乳首がもげた
ありのまま、今、起こった事を話すぜ。
「乳首がもげた」
何言ってるのか分からねーと思うが、俺も何が起きたか理解できなかった。
なんか、こう、磁力のよわい磁石が黒板から剥がれ落ちるみたいに、乳首が剥がれて床に落ちたんだ。
俺は風呂あがりで、家の脱衣所で、濡れた体を拭いていた。
ちょうど、胸のあたりをバスタオルでぬぐった瞬間、
――ポロリ。
信じられるか?
乳首がポロリだぞ。
水着から乳首がポロリとか、そーゆーラッキースケベ的な意味でなく……物理的にポロリだ。
想像してみて欲しい。
突然、自分の乳首がもげたらどう思う?
パニックになるって?
残念、違うね。
意外に思われるかもしれないが、自分の乳首がもげた時、人は冷静になるのさ。
じっさい俺がそうだったんだから間違いない。
なぜ?
どうして?
WHY?
最初に疑問が脳裏をよぎって、それから「これ、やばくね?」って背筋が凍る。
パニクってる暇なんてなかった。
まず、俺は自分の胸を見下ろした。
胸から血とか出てたら、どうしよう……って怖かったけど、傷はどこにも見当たらなかった。
おそるおそる胸のあたりを手で触れてみたけど、乳首が無いという以外、これといって異常はなかった。
いや、まぁ、乳首がないってだけでも、すげー異常事態なんだけどさ。でも、ほんとに乳首が無いって事の他は、なに一つ、いつもと変わらなかったんだ。
床から乳首を拾って、手のひらに乗せてみた。
直径一センチくらいの乳首が二つ。
ほとんど見分けがつかないけど、片方が右の乳首、もういっぽうが左の乳首のはずだ。
もしかしたら、くっつくかもしれない。そう思って、乳首を元あった位置にくっつけてみた。
ほら、磁石みたいに取れたんなら、磁石みたいにくっつくかもしれないだろ?
まぁ、結果から言うと、儚い希望だったよ。
くっつくわけがなかった。
常識的に考えて、くっつくわけねーよな。いや、常識的に考えるなら、それこそ原因もなく乳首がもげるわけねーんだけどさ。
とりま、このまま放っておく訳にもいかねーし、病院へ行くことにした。
俺はまだ中学生だから、保険証は母さんが管理してる。病院に行く前に、とりあえず母さんに相談しないとな。
「なぁ、母さん」
「なぁに?」
「乳首がもげた」
「は?」
「いや、だから、乳首がもげた」
「あら、そう」
「言っておくけど、冗談じゃねーぞ。マジでもげたんだ」
「へぇ、そうなの」
「……驚かないのか?」
「驚かないわよ。だって、よくあることじゃない」
「いや、ねーよ! 聞いたことねーよ! 乳首がもげたなんて話!」
俺が叫ぶと、母さんはキョトンとした顔になった。
「ああ、そういえば、あんたには言ってなかったっけ」
「……なにを?」
「私たちの種族は、思春期をむかえると乳首がもげて、新しい乳首に生え変わるのよ」
「……は?」
わたしたちのしゅぞく?
乳首が生え変わる?
どういうこと?
俺が首をかしげると、母さんはベランダから取り込んだ洗濯物を折り畳みながら、そのついでのように家庭の秘密を暴露した。
「私たち、宇宙人なのよ」
「……は? うちゅーじん?」
「そ。M七十八星雲。そこが私たちの生まれ故郷。お父さんの転勤の都合でね、地球に引っ越してきたの」
「……母さん、正気か? 病院行くか? 心の」
「嘘だと思うなら、お父さんにも聞いてみなさい」
父さんが帰宅するなり、俺は「俺たちって、宇宙人なのか?」と問い質した。
父さんは晩酌用のビールを飲みながら「そうだぞ。言ってなかったっけ?」と、どうでもよさそうに答えた。
そのカミングアウトがあまりにも衝撃的すぎて……俺は、なんかもう、乳首とかどうでもよくなった。