62.無駄な時間とため息
諦めの心境でトリスタン父、男爵が待つ部屋へと向かえば、男はここの主のようにソファーへと座り、入って来たローズマリーに無言のまま顎で座るように指示する。
( いやここ、貴方の家じゃないんだけど? )
不服ながらも男爵から一番離れた席に座る。
わたしからの用は全く、これぽっちもなかったので何も言わず視線も合わさず。
だけど呼んだ本人も何もいわずに紅茶を飲んでいる。
何なんだこの時間。 わたしの紅茶は厨房ですっかり冷めてしまっているだろう、せっかくの高級ダージリンなのに。
その上視線だけは感じるから尚更不愉快だ。それは値踏みするような。
用がないのなら戻ってお茶の続きでもしようと、それを伝えようとしたところで男爵が先に口を開く。
「君に聞きたいことがある」
ローズマリーはその声に顔を上げ、迎えた男爵のブルーグレーの瞳が微かに細められる。
「ああ…、名乗らずとももうわかっているとは思うが、わたしはあいつの――、トリスタンの父親であるグレイフィッツ男爵だ」
手にしたカップを机に戻し改めてトリスタンの父親であることを名乗る男。
言われた通りに、それは承知のことだったのでそのまま黙って続きを待っていれば、男爵は瞳を更に細めた。
「噂を聞いた。息子には領地に恋人がいると」
「…………」
「その恋人は君か?」
「―――は!? 違いますよ!?」
ローズマリーは速攻で否定する。
でも十中八九、その噂の相手はわたしだろう。
だけども断じて恋人ではない、…今はまだ。
「なるほど、ハロルド様の言った通りだな。あくまでもそう言い切るか。
……ふん、それはトリスタンがそう言えと?」
「……はい?」
何を言っているんだ? そしてまたあの不快な男の名前が出た。
トリスタンが、あの男と男爵家は繋がりがあるようなことを言っていたなと思い出すが、だけど話の流れがわからない。
眉を寄せ、首を傾げるローズマリーを見て男爵はひとつ息を吐くと何やら独りごちる。
「これを見て魔女だと? ……確かに、あの方も最近薬が過剰過ぎるふしはあるな。
―――ところで、お嬢さん」
そう言えば、呼び方が「君」に戻っていたが、今度は「お嬢さん」?
「君は息子が好きなのかい?」
「――! それはっ………」
( 答えにくいことを、これまた答えにくい相手に! )
なので言葉に詰まっていたら「まぁ、それはいい」と流された。 ………なら聞くな!
そんなローズマリーの憤りなど気にすることなく男爵は続ける。
「君も息子もまだ若い。だから容姿で引かれるのもわかる。だがそんなものは何れ役に立たなくなるものだ。 あいつも今は君に執着しているようだがそれも高々数年だろう。
だから――」
男爵は言葉を切り、うっすらと笑みを浮かべた。
「私と手を組もうじゃないか?」
その言葉に。ローズマリーはただゆっくりと目を瞬かせる。
「……………はあ……」
「おまっ――!……いやっ、君は息子と共にいたいのだろう? あいつの身内である私がそれに手を貸してやろうと言っているのだぞっ!?」
気の抜けたようなローズマリーの返事に、男爵は少しイラッとしたようだ。それが口調に滲む。
だとしてもわたしにそんな提案をされても?
それよりも色々訂正したい。
そもそも、若いと言われてもわたしは男爵様より随分年上だし、トリスタンの執着( 多分その言葉が一番しっくりくる )はそんな高々で終わるものでないと思う、今までのことを顧みれば。
それから。手を貸すという申し出は全く必要ない上に、彼は家族のことを良くは思っていないので、むしろ逆効果だと思うんだけど?
だからそう言ってみたら、男爵はグッと一瞬言葉に詰まる。
「――き、君がトリスタンから何をどう聞いたか知らないが、貴族の家族と言うものはそう単純なものではないのだ! 爵位のことも領地のこともある!
………………大体だっ! 本来ならばお前のような平民が我が息子と恋人であることなど許されるものではない。だが、あいつは私が選んだ相手をことごとく無視した上に領地にこもって出て来もしない!
だからお前はっ、トリスタンとの仲を認めて欲しいなら代わりに私に手を貸すのが筋ってものだろう!」
( ……うん、何だかよくわからない )
途中から取り繕うことを止めた言い訳めいた話を聞かされたわけだけど。
でも手を貸す相手が逆になってるよね?
しかし男爵も息子から嫌われている自覚はあるようだ。
まぁ、ようするにこの人はわたしを懐柔したいのだろう。トリスタンを取り込みたいが為に。
しかもそれは純粋に家族としての関係を良くしたいというものではなく、先に男が漏らした通り、トリスタンが持つ「爵位」であり「領地」なのだ。
ローズマリーは呆れのため息を吐く。
「手を貸すとか貸せとか……、そんなのは必要ないしするつもりもありませんけど。 何にしたって最終的に決めるのはトリスタン様ですよね? 他が決めることではないのでは?」
「息子に対しての決定権は親が持つものだ!」
「成人してる息子の? しかもトリスタン様は父親である男爵様より爵位が上ですよね? ……それなのに?」
貴族であるならばその爵位が全てだ。それは親子であろうと。
貴族様様な思考であるトリスタン父に当て擦りのようにそう言えば、男爵は体を震わす。
そんな男爵から、聞こえた音に一瞬意識を取られるように窓の外に目を向けたローズマリー。けど直ぐ視線を戻し、屈辱に震えこちらを睨む男爵に対して口を開く。笑顔と少し悪意を込めて。
「なるほど。形振り構わないということですね? お嫌いな平民であるわたしにさえ助力を求めるとは。
フフ、貴族の矜持ってそんなもんなんですねぇ」
「小娘が……っ!!」
「――だ、旦那様!!」
顔を赤くし立ち上がった男。部屋の隅に控えていた従僕が酷く慌てた様子で駆け寄る。それは男爵が片腕を振り上げていたから。
そして男爵のその手の先に握られているのは杖だ。
トリスタンもよく手にしていたそれ。
なるほど、杖は武器ともなるのかと、こちらに向かって振り下ろされるそれをローズマリーは緩慢と見上げる。
別に甘んじて受けようと思ったわけではない。杖がわたしには届かないことを知っていたから。
下ろされようとしていた男爵の腕は不自然に止まる。そして。
「ロージー……、君は僕を殺す気かい?」
続いたトリスタンの声は安堵の息と共に少し乱れていた。




