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「それはどういうことですか。お金は全部返せたのではありませんか?」


お父様が私に侯爵家へ嫁がせた本当の理由。大量の輿入れ金を要請したのは、家族たちをこれから養うお金と、借金をすべて返すものが含まれていた。

それが、オタール様は滞納していると話している。

町中の雑踏の音が遠のき、急に冷や汗が伝ってきた。


「とぼけるな、お前の父親から書類は受け取っている。これを見ろ」


それはオタール様との借金取り付けの契約書だった。すべてのお金を誰が負担するかの証明書。そこに書かれていたのはイリス、私の名前。


「え??どういうことですか?」


「ガハハ!お前は捨てられたんだな」


「どうしたのイリス?」


オタール様がケラケラ笑う中、袖を引いてきたのはヴァルカン様だった。小さな彼に聞かせるには私すら理解できないものだった。

私の名を、借金を支払う人の名前として、お父様が使っている。それがどういうことか。

妹のローザリアを家に残し、私だけ嫁がせたこと。それは私がもう十八歳という立派な年齢だからだと思っていたけれど。

私は首を振って答えるしかなかった。


「これはあの『異形の姿』と言われるヴァルカン様ですか。この度はどうも、多額のお金を男爵家に渡したそうで。で、その花嫁をもらう覚悟はできているんでしょうね?」


金歯が並ぶ大きな口を動かし、オタール様は詰め寄ってくる。


「もし、この娘を手放したいと思うなら今のうちですよ。私は地の果てまでこの娘に金を要求しましょう」


「そう。いくら?」


「ざっと見積もって五億ギルかと」


「わかった。用意するよ」


五億ギルというのは、侯爵家の領土を丸々一つも買えるほどのお金だ。鉱山と作物に恵まれたこの地を売らなければ、そうそうその値段にはならない。それをヴァルカン様は理解してかしらずか、払うと豪語した。

それにオタール様は口の端を上げて笑いをあげる。


「ガハハハハハ!!笑わせてくれる。ガキにはお金の使いようすらわからないようだな」


「五億ギルでしょ?僕の貯金にそのぐらいならあるよ。オリハルコン、ミスリルを加工した道具。それから国の軍事品は僕の発明した武器が役に立ってるからね」


彼は懐から小切手を出すとそれにサインをした。オタール様へと押し付けると、彼は私を引き寄せた。


「なっ……これは本物か!?」


「どこに疑う余地があるのさ。ちゃんと家紋も国の印もそこにあるでしょ」


「だっ、だが、その女の値段は差し引いてないぞ。こいつが滞納した期間は、そういえば考えてなかったな」


五億ギルが手に入って、オタール様はさらに欲が出たようだ。ニタニタと笑いながら、この幼い侯爵様からお金をふんだくろうとしている。

それがとても憎い。


男爵家に訪ねてきた時、オタール様は幼い私をよく見てきた。少女に興奮する気持ち悪い目で。彼が来る時、いつも私は怯えていた。お母様やお父様に、何か手を出すのではなかろうかと。しいては、私にも変なことをしてくるのではないかと。

欲にまみれた、ソーセージのような太い手がヴァルカン様のローブへと手を伸ばす。


「さっき払ったばかりだよ。五億ギル、それで君はこのイリスを追いかけるのはやめるんだろう?」


「滞納した期間は十年は超えている。それを考えないか、私が我慢してやった分を。それともいいんだぞ、お前がその妻を渡してやってくれても」


オタール様の手がついに、私をかばってくれるヴァルカン様の方へ触れそうになったとき。


体は自然と前に出ていた。幼い彼を今度、背中にかばって、オタール様の手を思いっきりに叩いた。


「ッタ」


「もうよしてください。お金は受け取りましたでしょう??このお方には手を出さないで!」


何度も男爵家で向けられた目。子供に手を出したくなるこの手の輩はたちが悪い。


「はっ…お前のような貧乏令嬢に、そいつが守れるのかぁ?第一、その『異形の姿』を夫として愛せるのか?七つも年下で、守る能力すらない子供に?」


オタール様はゲラゲラと笑い始めると、私の頬をわしづかみにした。油にまみれた太い手は、私のアゴを今にも割りそうなほど力がこもっている。


「お前にできることといえばせいぜい、男を(くわ)えることぐらいだな」


そう言うと、オタール様は私を突き飛ばした。


「どこまでその子供を守ってやれるか見ものだな。まあいずれ、借金取りが侯爵家の門を何度も叩きに来るだろう。お前が本当に捨てられたその時は、私がお前の体を買ってやるよ」


そう言って、オタール様は去り際にヴァルカン様のフードをはいだ。その瞬間、場は凍てつくように注意が注がれた。


「あれ、見てみて」


「恐ろしい顔だわ」


「まるで異形ね」


様々な人の注意を集めて、オタール様は消えていく。余計なことをして帰る彼は、いつにもまして陰湿だった。


「いつかまた取り立ててやるからな。その時はイリス、お前をもらう」


オタール様という存在に拳が震えながらも、私は笑みを取り繕って振り返った。


「ご無事ですかヴァルカン様。ああ、周りのことなんて気にしないでください。私はあなた様を」


そう言って彼に触れようとすると、手を跳ね除けられた。先ほど、私がオタール様にしたように。手を叩かれて、距離を離される。


「何で僕を守ったの…」


「これは私の家の問題で」


「しょせん僕は異形の侯爵だ。イリスだってそう思ってるんだろ」


「それは違います。ヴァルカン様のことを私は」


「子供扱いするな!お金になんか僕は困ってない。あいつにお金がいくら必要か聞き出そうと思ったのに。イリスのせいで台無しだ!」


そう言うと、彼はツバメのように人垣の中へと入っていってしまった。いくら生まれつき足が不自由だからといって、それをくつがえすような義足を彼自身で発明している。

ヴァルカン様が言うことは本当なのだろう。彼自身が巨万の富を築いているということ。天才魔法具職人であるから。

でも私は彼にこれ以上尽くしてもらう義理なんてなかった。その恩を返すために、今まで傷を治していたけれど。これ以上されてはもう返し尽くそうがない。


「お待ち下さいヴァルカン様!」


小さな背を追って、人垣の中を走り抜けた。子供を探すというのはなかなか至難の業だった。


何度も追って転んでは起き上がった。

ここでへこたれていては、私は彼の母親代わりになれない。

子供扱いするな、なんて言われたけれど、私にとってヴァルカン様は家族みたいな大切なもの。私を笑顔にしてくれる優しい子。


彼は心をこめて作った道具をくれて。


私に頼ってきてくれたり、顔を見せてくれるようになってからはますます嬉しかった。


追いかけなくては。ここで証明して見せなければ。


彼の心は一生、傷ついたままだ。

ヴァルカン様が傷ついた体は魔法で癒せても、これでは心が癒やすことができない。私が母親代わりになって、彼の全てを癒やしたいのに。


走る足はどうしようもなく遅くて、鈍くて。心臓は鉛のように私の体内にぶら下がっていた。波打つ体に耐えられず、視界がグラグラと揺れている。


「大丈夫ですか」


「おい、誰か!人が倒れてるぞ!」


行かなくては。追いかけなくては。


私はあの子を守れる大人なのだから。すべての傷を癒やすには母親という存在が必要なのだから。


それでも昔から弱かった心臓が許してくれなかった。刻一刻と迫る動悸は、薄々感じていたもの。癒やしの力を使うたびに、積み重なる疲労。それがとうとう、限界を超えたのだ。

胸を鷲掴みにして、意識はとうとう途切れた。







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