55.徐々に、そして確実に
ローズマリーはトリスタンがその毎朝の日課――、ヴァルが言うとこの鍛練を終えて戻ってくるとこを玄関先で待ち伏せる。
「やあ、おはよう。 珍しいね、君がこんな朝早く起きてるなんて」
わたしを見てちょっと驚いた様子のトリスタンの顔は確かに少し紅潮して見えた。それがトレーニング後だからなのだろうか?
「おはようございます。それと、おめでとうございます」
「ああ、そうか……。 朝一から君にお祝いの言葉が貰えるなんて。今までで一番嬉しい誕生日だよ、ありがとうロージー」
そう言ってトリスタンは緩やかに目を細め、言葉通り嬉しそうに笑う。
そんな大袈裟な……。と思うが、でも家族の話になると途端顔をしかめるくらいなので、本当にお祝いなどというものはなかった可能性だってある。
かくいうわたしだって既にお祝いなんてしない。だって二百歳越えてるんだもの!
……まぁそれは置いといて。
「そう言えばトリスタン様って幾つですか?」
「言ってなかったっけ? 今日で二十四だね」
「ふーん……。じゃあ――、わたしの方が年上ですね!」
自分の方が年長者であることを、フフンとドヤ顔で言えば、一度目をしばたたかせたトリスタンは急にニコリと笑って。
「うん、そうだね。ロージーの方がお姉さんだよね?」
と、笑顔のままに近付く。
その浮かべた笑みは、どちらかというと不敵な感じで。ローズマリーは何となく一歩後退り、背中が壁についた。
それでもまだトリスタンは徐々に距離を詰めて。
「じゃあ、教えてくれる?」
トンと、両腕がローズマリーを囲み壁につく。
見下ろすように。トリスタンはその笑顔を妖艶なものへと変化させ、そして鼻先が触れそうな程に近づいた。
「―――な、ななな何を!?」
「そうだなぁ…………」
囁く声は直ぐ耳元で。
甘く低く掠れた声が耳朶を打つ。
「色々………、かな?」
「――――………む……っ」
「――む?」
「むむむ、無理ぃーーーーーー!!!」
ローズマリーは逃げた。真下に。
「ははっ、」
蹲るローズマリーに上から声が降る。
「ロージー、君がお姉さんになれるには後十年は無理なんじゃない? それこそ色々な意味で。
――うん、是非楽しみ待ってるよ」
実に愉しそうにトリスタンは笑う。
まだ十年後もここにいるつもりらしい。
そんな男を、ふるふると震えながらローズマリーは睨む。
「またわたしで揶揄いましたね!!」
「んー…、というより、本当は何か言いたくてここで待ってたんでしょ?」
「―――あっ……………」
当初の目的を思い出しローズマリーは口元を押さえる。
そんなローズマリーの目の前に、表情を改めたトリスタンは自らも座り込む。
「―――で、何だろ? 教えて?」
「…あー………、その…、プレゼントを――、
………用意、出来なかったんです……」
ローズマリーは仕方ないと渋々と答え、
「は、そんなも―――」
「そんなものじゃないですよ! 貴方にはちゃんとお返ししたかったんです!」
呆れたように返そうとしたトリスタンに、少し強く声を被せる。
先日の服の件や誕生日うんぬんだけじゃない。トリスタンはわたしにシェリーを会わせてくれた。
消えることの無い罪悪感の中でただ生きるという選択肢しかなかったわたしに、たったひとつ与えられた救い。
ホントはそれさえも許されないことかも知れない。けど――、
「シェリーのことも……、結局わたしちゃんとお礼も言えてないままで。 あの夜だってきっと……」
トリスタンを遠ざけて森に籠る選択をしていたなら。わたしはまた感情を殺し、何も見えないように全てを隠し、それでもそれが罰なのだとい大義名文の元で同じ日々を過ごしていただろう。何も償えないままで。
「きっとわたしだけでは、また間違えていたと思う」
けど、わたしは自分を知った。過ちを知った。罪の意味を知った。それはシェリーがいてからこそ、トリスタンが導いてくれたからこそ。
「だから、トリスタン様にはきちんとお返ししたかったんです。ホントに……」
喋るうちに段々と俯いていたようで、わたしの頭上にため息が落ちる。
「………なるほどね」
苦笑混じりの声。
そして今度はゆっくりと手ひらが落ち、髪を撫でるように背へと回り、最後は男の顎が頭に落ちた。
( ――――ん? )
「トリスタン様…………?」
「何?」
( いや、「何」じゃなくて…… )
「……何ですか? この体勢?」
わたしの視界は今トリスタンで塞がれていて。背にはその両腕が回る。所謂ハグだ。
「お返しをくれるんでしょ?」
「………ですね」
「ならこれがいい」
「はあ……」
回された腕に微かに力がこもる。
ローズマリーは小さな息をひとつ吐くと、返すようにトリスタンの背に小さく手を回した。
「…………―――ロージー…?」
珍しく戸惑ったようなトリスタンの声。ローズマリーはちょっとだけ笑う。
「お返しになるんですよね?」
「………だね」
「じゃあそういうことで」
あの時、あのハロルドという男に捕まえられた時、ただ嫌悪感しかなかった。だけどもトリスタンがどれだけわたしに近付こうとそう思うことはない。今この時も。
しかしそれが容姿のせいかと問われると「そうかも…?」と悩まざるを得ない。だってトリスタンの顔が良いのは事実だし。
なんにせよ引きこもりだったわたしには圧倒的にそういった経験値が低すぎる。
だからまだ。
「十年待たなくてもいけるか……?」
と、独りごちるトリスタンの言葉を、本人の望む意味では理解出来ずに。
そんなにもここに居たいのならと。
「もう追い出すつもりもありませんから、お好きなだけどうぞ」
そう告げれば、トリスタンは小さく「はは」と笑い更にぎゅっとわたしを抱きしめた。
うん、さすがにちょっと苦しいです。
「ああ、そうだ! 裏庭の小屋使って下さいね」
先に立ったトリスタンの手を取り立ち上がり。思い出して告げる。
「――ん? なんのこと?」
「今日も散歩じゃなくてトレーニングしてたんですよね?」
「―――――はっ!? ちょ……っ、何で……!」
これは珍しい。こんなにも動揺するトリスタンなんて初めて見た。
「………何で……、知ってるの…? え…、見られたことなかったよね?」
少し赤くなった、でもやはり麗しい顔を隠すように片手を当てるトリスタンをぱちくりと見る。
「ええ。 ヴァルから聞きましたけど……、秘密だったんですか?」
「いや、そういうわけではないけど……。 何となく恥ずかしいような…」
「トリスタン様っぽくはないですよね」
「うん、……だよね」
はぁ。と息を吐き、仕方ないと顔をあげたトリスタンは「じゃあ、有り難く使わせてもらうよ」と笑い、ローズマリーはひとつ気になったことを尋ねる。
「何で体を? 健康の為とか?」
それこそトリスタンに似合わなさそうではあるが。
そんな疑問にトリスタンは笑みを苦いものへと変えて言った。
「不安だから。 ……自分の弱さを隠す為だよ」――と。




