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私がここに嫁ぎに来たのは、つい数日前。


「イリス、この男爵家が今、ものすごく貧乏になっているというのは知っているな」


白髪交じりになったお父様が、深刻な顔で告げる。

そう、私達パナケイア男爵家は名ばかりの貴族であり、貧乏であった。病弱なお母様の病気が悪化してからというもの、さらにそのお金が減るというのに拍車がかかっている。お父様はお金をつなぐためにもいろいろと投資しているのだが、そのどれも……失敗…


「まあ、貧乏なのは、私が生まれた時からずっとそうだったではありませんか」


「そうだな…。そこでだが…本当に言いにくいことなんだが…いま一度、お前には大切なことを頼みたく」


お父様は私へ紙を手渡してきた。それは婚約と輿入れ金の受け取りの書類である。


「ヘパイストス侯爵家に嫁いでくれないか。そうしてくれさえすれば、今度は投資じゃなくて起業ができるかもしれない。今度こそは絶対に成功するから」


土下座するような勢いで頭を下げてくる父親に、私はもう苦笑いするしかなかった。


「お母様と妹のローザリアを頼みましたよ、お父様。絶対に不幸にしちゃいけませんからね」


妹の顔が思い浮かぶ。ピンク色の髪に薄桃色の瞳。可愛らしい小柄な彼女を、お父様は溺愛している。ローザリアは私より八歳歳下の十歳なので、まだまだ婚約には早いとお父様は思っているのだろう。

老婆のような白髪と青い瞳を持って生まれた私とは違い、妹は本当にかわいい。

だからこの家に残してほしいという父親の願いは叶えたい。


妹にはお金のために結婚する私のようにはなってほしくないということ。


お母様と同じく病気がちな弱い体に生まれてきた私は、この家に恩を感じていた。貧乏なのに多額の医療費を払ってもらい、生き延びられているのだから。考えれば、私を嫁がせるというその案が、男爵家にとっては妥当だろう。


「本当に悪い。お前には苦労かけてばかりですまない」


自分さえ我慢すればいい。そうすへば、お父様もお母様も、妹も。みんな、幸せに過ごせる。お父様はニコリとも笑わずに、ただ悲しげに言った。


「『異形の姿』と貴族の中でも言われるヴァルカン・ヘパイストス侯爵だが、安心してくれ。年はお前からして七つ歳下と聞いている」


ヘパイストス侯爵家の噂というのは社交界にあまりでない私でも存じている。

領土に数多の鉱山持ち、そのふもとには数多くの武器や道具作りの工房が発展しているという。そして新しい生活用品や、魔法具製品を代々のヘパイストス侯爵様が開発している。

その歴史は皆も薄々耳にする話なのだが、今の侯爵様が噂される理由というのは『異形の姿』ということからだ。貴族界でも庶民の間でもそう噂されるが、実際のところ、彼の顔を見たことがある人というのはとても少ない。なぜならヴァルカン様自身、まだ十一歳という年端も行かぬ子供ゆえ、屋敷から出る機会も少ない。


お父様が安心しろというのは、夜伽のことについても暗に意味していた。何回りと年上の人と婚約させられ、十代の令嬢たちが悲惨な目に合うのを知っている。だからこの婚約はそういうことはないという、お父様なりの考慮なのだ。


男爵邸から馬車で移動して、早数日。

その小柄な男の子に出会った。分厚いローブのフードを被り、さらには口周りには布を巻いている、不思議な格好をした男の子。


「イリス・パナケイアです」


「…ヴァルカン・ヘパイストス」


そう名乗る目の前の彼は、酷い声をしていた。幼く、まだ変声前の声ながらも、カラスが鳴いた声も混ざっていた。

それに、彼は噂通りに分厚いローブを羽織っていて、その背格好や顔すらわからない。


黒い毛布に話しかけているような気分にすらなるほど。この布の中に子供が入っているとは、話さられるまでわからないだろう。侯爵邸のソファーに座ったヴァルカン様は、分厚いローブから小さな紅葉のような右手を少し出すとすぐに引っ込めた。紅茶を飲むにしろ、あまり自分の姿は見せたくないようだ。


「ヴァルカン様はクッキーがお好きなのですか」


お茶会に並んだお菓子の類。こんな急な婚約に対応してくれたということだから。きっと、この屋敷にはクッキーとか子供である侯爵様向けのお菓子があるのだろう。尋ねると、ローブが上下に動いた。

どうやら頷いたということらしい。


「ここは鉱山と同時に火山もあると聞きました。その熱でつくる菓子や食べ物は、小麦を練って焼くのだと。とても美味しいですね」


そう言って話しかけると、ローブの中にいる彼は声を出さずに、私にクッキーのお皿を寄せてきた。


もっと食べていいということだろうか。


行為に甘えて次から次へと頬張りながら、ミルクティーで胃に流し込む。


「ぷはぁ~。すごく食べごたえがありますね」


机の上で渡された山盛りのクッキーを見事に完食した。一息つくと、ヴァルカン様の紅茶を飲む手が止まった。


「た…食べ過ぎでは…」


彼がそういうものだから、私は少し口元に手をやった。


「えへへ、すみません。ものすごく食べちゃいました」


貧乏貴族の胃袋だけは舐めないでほしい。バク食いできる場面なら、いくらでも食べれる。


にしても、何て美味しいんだろうか。


火山の熱でつくったものというのは、特別な地に眠る魔力でも宿しているのだろう。とにかくそのクッキーが美味しくって何度もそのことを目の前の彼に伝えると、かすれた声が続いた。


「あり得ない」


「す、すみません」


食べたいものをガツガツ頬張っちゃったのはさすがにいけなかったか。半べそをかきながら謝ると、彼は立ち上がっていく。


「長期保存冷蔵庫…」


「冷蔵庫?それって、最近発明された魔法具ですか?」


「その中に入れておけば、何ヶ月も持つ。中に菓子はたくさんある」


お見合いするような時間などなく、侯爵家に着て早々の夫婦生活。その初めての会話が、お菓子と冷蔵庫の話だった。

しかし、ヴァルカン様が私に消えてくれ、なんて言った時から緊張した空気が張り詰めて。その反動で、食べたクッキーが、全部戻りそうになったけど。


冷蔵庫があると教えてくれたのが、嬉しかった。食を分けるというのは、人間の三大欲求を分けるということでもあるから。中々できることではないはずだ。


冷たい口調の反面、その気遣いを、私は少しずつ知っていくことになる。




「イリス」


かすれた声が聞こえた。私のことを誰か呼んでいるのかと振り返ると、自室の扉に小さな布の塊を見つける。


「ヴァルカン様!!」


訪ねてくれたのが嬉しくて抱きつきに行こうとしたら、華麗に避けられた。おかげで、私は前のめりになって扉へとダイブしてしまう。


「ふぎゃっ…」


「ん」


転んだ私が立ち上がる前に、彼は押し付けるように渡してくる。


「深爪しない爪切り」


手にのせられたのは、普通の爪切りなんだけど、なんだか金とピンクが混ざっている。


「オリハルコンは丈夫で便利」


「まあ!すごいですね。深爪しないなんて、とっても便利じゃないですか。売ったら、貴族令嬢がみんな喜ぶんじゃありませんか?」


早速それを使って見せると、すぐに爪はきれいに切れた。いつもならヤスリがけまで完璧にしなきゃいけないけど、この道具は特殊で爪先が引っかからない。


「たしかにこれは便利ですね。ヴァルカン様、ありがとうございます」


お礼を言ったら、彼はうんともすんとも、何も反応せずにそのまま立ち去ってしまう。彼にこの声が届いているかとても不安だけれど。


「お礼が届かないなら、もっとたくさん言えばいいのよね」


大きな声でハキハキと。

相手に感謝を込めて。


それはお母様が幼い時から教えてくれた作法だ。挨拶さえ気持ちよければ、相手への接し方も変わってくると。だから彼にすれ違う時は、たっくさん挨拶するようにした。


またあるときは、私にインクが切れない羽ペンをくれたときもあった。


「ペン。インクは切れない」


「これなら何十年と愛用できますね。手に馴染むように手元のグリップを組み替えれるようにしたら、間違いなく売れます!というか、これ、すごく私の手に良いですね。ふふふ、使わせていただきます」


「っっ………」


なにか言いよどむ彼は、いつも肝心なことを話しそびれるのか。背中を向けて去ってしまう姿がどこか胸をキュッと締め付けてくる。

  

「どうしたらいいのでしょうか。私、こんなにもらってばかりです。それに、なんだかヴァルカン様はいつもなにか言いたげで」


まだ結婚して一週間だというのに。私よりも七歳も年下なヴァルカン様は毎日のように発明したものをくれる。自室に収められた便利な小道具たちを眺めていると、使用人のシフがニコニコと笑っていた。


「奥様、お困りですか」


「貴重な発明品をこんなにももらっていては…少し申し訳ないと思ったのです。それに…ヴァルカン様は私に何かを伝えようとしてくれているんじゃないかって」


黒い髪と目をした使用人はまるで猫のように意地悪気に笑った。


「お嫁さんができてからというもの、坊ちゃまも張り切っておりますものね。道具作りにとっても励んでいて、我々使用人たちも眺めているだけでお腹が一杯になります」


ここの侯爵家の使用人たちは気にしていないようだった。当主が顔を布で覆っているということを。

噂で聞いた話であるが、彼の両親が事故死してからすぐ後に彼に当主の座が譲られた。それを陰ながら支えていたのは周りの使用人であり、シフもその一人だった。


「ヴァルカン様は何が好きなのでしょうか。私のほうが年上だと言うのに、こんなにもらってばかりではいけないですよね」


「ふふふ。お坊ちゃまが好きなのは鉱山から取れる鉱石ばかりですから、鉄鉱石なんてどうですか」


子供へのプレゼントにしてはとても難しいのではなかろうか。彼がいくら武器や道具を作る鍛冶職人だからといって、そんなにゴツいものを…と考えた。

鉄鉱石など以外にも、鉱山から離れたものを思いめぐらせばいくらでもある。


「新しいものを私も教えてあげたいですから。そうね…お菓子なんてどうでしょうか。パナケイア領は砂糖菓子が有名で、ここの焼き菓子とは少し違ったものを楽しめるんじゃないでしょうか」


最初に話した時、彼が私へ用意してくれたものだ。大量のクッキーのお返しをしたい。その後も、夜食とばかりに冷蔵庫のお菓子を分けてくれたことも。だから、私も、同じようなもので少しずつ返していきたい。そう思い、パナケイア家がよく利用する店より、私は金平糖を取り寄せた。星を集めたようなお菓子には、きっとヴァルカン様も喜ぶだろう。


「ヴァルカン様、入っても良いでしょうか」


執務室へノックをしに行くと、返事もなかった。もしかしたら侯爵邸についている鍛冶場にいるのかもしれない。ここの屋敷には突き出すように作られた工房がある。一階に降りて、渡り廊下を歩く。

しばらくすると、カンコンカンコン、打ち鳴らす音が聞こえた。



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