74.取りあえず観光でも
「どうせなら観光がてらアン・ウッドの村にでも行ってみようか?」
朝食の時にトリスタンから出された提案に、断る理由もなかったので馬車に揺られて十五分ほど。
アン・ウッド村は、いばらの森近くにあるウォルソーと大差ない規模の村だった。
メイン通りは石畳で舗装されているが千ヤードもしないうちにまた地道となり、田園と林の中へと消えて行く。その左右もそこまで広がりがあるわけでもなく、村人の数もせいぜい百人あるかないかだろう。
なのにそこは人で溢れていた。
「ええぇ……、あんなチラシで人なんて集まるの……」
若干引き気味に呟くローズマリーの肩から声がする。
『チラシが全部じゃないだろうけど、人間なんてそういうもんでしょ』
そう答えるのは赤毛のリス。
もちろんただのリスが話すわけもなく、今回のシェリーの器はこのアカリスだ。
『主体性がないんだよ。だから簡単に周りに流される』
見かけは可愛いリスなのに吐き出す言葉は辛辣である。
毒を吐くのは構わないのだが、今隣を歩くトリスタンはその対象とされた人間であって。 まぁどう考えても、主体性のない人間でも、簡単には流されるような人間でもないけど。
ローズマリーはちらりと横を見上げる。
シェリーはわざと聞こえるように言っているのだろうけど、当のトリスタンはこちらの話を聞いていなかったのか、聞いていても気にしてないのか。ただ、何とはなしに村の風景に視線を向けている。
ふいにその視線が降りた。
見上げていたローズマリーの視線とぶつかって、ゆるりと細められたそれ。「何?」と柔らかく尋ねるように。
それはいつもと同じトリスタン。
そう、驚くほどいつもと同じ。
わたしなんて、朝食の時も今も、目が合えば直ぐに視線が泳いでしまう。
もちろん昨日の夜のことが原因で。トリスタンにとっては些細な出来事なのかもしれないけど、わたしにとっては思い出しても未だに顔に熱が上がる。
朱が走った顔を慌てて逸らしたローズマリーの、その肩の上で、
『だからロージーってばぁ…、そういうとこだよ…』
と、残念な感じで呟いたシェリーの声は聞かなかったふりをした。
この村にとってはこのシーズンが書き入れ時なのだろう。そこいらに呼び込みや看板などが立ち情緒などあったものでなく、とても残念感を否めない。
本来ならば閑静な村なのだと思う。メイン通りから路地を二、三入れば観光客も減り、この村本来の長閑さが見てとれた。
その路地にあった店へとお昼を兼ねて休憩がてら入ると、店の女将さんらしき女性が、「あらまぁ」と。
「えらく別嬪さんなカップルだねぇ! でも何でまたこんな外れの寂れた店に? 」
「いえ、あのカッ―――」
「寂れただなんて。こういうとこにある店の方が美味しいというのは定説ですから」
にっこりとトリスタンが答える。
( ……じゃなくて、カップルではないんですけど? )
でもトリスタンが会話を繋いでしまったのでローズマリーはむぐっと黙った。
そのキラキラしい笑顔に再び「あらまぁ」と嬉しそうに頬を染めた女将さんに案内されたのは外の景色が見渡せるテラス席。
見える景色は背の高い木々に囲まれた少し窪んだ平原のような場所。そこには沢山の素朴な草花が揺れ、木道が設置され散策できるようになっている。
なるほど、何となく避暑地っぽい。
( まぁ想像だけど、だって引きこもりだし )
でもだ。
「肝心な湖が見えないんだよねー…」
ローズマリーがポソッと呟いた独り言を、水を運んで来た女将が聞きつけ拾いあげる。
「昔はね、その見えてるところまで湖だったのよ」
「――あっ、ええっと……?」
「まだ名残で少しばかり湿地が残ってるから木道を設えているけれど、十五年程前はこのテラス席の際までがグリッセル湖でね、ここは湖を眺めれる特等席だったの」
「へえ。でも何故?」
湖が後退してしまったのかを問えば、女将は首を振る。
「何でかしらねぇ? 湖に出る幽霊?っていうのが噂に上がるようになって、それを目当ての観光客が増えたのよね。それからなの」
湖の幽霊さんが怒ってるのかもしれないわねー。と冗談のように口にして、女将はメニューを置いて席を離れた。
そしてローズマリーとトリスタン、二人だけになったところで、一旦何処かに隠れていたシェリーがひょこっと机の上に顔を出した。
『何でって……、そのままが答えじゃん』
「え、何が?」
手を伸ばすと小さなアカリスはその手を駆け上がりローズマリーの肩で寛ぎ答える。
『湖が小さくなったのは人間のせいだよ。その馬鹿な観光客のせい』
「んん?」
『だってグリッセル湖はセクアナの泉なんだから』
「セクアナの?」
セクアナとはわたし達の信仰においての泉と癒しの女神だ。
やっぱり、わたしがグリッセル湖に感じた感覚はあながち間違ってはいなかったわけだ。
「まだ残っていたんだ…」
ローズマリーは若干の驚きをもって呟く。
そう――、常若の国への道は遥か昔に閉ざされた。もう永遠の楽園には戻れない。
この湖の幽霊とはきっとセクアナなのだ。
他のセクアナ達が去ろうとも、楽園を捨てこの地に残ることを選んだ。ヴァルと同じく。
「でも、それが湖が小さくなったのと関係が? 人間のせいって?」
改めて、首を傾げ肩先のシェリーに尋ねる。
アカリスシェリーは再び机の上へと戻るとローズマリーを見上げて『前にも言ったけど』と。
『人間は自分達の信じる物しか見ようとしないから、自分の予測を越えたモノを自分達の中の定義に当てはめようとするんだよ。それこそ幽霊であったり怪物であったり、魔女であったり。
そんな人の概念はそこに本来のあったものの存在を――、力を削ぐの』
それは再開したあの夜に、城でシェリーが言っていた言葉だ。でもあの時言わなかったこともある。
何故、そんな概念の話の中に「魔女」も含まれるのか? わたし達が魔女であることは確かなのに。
でも今はそこには触れずに続きを待つ。
『セクアナの力の源は湖だもの、人の馬鹿げた好奇心は致命傷だよね。だから徐々に小さくなったんだよ』
シェリーであるリスは、少し視線を伏せ皮肉げに続けた。
『……遅かれ早かれ、わたし達はいずれ人に淘汰されるんだよ。この湖のセクアナもそれを受け入れた。そしてきっとあの公爵もそれに倣う。 …―――だよね、伯爵』
何故か急に、シェリーはトリスタンに話を振った。
そう言えばこの話が始まってから一言をも声を発していない男にローズマリーが視線を向ければ、トリスタンはわたしを見ていて。
それは何かを堪え揺れる瞳。
だけど直ぐに逸らされる。そして、今度は口を開き言葉を出そうとしたが、それもゆっくりと閉じられた。
トリスタンにしては珍しい態度にローズマリーは首を捻るが、シェリーの投げ掛けにトリスタンが言葉を返すことはなかった。




