47.まず準備するものは
森から戻ってきた狼が、咥えていた小さな塊をローズマリーの目の前にポトリと落とす。
それは褐色の顔と胸元、背中にかけてはグレイベージュ色の小さな小鳥――の、まだ真新しい死骸だ。
別に狼が仕留めたわけではない。寒さか餓えか、それとも他の動物にやられたのか。手にとって見てもその小さな体には目立つ傷はない。
『ロビンだね』
後ろから覗き込んだシェリーが言う。
「この子でいいかな?」
『うん、いいよ』
「じゃあ決まりだね。ありがとう、ヴァル」
ローズマリーとシェリー、そして用事を終えたヴァルがいるのは裏庭だ。
トリスタンがあの魔導具を改良して効果範囲を広げてくれ、それを家の中と外に多数設置したおかげでシェリー単独の行動範囲は広がった。
そして今ローズマリーの目の前には、オークの樹皮を敷き詰めた小さな祭壇がある。
膝を付き冷たくなった小鳥をその上に寝かせる。横たわった小さな体に、赤い石がついたリボンを結ぶ。
周りにはヤドリギとハシバミの葉。ブナの木片に刻んだルーン。それとオレガノ、フェンネル、タイム、皿に入れたミルク。
「ごめんね、用事が終わったらちゃんと埋めてあげるからね」
小さな体をそっと撫で、横に浮かぶシェリーを見上げる。
「準備は出来たよ」
『了解』
ふわりと、回り込んだシェリー。ローズマリーと同じく向かい合うように祭壇を挟み屈む。
『オークよ、森の王よ、槌を持て杯を持て。アンスル、ユル、ギュフ、ライゾ』
小さく告げるシェリーの声と共に、その姿が霞んで消えた。
同時にピクリと動いたのは先ほどまで冷たく横たわっていた小鳥。小さく羽ばたく動きをすると起き上がり「ピッピチチッ」と高い声で囀ずる。
そして今度はちゃんと羽ばたき飛び上がるとローズマリーの肩に止まった。
「どう? シェリー?」
ローズマリーがそう尋ねる相手は、肩に止まる小鳥。
『ピチッ……ぴ……あ、あー、うん、大丈夫みたい』
囀ずりはシェリーの声へと変わり、また羽ばたくと次はヴァルの頭へと止まった。
その光景は。うん、何だかとってもメルヘンチックだ。
「あはっ、なんかいいねそれ。ナルも入れたらブレーメンの音楽隊が出来るよ」
ローズマリーが可笑しそうに言えば、
『わたしニワトリじゃないし、ロバがいないじゃん』
ロビンのシェリーは不服そうに言う。その下のヴァルもペタンと耳を下げたのは犬に例えられた不満からだろうか。
ローズマリーはくすくすと笑ったまま、「じゃあ、そろそろ出かける用意でもしょうか」と、狼の上の小鳥に手を差し伸べた。
街に出るにあたって、シェリーがこのままというわけにはいかず。取りあえず動かせる実体に入ることにした。
それがこのロビンだ。結ばれた赤い石は、シェリーの紅玉。
「ねぇ、ホントに外に出て大丈夫なの?」
『大丈夫だよ、2日くらい。 わたしの本体はここにあるんだし。森も邪魔しないでしょ』
ローズマリーの肩の上でシェリーが言う。確かに、3月に入り小さな芽を付け始めたイバラ達は真っ直ぐなアーチの道を開けている。
「でも……」
「そんなことより、マリーは街に出るのが怖いんだろ?」
「そっ! そんなことっ、………なくはない。 だって初めてなんだよ? 人も沢山いるんでしょ? どうしよう……」
荷物を運ぶ為に付き添うナルに言われて、ローズマリーは眉毛を下げる。
仕方なく乗せられたとは言え自らも決心したことだ。けど、森の出口が近づくにつれその決心はぐらぐら揺れる。だってホントに一度も街になど出たことがないのだ。不安に思っても仕方ないと思う。
でもそれはシェリーも同じのはずなのだけど、肩に止まるロビンは何だか楽しそうだ。
「まぁ、大丈夫だよ。伯爵が居るんだし」
『そうだね。全力で何とかすると思うから大丈夫だよ』
「え、何? どういうこと?」
ちょっと慰める言葉の方向性が違うような気がして首を傾げれば、小鳥なシェリーに大丈夫というように頬を軽くつつかれた。
その伯爵――トリスタンは馬車を手配する為に先に外へと出ている。
そして、イバラの道の先に広がる景色が見えた。
ううっ、と立ち止まるローズマリー。
「往生際が悪いよマリー」
『そうそう、往生際が悪いよ』
「シェリーがそれを言う!?」
二人と1羽(?)でギャアギャアやっているうちに、いつの間にか外へと出ていた。
「………… ………… ………何もないね」
『だねー』
「そりゃそーだよ、ここ田舎だもん。ウォルソーの村だって何もないよ」
拍子抜けしたように呟くローズマリー。
ナルが言うように森の外にはとっても牧歌的な景色が広がっていた。雪も溶け、淡い緑が広がる平原にポツリポツリと遠くに点在する建物、動いているのは羊だろうか?
取りあえず道らしきものが見えるのでその方向に歩いて行けば、パカラパカラと丘の向こうから馬車が近づいてくる。多分あれがトリスタンが用意した馬車なのだろう。
道端に佇んでいれば、そのとおりに馬車は目の前で止まった。
「おめでとうロージー、外に出れたね」
「そうですね、おかげさまで…」
馬車から降りて来たトリスタンが相変わらずの麗しい顔でにこやかに言う。それに微妙な顔で応じて。その間に馭者とナルが荷物を積んでいる。
そう言えば、馬車も初めてなことに気づく。
ちょっと気持ち浮かれて馬車の中を覗き込めば、クスッと笑う声が聞こえて、手が差し出される。
「お手をどうぞ、マイレディー」
その声は、もちろんトリスタンだ。
ごく当たり前のように、差し出された男の手を借り乗り込むローズマリーの、肩に止まったままのシェリーが嘆息と共に呟く。
『うーん、流石と言おうか。そうやって徐々に自分に馴染ませてゆくわけね……』
「ん? 何か言った?」
『ううん、何でもないよ』
パタパタと、シェリーは肩から座席に座ったローズマリーの膝に降りると丸くなる。眠るつもりなのか膨らんだシルエットがとても可愛い。
その小さな背を撫でていれば、トリスタンも馬車に乗り込んでくる。そしてローズマリーの膝の上のロビンを見て。
「それが代わりの体?」
「そうですよ、可愛いでしょ?」
同意するでもなく、ふーんとあまり興味無さそうに返事をしたトリスタンは向かいに座り扉を閉めた。
そして手を振るナルを残し馬車は出発した。




