69.はじめましてと初見
「ああ、君がローズマリーだね。君のことはルイーザ様から聞いているよ。 さぁ、楽にしてくれ」
その出された名に一瞬顔がひきつりそうになりながらもローズマリーは丁寧にカテーシーをする。もちろんその相手は、この城の主ドーリンベル公爵ウィリアムだ。
執事と共に部屋へと入ってきた公爵はトリスタンと挨拶を交わした後、わたしにそう声を掛けた。 そして立ち上がっていたわたし達に着座を促し自らも座ると、目の前にはまた入れ直されたお茶が置かれた。
ローズマリーは、トリスタンと他愛ない会話をしている公爵を、カップに口をつけながら幾分緊張した面持ちで盗み見る。
ルイーザ様と、公爵がそう呼ぶのならばそういうことだ。あの方はあくまでもバーリー伯爵夫人のルイーザでよいらしい。
その従兄弟である夫人と同じ色をしたウィリアムの瞳は、強い意志を宿したルイーザの瞳とは違い、とても穏やかで優しい。というよりも全体が優し気な印象だ。
年の頃はあの不快な男ナンバーワン(トリスタン父)と変わらないように思う。
金色の髪と青い瞳、顔立ちは整ってはいるが強烈なインパクトもなく薄いと感じる。
先に思ったように優しそうであるがそれだけ。
とても公爵という上位貴族であるようには見えない。
なので。 ローズマリーの緊張は、どこかエキゾチックな香りのする甘味とコクのある紅茶を飲むにつれ少しづつ薄れた。
と言うか――。
( 何だろうこれ? 美味しいな )
今まで飲んだことない紅茶だ。知っている紅茶の中でも一等鮮やかな紅色。
まるでシェリーの瞳のような。
そう言えば、再会した後で、こんなに長い間離れたのは初めてかもしれない。
( シェリー…元気かなぁ…… )
顔が見たいと、心の中で思い馳せる。鏡を見れば済む話だけど。
突然襲ったホームシックに思わずしんみりとした気持ちになったローズマリーは、続けられていた会話が聞こえなくなってることに気づく。
顔を上げれば柔らかな青い瞳と合った。
「それは東洋から取り寄せた紅茶だよ。気に入ったのなら茶葉を分けよう」
「――え!? あっ、その……」
手に持ったカップをずっと見つめていたからだろうか。急にそう振られて、戸惑うローズマリーにトリスタンが言う。
「ロージー、せっかくだから頂けばいいよ」
ウィリアムからの申し出を、むしろ断る方が失礼になるのかと、「…ありがとうございます…?」と返せばウィリアムは小さく笑った。
「ルイーザ様も仰っていたが…いや、本当に……。伯爵、君もある意味大変だろうな」
ウィリアムの言葉に、「ええ」と苦笑を浮かべ頷くトリスタン。
……なんなのだ?
少しだけ眉間にシワを寄せトリスタンを睨めば、対面にいるウィリアムはまた笑い言った。
「まぁまずは一度部屋に案内しよう。伯爵、話はその後で」
執事に案内された部屋は城の二階。届けられていた自分の荷物をしまうと、ローズマリーは廊下に出て隣の扉を叩いた。
中から聞こえた返事に扉を開け、部屋に入れど声の主の姿はない。寝室で音がするのでそちらにいるのだろう。
ローズマリーは目の前に広がる大きな窓へと寄る。見下ろせば自分の部屋からも見えたそれ。日の光をキラキラと跳ね返させる水面――グリッセル湖だ。
「ロージー」
声がして、トリスタンが横に並んだ。そしてローズマリーと同じように湖を見下ろして。
「……ふーん」と小さく零れる声。
「なんと言うか………、小さいな?」
「ですよねー…」
それは自分の部屋で見た時も思ったこと。
グリッセル湖は、湖と言うには小さかった。どちらかと言えば池とも呼べるような。
城に近い方は青い水を湛えているが、離れるにつれそれは薄い色に変わり。最後は土と草が繁る草原に変わった。
もしかしたらそこも元は水があったのかもしれない。
「この国で干ばつなんてありましたっけ?」
「んー、ないはずだよ。もともとどちらかと言えば雨の多い国だし」
「ですよねー」
ここブリテジアは盛夏に入る前の一ヶ月程、雨期と呼ばれる時期がある。今年もご多分に洩れずそれはあった。だからむしろ今はまだ水が多くてはならないはずだ。なので。
「ちょっと湖を散歩してきていいですか?」
ローズマリーは横の男を見上げて言う。
あの草原のようなところは湿地になっていて、ここからは見えない向こうにはまだ湖が続いているのかもしれない。
「ここからじゃわからないですし、どっちにしたって確認しないといけないんですよね?」
この湖が、今 太陽の光を跳ねる湖が。
日の当たらない世界なのかを。
「それは後で僕も付き合うけど?」
「トリスタン様は公爵様とお話があるじゃないですか。わたしその間ヒマなので」
トリスタンはうーんと唸る。
「ロージーを一人にするのは……何かねぇ…」
またそれか!
「大丈夫で―――」
「うん、君のその言葉は全く信用ないからね」
「――ぐっ……!」
ローズマリーは言葉に詰まる。
確かに、「大丈夫だ」と言い切った、王都のあの夜の騒動からまだ数日しか経っていない。
ニッコリと笑うトリスタンを恨めしそうに見上げる。
「でもっ!」
「まぁ、そうだね」
「――ん?」
「もし行くならこれを着けていって」
「――んん?」
あきらめずに言い返そうとしたら急に表情を改めたトリスタンが胸のポケットからシャラリと金の鎖のペンダントを取り出す。
「……それはシェリーの?」
小さな鎖の先にぶら下がるのは赤い紅玉。今は閉じられることのなくなった城のオベリスク、その欠片を着けたペンダント。
トリスタンはそれをローズマリーの首に掛け、胸元に赤い光が揺れる。
「そう。作りはしたけど出すつもりはなかったんだけどね。この前の件もあるし、やっぱり君一人は気になるから」
「それは行ってもいいと……?」
恐る恐る尋ねれば、トリスタンは微苦笑で頷く。
このペンダントにどんな効力があるのか? それはわからないけれど。
「じゃあ、行ってきますね!」
トリスタンの気が変わらぬうちにと、そそくさと出て行こうとしたらやっぱり一旦捕まり。
危険な場所の確認から始まって、つばの広い帽子を渡されたり、知らない人にはついて行くなと言われたり他。
いや待って、わたし子供じゃないんだけど?
撤回はされなかったけれど、その小言は執事がトリスタンを呼びに来るまで続けられた。




