には内緒でしていることはたくさんあった。

医者を呼んで心臓を見てもらい、魔法を使うなとドクターストップがだされていることも。


シフに改めてお願いすると、彼女は渋々了承してくれる。それから部屋を出ていくと、ちょうどヴァルカン様の目が覚めたようだ。

寝台の端で半身を伸ばして目を覚ますと、黒い眼が私を見つめた。


「イリス?」


「はい、ヴァルカン様」


ニコリと微笑んで答えると、彼は気まずそうに顔を背けた。


「お顔を見せてくださらないのですか」


「僕の顔は醜いんだもん。見るな」


すねている。

腕を組んでへそを曲げている、普段は大人のヴァルカン様。やはり年相応の反応をしてくれると逆に安心するし、母性がくすぐられる。


「こちらを向いてください。別に怒ってはいませんから」


「そっちが怒ってなくても、僕が怒ってるの!」


「ふふふ、そうですか。では存分にすねてください」


「……それはそれで嫌だ。なんか大人に遊ばれてるようで」


「では私の方に来てください。もっと顔を見せて」


寝台に手招きすると、彼はのぼってくれた。背中にクッションを挟んで互いに半身は起こしながら、隣り合って密着する。

子供の体は体温が高いのか、隣に来られるだけでとても暖かい。焼きただれているけれど、少し治り始めた左頬を見ながら、頰を膨らませているというのに気づいた。


「僕が何で怒ってるかわかる?」


「私が子供扱いしたせいでしょうか」


「それもあるけど…今は違うもん。イリスが僕のせいで無茶して倒れたから。だから自分に怒ってるの」


自分に怒っているから、私に接する権利がないとヴァルカン様は言った。それが彼なりの純粋な心からくるもので、愛くるしいと胸が締め付けられる。


「私が許しますから。ご自分を責めないでください」


「嫌だよ。だって…本当に…本当にっ……イリスがいなくなっちゃうかもって…思っちゃったんだもん」


泣き始める彼を、私は胸に抱きこんだ。不安にさせてしまったことをわびたい。私は生きていて、あなたのそばにいるのだと安心させてあげたい。

傷をその涙で広げるのではなくて、全てをこの抱擁で治してあげたい。


「ここにいますから。約束します。私はあなた様の傷を治すまでは隣りにいますから」


「約束だよ。絶対に、いなくならないで」


「ふふふ。私に子供扱いされるのは嫌じゃありませんでしたの?」


先程と言っていることが真逆だというのも、可愛いポイントだ。赤茶色の髪を何度も何度も撫でていると、彼は顔を上げてムスッとした。


「それは…う、嘘だもん。僕、イリスに甘えるのが、す、好きだから」


甘えながら怒ってくるなんて。さながら子犬を相手にしているような気分で、母性が溢れてしまう。そのはけ口は、彼を抱きしめることによって達成された。


「可愛いです、ヴァルカン様。もうほんっとうに、私のものにしたいくらい」


「くっ…苦しい」


「あ、すみません」


病気がちな私でも怪力は出るようだ。ヴァルカン様を抱きしめすぎていたことに自分でも驚きながら、手を離した。すると彼の短い腕が私のお腹周りに被さってきて、今度は彼から甘えてくれる。

なんだろう、これも夢なのだろうか。とっても可愛い子犬があごをお腹にのせてくれている幻覚を見ているようだ。


「これからずっと側にいて。夜もだよ」


「ふふふ、わかりました。絵本は何冊読みましょうか」


「………」


「そうプンプンしては、可愛くってもっといじっちゃいますよ?」


膨らませた頰を人差し指で押すと、彼は口からプスッと息を吐いた。ふざけ始めた彼の反応にお腹を揺らして笑ってしまう。


「え、絵本は……二日で一冊のペースでいい」


「はい」


「それから、おやすみのキスはいらないからな!!」


もう夜も深いのだから、今日はここで寝たらいい。そう思ってベッドから落ちないように幼い体を引き寄せてあげる。ヴァルカン様の身体がすぐ側にあることが、なんだかとても嬉しい。


「おやすみなさい、ヴァルカン様」


そのまま彼の額に口付けを落とす。


「だ、だから、おやすみのキスはいらないって!!」


すねる彼を、また抱きしめてしまうのがオチだった。まるでぬいぐるみかのように、ギュウギュウに抱きしめてしまって、彼は苦しいとまたギブする。


この毎日が続けばいい。

ヴァルカン様が年相応な反応をしてくださって、すねたり怒ったり、泣いたり笑ったり、ふざけたり。素直な反応を見せてくれる毎日が私は愛おしくてたまらない。


傷が治るたびに、彼はますます笑顔が増えている気がする。だからたとえ、癒やしの魔力の代償に命尽き果てようとも。彼が幸せに生きてくれさえすれば良い。


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