71.エンカウントしました
何だろう? トリスタンと出会ってからの、自分の引きの良さにちょっと愕然とする。 しかも望んでない方向にばかりに。
ローズマリーは湖を見る振りをして、小道を逸れ二人をやり過ごそうとしたけれど。
「――失礼、貴方は公爵家の?」
思っきり話しかけられた。まぁそうなるよね。
振り返り、顔を合わさぬよう帽子のつばを押さえローズマリーは答える。
「いえ、ただの訪問客です。わたしはその付き添いですが」
「……なるほど」
そのまま何故か沈黙が落ちる。
気まずい。早くどこかに行ってくれないだろうか。それとも自分が行くか。
そう思って口を開こうとしたところで向こうが先に口を開く。
「すみませんが、顔を見せて貰ってもいいでしょうか?」
「は? …………なぜ?」
( ホントなんで? )
「ああ、私達は教会の者なのですが、最近ここらで教会としては少しばかり看過できない案件がありまして、ちょっと調べているところなんですよ。その為の確認といいますか……。もちろんドーリンベル公爵の許可は得ていますよ」
「でも、わたしは今日ここに来たばかりですが?」
( いやだから確認って……、何で顔? )
「そうなのですか。まぁそれはそうとして、何か私に顔を見せることが出来ない理由が?」
「…………」
( ………… )
理由も浮かばないし、心の中の突っ込みも浮かばない。
ローズマリーは苛立ちのもとに帽子をぐいっと上げると、視線に若干の険を乗せて目の前の男を見上げた。
近くで見た男は思ったより若い。やや鋭い、髪と同じ黒い瞳を少し見開きローズマリーを見下ろした後、フッと笑った。もう一人の男に至っては唖然と目を見開いたままだ。
「ありがとう、お嬢さん。 ――さて、私達がここで調べている案件なのだが……知っているかい?」
「わたしが知っていると思いますか?」
「どうだろう?」
男は一歩近づき、ローズマリーは少し怯む。胸元の赤い石が揺れる。
笑顔を浮かべてはいるが、男のその目は鋭いまま探るような視線だ。そして口調も変わり声は少し低くなる。
「グリッセル湖に……、この湖には幽霊が出るそうだ」
「そんなことの為に調べに来たんですか?」
暇なんですか?と暗に言えば、軽く声をたてて笑う。
「神の御元に行けない魂が幽霊という定義ならば教会の管轄だと思わないかい? まぁこちらではそれは悪霊と言うのだが。
噂など放っておいても良いけどそれが過剰に広まるのは困る」
「……わたしとは関係ない話ですよね?」
「どうだろうか。 その幽霊は大層美人らしい。人間を惑わすモノは大概そうだ。美しい顔で笑い、甘い声で囁く。人間などひとたまりもなく堕ちるだろうね、美しいお嬢さん」
色々と突っ込みたいことはあるが、この男はわたしを訝しんでいるようだ。
「貴方にはわたしが幽霊に見えるんですか?」
「話の大元が、そもそも幽霊でなければ?」
( ああ――…、)
なるほど、訝しむのも当然だ。
この男は端から幽霊などは信じていない。怪しげな噂のある湖に一人でいる女。しかも彼らを認識した途端に身を隠すような動きをする。そりゃ確かに怪しい。
幽霊ではないのならそれを何だと思っているのか。それには触れたくないし考えたくもないが。
当のわたしが教会に対して完全に後ろ暗いものを持ち合わせているのは確かなので、これ以上関わらない方が良さそうだ。
「すみませんが、話は終わりですか? そろそろツレが心配すると思うので、もう城に戻りたいのですが」
「ツレ? ああ、付き添いだと言ってたね。それが誰か尋ねても」
「別に構いませんよ、ティルストン伯爵です」
「ティルストン………?」
黒い瞳がまた微かに見開く。
――そうか、そうだった!
トリスタンは都合の良い相手じゃないか。教会に道具を提供したと言っていた。
そう、顔が利く。
「ええ、ティルストン伯爵です、トリスタン様。今日二人で王都から来ました。今 伯爵は公爵とお話し中なんですよ、なので一人で散歩してたんです」
笑顔のどや顔で言えば、男はしげしげとわたしを見下ろして。
「………ああ、そうか。君が伯爵の噂の恋人か」
「…………」
ピシリと笑顔が固まる。
またこの噂か。
………でも今は、否定はしないでおこう。
「なるほど」と男は呟くと鋭かった視線が少し和らいだ、気がする。何だか違うものを含んだ気もするが。
「ふむ、丁度良い。 ローズマリーだったよね、明日もここに滞在しているのだろうか?」
名前までバレている。噂怖い。
「……知りません。多分いるんじゃないですか」
気持ち投げやりに返せば、男はそれに気にすることもなく頷く。
「じゃあ、明日の午後にでも訪ねるとティルストン伯爵に伝えておいてくれないか?」
「は……? 別に構いませんけど…」
「じゃあ、よろしく。それと私の名はブランだ」
「はあ」
ブランと名乗った男はローズマリーの気の抜けた返事にまた頷くと、話は以上とばかりに背を向け元来た道を引き返し。もう一人の男は結局一言も話さぬまま わたしにペコリと頭を下げ黒髪の男の後を追った。
残されたローズマリーは。
「…………………帰ろ」
何だか気が削がれた。それに、行こうと思ってた方向は彼らの後を追うことになる。それこそ避けたい。
湖を渡る風が木々の葉を揺らし音を奏でる。まるでクスクスと笑っているようだ。
いや本当に笑っているのかもしれない。だってここはいばらの森と同じなのだから。
ローズマリーは胸元に揺れる赤い石をきゅっと握ると、小さくため息を吐いて城へと引き返した。




