5.少女の事情と世の事情
その敵認定となった男から貰った焼菓子が皿へと並ぶ。そしてトポトポとカップに注がれる紅茶から漂うベルガモットの良い香り。
家へと戻りナルの手でテーブルへとセットされたそれらを目の前にローズマリーは険しい表情で頬杖をつく。伸ばした手が貝殻型の小さな菓子をつまみぱくりと口に入れる。
口の中に広がる上質なバターの風味。使われているもの全てが上質でとても美味しい。ちょっとやそっとじゃなく美味しい。
そのことにローズマリーは不満を口にする。
「毒でも入ってたら意味がわかるんだけど」
それこそとんでもない。
けどローズマリーは毒に耐性がある。
普通の、一般的な令嬢であればそれもまたとんでもない話。だけども。
ローズマリーは魔女だ。
大地を割ったり炎を喚んだり空を飛んだり、はたまた死者を甦らしたり。などはこれっぽっちも出来ないが、魔女は魔女だ。
どこまでがその定義の範疇であるかは漠然としているとは言え、ローズマリーが魔女であることに間違いはない。
そして紅茶を注ぎ終え目の前に座った黒髪の少年ナルは、わたしの使い魔。その割りに主人に対してちょっと態度がデカいけれど。
「美味しく食べれるに越したことはないじゃん?」
呆れたように言い、焼き菓子をぽいぽいっと自らの口に放り込むナル。だからその態度が、だ。
そんな魔女と使い魔の天敵と言えば―――、
その一番は、教会関係者。
神と悪魔。聖と魔。そして教会と魔女。
相容れることない二つ。それはわたしだって知るわけない遥か昔から続く因縁。
「で、あれって何?」
ローズマリーは頬杖のままナルに尋ねる。いただけない格好だが別にそれを咎める者もいないので構わない。
放り込み過ぎた菓子に噎せ紅茶を飲み干したナルはトントンと喉元を叩きながら言う。
「この前王都に行った時だけど――」
わたしが、この森から出ることはない。
外での用事は全てナルが請け負う。
そのほとんどが近くの街で事足りることだけど、ナルは王都まで足を伸ばしているようだ。
( なるほど、どうりで二、三日帰らないことがあるわけだ )
きっとこういう美味しいものを探しに行ってるんだな。と、甘いものには目のないナルを眺めローズマリーはまたひとつ、今度はピンク色の丸いお菓子を口に入れる。ナル曰くマカロンと言うらしい。
まぁ、そんな話は今はどうでもよくて。
ナルが言うには、あれは『魔力が歪めたモノの真実を捉える魔導具』というものであると。
「魔導具?」
引きこもりのわたしにはまずそこからわからない。なのでレクチャーを受ける。
「魔導具は、魔力と機械科学の融合ってやつなんだ」
「機械…科学?」
「王都ではさ、ガス灯のおかげで夜は明るくて、馬車以外に蒸気で走る列車やエンジンを積んだ四輪車なんかが走ってるんだ」
「………………何、それ……?」
うん、さっぱりわからない。
ガス? 蒸気で走る列車……いや、列車ってそもそも何だ?
エンジンって??
曰く、今この国には科学が推し進める改革という波が来ているのだとナルは言う。だけどその説明を聞いてもローズマリーにはやはりさっぱりだ。
今や万能であった魔法は、人の世の側にあった力ある存在達は、常若の国に消えて久しい。
だけどもその全てが消えたわけではなく、力を帯びた場や物というものは未だ此処彼処に存在する。魔の海峡と呼ばれる場所やさ迷う湖、出口のない迷宮など。
このいばらの森もそのまた一つ。
そこで取れる魔力を帯びた材料を使い、科学の力に寄って編み出された道具が魔導具であるという。
そして男が持っていた懐中時計のようなものは、教会の聖職者達の一部が職務で使用していたとナルは言う。
目に見えているものに騙されることなく本来存在するモノを示す機械なのだと。
( ああ、なるほど )
それならば納得だ。森がどれだけ惑わそうとも確信を持って進まれては何れ本当へとたどり着く。隠し通すことなんて出来ない。
ある意味、力業で押し切られたわけか。
( ―――て、いやいやダメじゃん )
納得した自分に思わずツッコミすら入れてしまう。
「ホント…何なのそれ……?」
そんなズルい方法、それこそ魔法のようだ。
ため息と同時に零れた愚痴とも取れる言葉に、飲み干したカップに新たな紅茶を注ぎながらナルが言う。
「マリーは随分長い間引きこもってたからね。世の中は目まぐるしい速さで変わっていってる、それは今も」
その目まぐるしさについて行けないのはマリー自身のせいだろと、こちらを見たナルの目が言っている。
「………わかってるよ。でもわたしはここを離れることは出来ないもの」
「だから何でさ?」
「それは…………」
それはナルにも言えない。
二人の間で何度も交わされた会話。
でもいつもその先へとは進まない。
ナルの視線が下へと逸れる、仕方ないと言うように。そして今度は別を尋ねる。
「でもまぁ、どうなるんだろ。あの男が教会関係者だとして。教会の奴らが押し掛けてくるかな?」
それはローズマリーにもわからない。あの男はホントにどうにもよくわからない。何か目的があるのかどうかも。
また来ると言っていた。だから次こそきちんと尋ねようと心に誓う。
でも出来ればあの艶をもって人に圧力を掛けるご尊顔に、泥でも仮面でも布でも何だっていいので、見えなくしてから来て欲しいとローズマリーは心の底から思った。




