58.徒に、とどまることなく
結局あの貴族父娘のおかげで王都に着くまでコンパートメントに引きこもることとなった。
まぁそれは通常運転なので構わないけど。
朝食を済ませ、珍しく机に向かい何か書き物をしているトリスタンを横目で見ながら、相変わらず車窓の風景を眺めるナルの横でローズマリーは部屋に届けられた新聞に目を通す。
そこに、最近見た名を見て思わずトリスタンに尋ねる。
「……トリスタン様、ラスター城って今回行こうとしてる場所ですよね? 売りに出されるんですか?」
「ん?」
書き物の為か、顔をあげたトリスタンは細い金縁の眼鏡を掛けていた。
それが良く似合っていて、ローズマリーは一瞬ムグッと言葉に詰まり、無言のまま持っていた新聞を差し出す。
ローズマリーが指差す場所、新聞下部の不動産広告欄にはラスター城の名が売却予定地として大きく書かれている。それに目を落とした男は、しばらくして「ふーん……」と小さく呟いた。
その思案するような呟きに、ローズマリーは更に尋ねる。
「トリスタン様も知らなかったんですか?」
「そうだね、これは流石に初耳かな。でも―――」
言葉を切った男。やはり考えるように黙り込み。なので今度はナルに尋ねてみる。
「ねぇ、ナルはラスター城の城主が誰か知ってる?」
外の景色に夢中であったナルだけど、先ほどの会話はちゃんと聞いていたようで、少し考えるように顎に手を添えた。
「んー……、確かドーリンべル公爵だったと思うけど、女王陛下の従兄弟じゃなかったっけ?」
「へえ、すごい人じゃない。 でも、何で売っちゃうんだろ? いらないなら自分の子どもとかに譲ればいいのに……」
「ああ、公爵は独身だから。もう結構いい歳の人だけど結婚はしてなかったと思うよ」
「へえ……」
( やんごとなき血筋で公爵で独身って…… )
女性なら放っておかないだろうに。
そう言えば前にもこんな同じようなことを考えたよねと、誰かを思い出し視線を向けてみれば、もう思案するのは止めたのかトリスタンがこちらを見ていてちょっと焦る。
「――じゃ、じゃあ、トリスタン様はその城を購入予定で行くんですね!」
「ロージー……、僕は初耳だって言ったよね?」
「……ハイ、ソウデシタネ」
焦った故の適当な振りに怪訝な顔を向けたトリスタン。けど直ぐに表情を改め小さく息を吐くと、眼鏡を外し落ちた前髪を無造作に掻き上げて胸のポケットへとしまう。
そんな何気ない動作さえも最近ではローズマリーの心を落ち着かなくさせ何となく腹立たしい。
なので少し恨みがましい視線となり、その向こうでトリスタンが口を開く。
「確かに公爵は一度も伴侶を持ってはいないよ。 それに幼い頃にご両親ともに亡くされているから天涯孤独なんだ。それで幼年期は女王陛下の家で共に過ごされていたそうだ。
陛下からしたら公爵は弟のような存在で、だけど彼は権力や政治には一切関心を持たずに、成人を迎えた後は公的な行事以外はずっとあの城に引きこもっているんだ」
何だろう。会ったこともないけど、その公爵様にちょっと親近感を覚える。
わたしと同じ引きこもり仲間じゃないか。
それにしても。
「詳しいんですね、知り合いなんですか?」
尋ねれば、トリスタンは何故か一瞬迷った素振りを見せた。
「んー、何度か顔は合わせたことはあるくらいかな。そもそも公的行事以外に彼が出てくることはないからねぇ」
「ふーん…?」
でもその割には詳しくないか? それともそこら辺は世間的に知ってて当たり前のことなのか?
そんなことを考えながらトリスタンを眺めていれば、それが顔に出ていたのか、トリスタンはうーんと唸り、そして、「――実はね、」と話し出した。
「今回ラスター城に行くっていうのは、その公爵に会うのが目的でもあるんだよ」
「公爵に?」
「そう、ちょっと断れないところからのお願いでね。……ごめんね、騙すようなかたちで」
「それは別に構いませんけど……」
騙すも騙さないも、この旅行についてはそれ以前の問題だったし目的なんて尚更だ。
でもそこで、ハタッと気づく。
「あ、それならわたしが居てはダメなんじゃないんですか? だったら、王都でのシェリーの頼まれごとが済んだらナルと先に帰りますけど?」
そうだ、別に避暑地なんて行かなくてもいいじゃないか。わたしの用事は王都だけなのだし。何で気づかなかったんだろう。
ウンウンと頷き顔を上げればトリスタンと目が合う。
少し眉毛を下げた男。
「そんな堅苦しいものではないから大丈夫だよ。それに……」
言葉を切り一度視線を伏せる。その長い睫毛を何とはなしに眺めていれば視線はまた上がり。少しだけ細められた紫の瞳がわたしを見た。
「君と出掛けたかったって言ったでしょ?」
「それはっ……、……王都の話じゃ…」
「もちろん全部だよ。ついでとは言え君ともっと色んな景色を見たいんだ。なんたって僕の時間は有限だからね」
後になって後悔はしたくない。と、トリスタンは言う。
( ああ―――。 ……そうか… )
それこそ当たり前の事実。だって、彼は人間だもの。
改めて本人からそれを突き付けられては強くは言えない。それに。
そうであったということに、今更ながらに衝撃を受けている自分がいる。
そうだ。彼の時間はわたし達とは違う。
無意識のうちに微かに唇を噛んだローズマリーに、トリスタンは小さく苦笑を浮かべる。
「ロージーのそんな表情を見れてちょっとホッとしたよ」
「……わたしの、……表情?」
どんな顔をしているというのか?
でも男はそれには答えず、「それとね」と話を続けた。
「ちょっと見てもらいたいこともあるんだよ。ラスター城ではなくて湖の方なのだけどね」
「湖? ……グリッセル湖でしたっけ?」
幽霊が出るらしい湖。魔女ではあるけれど、それと心霊現象はまた別だと思うのだけど。
微妙に首を傾げるローズマリー。トリスタンは言う。
「グリッセル湖はいばらの森と同じだと思うんだよ」と。




