66.その人の名は伯爵夫人
「トリスタン様?」
「ん、何?」
「いや、何じゃなくて……」
もの凄く綺羅綺羅しい笑みを称え向かいの席に座る男をローズマリーは半眼で見る。
「マーケットに行くんじゃないんですか?」
その為に王都に来たのだし、今日はその当日だ。
なのに今二人が居るのは、白を基調としたお洒落な調度に囲まれたサロンのような場所。同じ場にいる人達は皆 男女共にきらびやかな装いでお茶とお菓子を嗜んでいる。 所謂カフェなのだろう。
「それは少年に頼んだよ」
「ナルに?」
「ああ。 君の半身から預かった本のリストも渡しておいたから」
なるほど、それで朝からナルはいなかったのか。
でも珍しい、ナルがトリスタン様の頼みを素直に聞くなんて。と言えば、男はやはり笑う。
「そんなことないよ? とても快く引き受けてくれたから」
「……そうですか…?」
そう言えば、昨日夕食を終えた後にトリスタンとナルが何やら二人で話をしていた。
話し終えたナルはとてもゲッソリとした顔をしていたのだけど?
綺羅綺羅しいとは言え、明らかに質を変えた笑みを浮かべる男を呆れた目で見つめる。
それならばやっぱりわたし来る必要なかったじゃん…と、ローズマリーは文句を言おうとしたけども。わたしは列車で、トリスタンの心の一片に触れてしまっている。
わたしの視線を受け緩く瞳を細めたトリスタン。 なので、ローズマリーは小さく息を吐くに止めた。
「――卿」
わたし達のテーブルへと近づき、そう声をかけて来たのは黒いお仕着せの給仕――というには貫禄があるので店の支配人だろうか?
「バーリー伯爵夫人が向こうのサロンでお待ちです」
と、席の移動を促す旨を告げる男にトリスタンの眉が微かに寄る。
「バーリー伯爵夫人……?」
「約束があったんですか?」
「――いや…、でも……」
尋ねるローズマリーに、答えたトリスタンは暫く黙った後、考え込んだ顔で席を立つ。
呼ばれているのはトリスタンであり自分はここで待っていればいいだろうと、立ち上がったトリスタンを見上げていれば、横から再び声がする。
「お連れの方も一緒にとのことですが」
「え、わたし?」
「ロージーも…?」
二人して、怪訝に眉を寄せた。
男に案内され、トリスタンと共に廊下を歩きながら考える。夫人と言うからには、今から向かう相手は女性だろう。
( …………――はっ! もしかして……っ!? )
ふいに浮かんだ考えに、ローズマリーは息を飲む。
それはわたしの噂。
わたしがトリスタン様の恋人だと言う噂。
これは……。
もしや今から修羅場が繰り広げられるのではないだろうか?
そっと横を歩くトリスタンを覗き見る。
何だか難しい顔をしているが、ノックで開かれた扉の、その向こう側に立っていた男を見て「やはりか…」と呟き深いため息を吐いた。
( ええ!? まさかホントに修羅場が始まっちゃうとか…? )
中で待つ相手はやはりトリスタンと関係のある人物で、わたしとの噂を聞きつけ乗り込んできたのではないかと。
だけどそんなローズマリーの懸念など気にすることなく、開いた扉の中へと進むトリスタン。ふと思い出してローズマリーに手を差し伸べる。
その麗しい顔にはローズマリーのような憂鬱な感じは見られない。なので大丈夫だろう……と思いたい、うん。
新たに案内された部屋はさっきまでいた場所より少し狭く、こちらは全体的に茶色で纏められたシックな感じだ。
ローズマリー的にはこっちの方が好みだし落ち着く。
その部屋の中、庭が見える窓寄りに四人掛けのテーブルがひとつだけ設えてあり、そこには一人の女性が座っている。
近づくわたし達に視線をあげた女性。この人がバーリー伯爵夫人だろう。
彼女は思ってたよりも年上で、修羅場な雰囲気は微塵もなくローズマリーは小さくホッと息を吐いた。
そのバーリー伯爵夫人は強く青い眼差しに面白そうな光を浮かべこちらを見る。
「昨日ぶりだな、ティルストン伯」
「ええ、そうですね…」
楽しそうな口振りの夫人とは違い、トリスタンは苦い口調で。
口調と同じ苦い顔でトリスタンは続ける。
「貴方がバーリー伯爵夫人と名乗られるなら、その対応でよろしいんですよね?」
「構わない。それに、これは我が夫の持つ爵位のひとつだよ。その末端だ。だから間違ってはいない」
「はあ、そうですね。では多少の無礼には目を瞑って頂くということで。 ―――ロージー」
呼ばれて。ローズマリーは、何となく隠れていたトリスタンの背からおずおずと進み出る。
「こちらは、バーリー伯―――」
「ルイーザだ。そう呼んでくれて構わないよ、可愛いお嬢さん」
トリスタンの言葉を遮り話す夫人は、俯き加減に前へと進み出たローズマリーを見て、強い瞳の光を若干緩めた。 横で呆れた声をあげるトリスタン。
「陛――………伯爵夫人…」
「卿もそう呼んでくれても構わないぞ?」
「……遠慮しますよ」
はは、と笑った夫人は再びローズマリーを見た。なので、ローズマリーは改めて小さくカテーシーをして。
「はじめまして、ルイーザ様。わたしはローズマリーと言います。どうぞよろしくお願い致します」
短い挨拶をして顔をあげれば、夫人はまだローズマリーを見ている。その深く青い眼差しはわたしの奥底まで見透かすような。
ふるりと、ローズマリーは身を震わす。だけど夫人はそれをふっと緩めると柔らかく笑った。
「なるほど、よくわかった。ティルストン伯が大層メンクイだということは。
まぁとにかく二人共席に着いてくれ、今お茶を頼むから」
バーリー伯爵夫人の勧めに、二人は取りあえず席についた。




