52.勘違いの方向性
もがくローズマリーを抱えた人物は路地を走る。
「んーーー……!!」
「静かにしろ! 騒ぐな!!」
( いや、普通騒ぐでしょ! ってか誰よ!? )
一体何なのだ、この状況は!?
声からするに背後の人物は男で、離せ!と抵抗しようにも力の差が有りすぎる。
なすがままに連れ去られ、その向かう路地の先、馬車の横に立っていた若い男がギョッとしたように目を剥く。
「――ちょっ、ハロルド様!? なんですか!?」
( ハロルド!? )
わたしを羽交い締めにしたヤツの顔は見えないままだが、迎えた従僕だろう男が慌てて呼んだ名で背後の人物が誰かわかった。
トリスタンが呼んでた、ハロルド卿と。――そうだ、昨日の男だ。
「どなたですっ、その女性は!? 何故そのようなっ」
「うるさい! 黙れ! ここはまだ近い離れるぞ!」
「離れるって……? ハロルド様!?」
男は戸惑う従僕を無視し馬車に向かい、困惑の表情でローズマリーを見つつもそれでも従わざるを得ない従僕に思わずこちらが同情の眼差しになる。
主人がこんなだなんて大変だろうに。
まぁ、でも今はそんな場合でもなく。
停められていた馬車の扉を従僕が開き、男はローズマリーを抱えたままそこへ飛び込んだ。
「早く出せ!」
その声に、ガクンッと馬車が動き出す。
そこでやっと男はローズマリーの口元から手を離した。だけどまだ反対の腕はわたしの体に回されたままで動くことは出来ない。
そもそもこんな男と密着していること自体が気持ち悪いし嫌だ。
それでも解かれない腕に離れようと暴れれば、今度は肩口を押さえるように腕が回り、その手はわたしの顎を捕える。
首を捻るように無理矢理上に向かされて。男の愉悦に満ちた視線がじっとりとローズマリーに落ちる。
「ははっ、なるほどこれは! 昨日ちらっと見えただけだったが、そうか……――ふんっ、なるほどな。 あの男が全く誰も相手にしないわけだ!」
何がなるほどだ。一人納得した様子の男をローズマリーは睨む。
「なんだ? 叫ばないのか?」
「こんな走る馬車の中じゃ叫んだって聞こえないでしょ! それより離してよ!」
「口のきき方がなってないな……、平民か? それとも田舎の貴族か? おい、名前は?」
「こんなことするヤツに名乗る名なんてないね!」
「ふんっ、やはり平民だな。だからあの男はずっと隠していたわけか……」
だからさっきから一人で納得するな!
男がいうあの男というのはトリスタンのことだろう。昨日の話ぶりからも思っていたが、この男はトリスタンに対抗心を抱いているようだ。
なんだろう? やはり女性絡みか?
昨日の女性にやっぱり振られたのか?
( でもわたし関係ないじゃん! )
と、憤るローズマリーだけれど、続く男の言葉に驚く。
「では、その大事な恋人を奪えばあいつはどうするだろうな?」
「―――はっ!?」
「…………は…?」
「誰が…、誰の恋人って…?」
「お前はあの男の恋人だろう?」
「は!? 何言ってるの!? 全然違うし!」
「そんなわけないだろう!? 昨日も、そして今日も。あの男がお前に対する態度を見てれば誰でもわかる、恋人以外の何物でもないと。あんな独占欲丸出しの態度を見ればな」
「はぁ!?」
飛び交う「?」の嵐に最早パニックだ。
ホント何言ってんのこの人。
でも向こうもそう思ったらしい。怪訝に眉をひそめ改めて口を開こうとしたが。
パンッ―――と、
乾いた音が響き。嘶く馬。
そして馬車は大きく揺れた。
「―――きゃっ!!」
その衝撃でローズマリーの拘束は解け、床へと転がり落ちる。
そんなローズマリーとは違い、男は直ぐに体制を整えたようで。
「――おいっ!! 何だ!? 何があった!!」
扉を開け外へと向かって怒鳴る声。――そこに。
カチリと新たに聞こえた金属音。
「…お………、おい……? 馬鹿な、真似はよせ……?」
男の声は急に弱くなる。
なんだ?と強か打ち付けたお尻を擦りながら起き上がれば、扉から中途半端に体を外に出し固まる男の背が見えた。
そしてそのこめかみに突き付けられている鈍く黒く光るものはピストルか?
「馬鹿な……? 馬鹿な真似をしたのはどっちだ?」
初めて聞く、低く、どこまでも冷たい声。
そう告げたのはトリスタン。その手がピストルを握る。
声だけでなくその表情も冷たく、ローズマリーに見せるものとは全く違う。
声を掛けようとする、けどその前に扉の隙間からパタパタと小鳥が飛び込んで来て。
『ロージー!! 大丈夫!? 何ともない!?』
「ああシェリー! うん大丈夫だよ。シェリーが呼んでくれたんでしょ、ありがとう」
『わたしこそっ、……ひとりにしてごめん。 小鳥じゃなくてヴァルみたいな狼にすれば良かった。そしたらあんなヤツ直ぐに噛み殺してやったのに……』
頬にすり寄り物騒な発言をする小鳥にローズマリーは苦笑する。
捕まって直ぐにシェリーは飛び去っていた。トリスタンに助けを求めに行ったことはわかっていたけど、まさかその本人が来るとは。
扉の方へと顔を向ければ、そのトリスタンが眉間にシワを寄せこちらを見ている。
けどさっきまでの冷たい表情とは違う。それは大丈夫かと、心配そうな様子で。ローズマリーはやはり苦笑する。
声に出さず、口元だけで「大丈夫です」と告げれば、紫の瞳が微かに細まり。
助けが来るとはわかっていたけど、やはりどこか緊張はあったのか、そんなトリスタンの姿にホッとした安心を覚える。
そしてローズマリーは自覚せざるを得なかった。
それ程までに、トリスタンの存在はわたしの心に入り込んでいたのだと。




