84.すべて世は事も無し
結局のところ、家に帰るには同じ列車に乗るのが一番速いらしく。
再び戻った王都でまず向かったのはルイーザ様の元。まぁ報告とかそういうのがあるのだろう。
でもトリスタンがその話の為に席を外している間、わたしが押し込められた場所はルイーザ様の別邸、その一室。
元から訪れた場所が別邸だったからそれはそうなんだろうけど……。
だけど何故かその押し込められた部屋は広い衣装室で、わたしはメイド達に身ぐるみを剥がされた上に着飾され、化粧を施され。
隙のない笑顔を浮かべ有無を言わせぬ勢いで施される作業に戦々恐々となったローズマリーは、いつの間に戻って来ていた同じく着飾ったトリスタンに、いつの間にか手を取られ、いつの間にかルイーザ様主催の夜会に参加していた。
いや、何で!?
しかもこの後も数日ここに逗留を余儀なくされ、帰るに際しては女王陛下のお見送りのオプションまで付く始末。
「わたしっ、帰ったら絶対引きこもりますからね!」
帰りの列車の中での念押しの如くの宣言。でも聞いているのかいないのか、トリスタンはキラキラしい笑顔で「そう?」と笑った。
そして―――。
ルーナサを終え、サウィンが過ぎ、また冬至を迎える。
「マリー、蜂蜜酒ケーキの仕上げどうする? グレースかける?」
「うーん、どっちでもいいかなぁ。ナルに任せるよ」
「了解。 あ、それから置いてたヤドリギが見当たらないんだけど?」
「え? 何で?」
『――あ、ごめん。わたしが使っちゃった』
「………シェリー……。 まさか、全部とか…?」
『あー、うん、そのまさか』
「……………ヴァルー、ちょっと付き合ってー」
「ヤドリギか?」
「そう、また取りにいかなくちゃ。場所はわかってるんだけどね、わたしじゃ届かな、」
「ねぇ――、何でソイツに頼むの?」
遮る声にビクッと振り返ればトリスタンがいる。
表面上はとてもにこやかな笑顔で。
「ええっと…? 今はトリスタン様居なかったし…?」
「向こうに居るの知ってたよね?」
うん、それは見ていた。トリスタンは食堂で何か書き物をしていて、そしてそれ以外の四人がいるのは厨房だ。声も届く範囲。
だからトリスタンもこちらに来たのだろう。会話を聞き付けて。
「知って、ましたね……」
「じゃあ、何で僕に言わないの?」
この時点ではまだ笑顔だ。
「あー…、んー…でも…、ヴァルの方が大きいので、高いとこでも届くかなぁって?」
「……………そう、なんだ」
幾分声が低くなれども笑顔。
「……………でも、僕はロージーの恋人なんだからそういうのは真っ先に頼って欲しいんだけど?」
「恋びっ!? ――あ、いえっ、それは、そうですけど…。 うーん…、でもヴァルに頼むの方があれかなぁって」
ローズマリーに他意はなかった。言葉通り、貴族様のトリスタンより、やはり付き合いの長いヴァルの方が頼みやすかっただけ。だからそう答えた。
その答えた後すぐ。
ヴァルは小さなため息を吐き、人型を解いて狼の姿で部屋を出て行き。 ナルは急に「あー、そーいえば用事が!」と早口で呟いて同じく部屋を後にした。
シェリーはヤドリギの話の時点で半眼のローズマリーに睨まれとっくに逃げて。 残ったのはローズマリーとトリスタンの二人。
保たれていたトリスタンの笑顔――、それが消えて、すぅーっと瞳が細められる。
細くなった紫の輝きは剣呑な色を宿すが口元はまた弧を描く。
それはやはり笑顔だ。ただ、質が変わったことはローズマリーにもわかった。
だって目が笑ってないし!
「ロージー?」
囁く声は優しくさえある。
「な、何か?」
「何で下がるの?」
「――い、いや、トリスタン様が近づくからですよっ」
「ふーん?」
「だから何で近づくの!?」
「ははっ、そんなの――」
捕まえた。と言われた時にはもう腕の中。
「……わかるでしょ?」
「……わかりませんし、わかりたくないです」
「フフ、酷いなぁ」
どうしてこんな状況になったのか? ヤドリギを取りに行くはずだったのに。
「ロージー?」
「ヤドリギっ、取りに行かなくちゃいけないんですっ」
「うん、それは後で付き合うよ。今は――」
「こっちを見て」と、わたしの顎を捉える手。お願いではなく強制じゃないか。
でもこちらに抵抗の意志はなくて、易々と持ち上げられた向こうにある愛しい人の顔。
今度は緩やかな満ち足りた笑顔を刻む顔。
愛を欲して罪を犯しその先に得た愛。
その罪の償いの果てには、もう二度と取り残されることなく、この、わたしを見つめる彼の綺麗で美しい紫の瞳の中で眠りたいと、ふと思う。
誰かの妄執と差程変わらない執着に小さく笑う。
そしてそれは付け足された囁きへの肯定であり。更に距離を詰めたトリスタンに、ひとつも慣れぬ行為の恥ずかしさで、ローズマリーは慌てて瞳を閉じた。
――‥――‥――‥――‥――
住宅地に隣接する森は一部が国の所有地で手付かずの自然が残る。
「あっ! リスだよ! ほらっ」
「コラ、森に入っちゃ駄目よ」
リスを見て駆け出した息子を嗜める母親。子供はそれに口を尖らせる。
「えー、なんでー? リス居たのにー」
「その森はね『魔女の森』なの。奥に行くとイバラのトゲで刺されちゃうわよ。ね、だから危ないし入っちゃ駄目よ」
「えー何それー。何で魔女なの? イバラって?」
「さぁ? ママも知らないわ。今度おばあちゃんに聞いてみなさい。 さ、ほら、パパが帰ってくる前に戻るわよ」
「はーい……」
母親は夕食の準備でもあるのだろう、適当に話を切り上げて子供の手を引き、対向から来た男女の横を足早に通り過ぎた。
「……魔女の森だそうだ」
「シェリーがフラフラ出掛けるからですよ。しかも黒猫を引き連れて……、絶対楽しんでるし」
「でもある意味牽制になってるよね」
「そうですか…?」
「………………ねぇ、ロージー?」
「いやです」
「まだ何も言ってないけど?」
「言わなくてもわかります」
「近くに移動式遊園地が来るらしい」
「だから出掛けませんって!」
「アイスを三段重ねて観覧車に乗ろうか?」
「…………出掛けないって言いましたよね」
薄茶の髪の少女は緑の瞳を眇め、横を歩く金髪の男を睨む。だけど男はそれを受けても麗しい顔を綻ばすだけ。
なので少女は諦めのため息をひとつ吐き。
森の奥、イバラに囲まれポツンと建つ我が家へと、繋いだ男の手を引いた。
「さぁ、わたし達も早く帰りましょう」
少女の声に森はザワザワと揺れ道を作り、二人を飲み込むと静かに閉じた。
幾年の時を越えても森は変わらずそこにあり。 変わり行く人の世の傍らで変わることなくそこにある。




