57.甘くチープなメランコリー
若干もやもやした気持ちを残しながらも取りあえずはけりをつけて。ローズマリーは、タタン、タタンッと規則正しく響く、聞き慣れない音に耳を傾ける。
そうだ、今わたしは列車と呼ばれるものに乗っているのだ。
不貞腐れていたのできちんと周りを見ていなかったけど、改めて見て、馬車とは違う速さで流れる車窓の風景にやはり驚く。
こんな大きな金属の塊が大勢の人を乗せ、広くはないとはいえ中に部屋を連ねて走っている。トリスタンとナルに話を聞いた時は何を言ってるんだ?と思ったが、聞くのと見るのとは本当に大違いで、スゴいとしか言い様がない。
そんなナルも知識としては知っていても乗るのは初めてのようで、ローズマリーの横から身を乗り出すように窓の外を流れる景色を眺めている。
シェリーの代わりだと言って着いて来たけど、ただ単にこれに乗りたかっただけなのかもしれない。だってナルの金緑の瞳が完全に猫の真ん丸な瞳孔に戻っちゃってるし。
だけども。わたし的にはナルのように感動する程でもないな。と、窓側の座席を譲ろうとしたところに、トリスタンから声がかかる。
「ああ、そうだ。さっき食堂車の前を通ったんだけど、空いてたようだし少し早いが夕食にしようか?」
「――え!? 食堂なんてのもあるんですか!?」
「だよ。王都に着くのは明日の午後だしね。この部屋に運んでもらうことも出来るけど……」
「行ってみたいです!!」
少し食い気味に答えたローズマリーに、男は小さく苦笑を浮かべて「じゃあ、行こうか」と手を差し伸べた。
「列車って、やっぱりスゴい……」
食堂車の夕食は本格的で、家では食べることのないような食事を堪能したローズマリーは、うっとりとした顔で呟く。
さっきのそこまでのものでもないと思ったことは訂正する。
寝るところもあり食事も出来、列車にこもったままで遠くに行けるなんて、引きこもりには最高の移動手段ではないだろうか?
まぁ、食堂車ともなれば他の乗客も居てはいるが、皆美味しい食事と会話、それに車窓から見える暮れゆく景色に夢中で他人なんて気にしやしない。
部屋で食事も取れると言っていたが、こちらの方が走るレストランみたいでちょっと楽しい。
食後の紅茶のカップを手にローズマリーが小さく笑顔を浮かべれば。
「機嫌直ったみたいだね」
微笑むトリスタンがこちらを見ている。
いつから見られていたのか、若干はしゃいでいた気持ちを隠すように言う。
「……別に、いつもと同じですよ?」
「そう? その割りには食事が並び出した頃から瞳がキラキラしてたけど」
「き、気のせいです!」
( ちょっ……そんなに前から見てたの!? )
気恥ずかしさにカップに顔を落とす。
そんな背後が、何やら急に騒がしくなった。 食堂車の入り口の方だろうか?
チラリと振り返ったナル。人より遥かに優れた聴覚は、離れたこの席からでもその喧騒が聞き取れたらしく、呆れたように呟く。
「……うわー、馬鹿じゃん…」
「何?」
「んー…、どっかの貴族様が自分達の座る席がないことに文句を言ってるみたい」
「ふーん?」
「貴族であれば何でもまかり通ると思ってる時点で馬鹿だよね、ホント」
あーやだやだ。とナルは体を元に戻し、ローズマリーはちょっと慌てる。
( いやいやいや、目の前にもその貴族様がいるんだけど! )
でも当の貴族様は気にする様子もなく、むしろナルと同じ小馬鹿にしたような視線を入り口に向けている。
―――が、その顔が「しまった」という表情を刻む。
「まずい、目が合った……」
( ―――ん? )
そして直ぐに背後からもたらされる大きな声。
「おや!? そちらに居られるのはティルストン卿ではないですか?」
お客様!と慌てた乗員の声と、それを掻き消す騒がしい足音が徐々に近づいてくるのを背中で聞き、ローズマリーは途端顔をしかめる。
ティルストン卿とはもちろん目の前の男、トリスタンのことだ。
今回もまたトリスタンの知り合いかと思ったが、本人もやや困惑の表情を浮かべているのでそうでもないようだ。
確かにこの容姿では向こうが一方的に知っているだけのパターンも多そうではあるけど。
「ああ、やはり! いやー、奇遇ですな! こんなとこでお会いするとは!」
乗員の制止を振り切ってわたし達のテーブルまで来た件の貴族様は、迷惑と困惑をありありと顔に浮かべているトリスタンの表情など気にすることなく独りしゃべり続ける。
「しかしティルストン卿!ちょっと聞いていただけるか? ここの食事が大層素晴らしいと聞いたのでやって来てみれば、今は席がないので待てと言う、この貴族であるわたしに! まったく……、あり得ないだろう!?」
いや待てって言われたんなら待てばいいだけじゃん?と思ったけど取りあえず黙っておく。
ついでにいうと男は一人ではなく、多分娘だろう、けばけばしい色の服を纏った若い女性を連れていて。そして当然の如く、トリスタンを目にした女性の瞳はピンクのハートへと変わった。 もちろん比喩だけど。
ハートの瞳の娘は父の膨らんだ腹をつつく。 気づいた父親が「ああ、そうそう」と。
「この子は娘のマーガレットと言います。我が娘ながら中々の器量良しでしょう?
――さ、マギー、伯爵に挨拶を、ほら!」
「あ、あの…トリスタン様っ、初めまして! マーガレットと言います! 是非マギーとお呼び下さいませ!」
トリスタンを見つめ頬を染める女性。伯爵相手に初対面でファーストネームを呼び、そして自らも愛称をねだるとは。
横でナルが小さく呟く。
「器量良し……? 厚かましいが正解だよね、親子揃って」
ローズマリーは「しっ!」っと小さな声でナルを窘めて、なるべく二人の視界に入らないように試みる。だけど何も言わずに黙ったままのトリスタンにとうとうしびれを切らしたのか、「ところで――」と男はこちらに注意を向けた。
「君達は、伯爵の知り合いか? すまないが私達も同席させて貰うよ?」
少しは丁寧な言い方ではあるが、それって勝手に決定してるよね?
確かに私達がいるテーブルは広い、あと二人増えたとしても問題はない。でもこんな相手との同席などまっぴらだとナルを促し席を立とうとしたローズマリー。でもその前に、黙っていたトリスタンがやっと口を開く。
まず最初に零れたのは大きなため息。
「折角の歓談に断りもなく乱入した上に同席まで求めるとは。流石に厚かましくはないだろうか?」
ナルと同意見だったらしい。トリスタンが冷たく言い放つ。
だけど「いやしかし……」とまだ諦めない様子の男に、もう一度深く息を吐くと。
「先ほどの乗員とのやり取りから見ていたが、爵位はその人間性を正当化する為のものではない。むしろそれは持つものの戒めとするべきものだ。人の上に立つという意味を。
……貴族だからと言うだけで尊ばれることなどあり得ない。そんなこともわからない相手と同席する気は起こらないな」
切り捨てるような冷たい声は、けれどローズマリーへ向けては優しいものへと変わる。
「――さぁロージー、部屋に戻ろう。お茶も改めて部屋で用意するよ」
その言葉にわたしを庇うように先にナルが立ち上がり。トリスタンは言葉を無くし立ちすくむ父娘に視線を合わすことなく、テーブルを回り込んでナルからわたしを引き取る。
二人の過保護な連携プレーに何だかなぁと思いながらも、「トリスタン様……」と切なく呟かれた声に思わず視線を向けてしまい、声の主、マギー(だっけ?)と目が合った。
彼女は一瞬ポカンとわたしを見た後、ハッと我に返り今度は思いっきり睨みつける。
うん、まぁ、そうなるよね。だけどそれはむしろ悪手だと思う。
肩越しにトリスタンの紫の瞳が冷えた一瞥を向け、結果、俯くしか出来なくなった彼女をちょっと不憫に思いながらも。まぁ、わたしのせいではないので知ったことではないなとも思う。
ローズマリーは自分を連れゆく男を見上げる。
それに気づき、「ん?」と見下ろすトリスタンの瞳にはもう冷たい色はない。
トリスタンがわたしに向ける視線は、大概甘く優しく緩やかなもの。その意味を。男同様、わたしだってわかっている。
そもそもわたしはハッキリと告げられてるわけだし。
はぁ…。と、小さくため息ひとつ。
こういうことはまた起こるだろう。この男といる限りは。でもそれを仕方ないと思う自分がいる。だから。
トリスタンの顔を見つめたまま、今度は長いため息。受けた男は何だか複雑な表情となったのだけど―――、
うん、それこそ知ったことではない。
切るタイミングを失って長くなるパターン(苦笑)




