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45.ただ君と共にあらんことを

 これはまだローズマリーが目を覚ます前。

 朝の日課から戻ったトリスタンは居間の扉を開けて直ぐに足を止める。


 部屋の中には先客がいた。

 揃えた前足の上に置かれた顔、金の瞳だけがチラリとこちらに持ち上がる。

 思わずそのまま引き返そうと思ったが、何だかそれも癪であったので足を進め、ソファーで寝そべる狼――ヴァルの向かいに座った。


 そんなトリスタンを見て、ゆっくりと狼の頭が上がる。金と紫の瞳が絡んだ。互いに何も発せず暫し見つめ合い、先に視線をずらしたのは向こう。 

 ソファーから降りたヴァル。部屋を出ていくのかと思えば、暖炉の側へと向かい、落ちていたブランケットを咥えるとその姿が瞬間ブレた。

 背を向けた体。それを覆っていた灰銀の毛並みは頭部を残して滑らかな人の肌へと変わり、屈められていた姿勢は徐々に立ち上がりすくっと伸びる。


 本来ならなかなかに興味深い変化を目の当たりに出来たわけだが、自分より背の高い鍛え上げられた背を見せつける男に、トリスタンはただチッっと舌打ちをして。

 人へと変わった男はブランケットを腰に巻いただけでまた目の前のソファーに座った。もちろん上半身は裸のままだ。


 まぁ今はローズマリーもいないので構わないが。

 トリスタンは背凭れに身を預け、腕組みをして向かいの男を見やる。


「……わざわざ人型になったということは何か話でも?」


 眼光は鋭いが整った顔である男は、トリスタンのそんな不遜な態度にも表情を変えることなく口を開いた。


「話があるのはそちらではないのか?」

「は………俺が? ……今更貴方に尋ねることなどないが?」

「そうか」

「……………」


 あっさりと引いたことに幾分腑に落ちないものを感じながら、再び立ち上がったヴァルを視線で追う。

 

 テーブルに置いてあった水差しからコップへと水を注ぎ、一口含んだヴァル。コトンとテーブルの上にコップを戻すとトリスタンを見た。


「お前はいつまでここに留まる気だ?」


 そう問う声はなんの感情も含まれず。


「生の許す限りは。それまではローズマリーの側にいるつもりだ。彼女がここにいるというのなら」


 返すトリスタンにも揺らぎはない。


 少女にも伝えた通り、その気持ちは変わらない。変わりようがない。

 自分に残されたものはもうそれだけだから。無様だと云われようとも足掻く。


「人の身であるお前がか? ……理から外れるぞ」

「――理?」

「人間としてのだ。聞いたのだろう? 今のこの森はそういう場所だ。魔女を得た森は魔女のもの、人のいるべき場所ではない」

「……………」

 

 人――つまりは人間(トリスタン)


 トリスタンの目の前にいる男は、言わずもがな人間ではない。先ほど変化の過程を目の当たりにしたのだから間違えようもない。それは黒猫ナルにしてもそうだ。


 では愛しい少女は?

 魔女であるというローズマリー。だけど体が変化するでもなく、火を起すにしてもマッチを使う。杖で空を飛ぶこともなく、怪しい術も使わない。

 自分となんら変わりないではないか?


「……魔女と人間と、どう違う…?」


 思わず口に出た疑問に、ソファーへと戻ったヴァルが答える。


「違いなどない」

「……………は?」

「お前とあの子に違いなどない」

「じゃあ何故っ!?」


 トリスタンはぐっと身を乗り出し、それを制するようにヴァルは手にしたコップを目の前に掲げた。

 

 コップの中で透明な液体が揺れる。


「ここにただの水がある。でも誰かがこれを毒だと言い出したら?」

「はっ? 何を、言ってる…?」


 急な話の展開に虚をつかれるが、男はそんなこと気にする様子もなく続ける。


「例え水だとわかっていても、大勢の人々がこれを毒だと言えば人は何れその思考に流される。そしてそれはこの水自身にも起こりうること。

 自分は毒なのだと思い込む。そう思い込むことで起こる事態が、更に周りを「やはり毒であった」という愚かな確信へと変えてしまう。そうなればもう止めようがない」


「……その水が魔女だと?」

「そうだ、全ては人が作った概念。

 きっかけは些細なこと、たまたま他と違う容姿をしていた、不思議な力を持っていた、そして嫉妬や疑惑や悪意。人しか持ち得ないそんなものが魔女を作った。

 魔女は人間から弾かれた人間で、その弾かれた哀れな人間を追い込み追い詰める群衆心理、それよって向けられた渦巻く負の感情こそが力の源だ。結果、皮肉なことにそれが魔女だと足らしめる。

 ……あの子が生まれた時代はまだそういうものが色濃くあった」


 魔女狩り――。男が話している時代とはそれだろう。凄惨で残酷な、人が犯した非道な行い。

 今でこそそれは過去の話だが、ローズマリーはその時代の当事者だ。

 今更どうすることも出来ないとわかっていても少女を思い胸が痛む。要らぬお世話だと言われようとも。


「だけど今この森にある力は、あの子ともう一人が犯した罪、その結果だ。だからあの子達は魔女なのだ。でなけばならない、この森にとっても二人にとっても」


 言い終えたのか、ヴァルはコップの水を全て飲み干すとテーブルの上にトンと置いた。

 コップへと視線を留めていたトリスタンは男の動作に釣られるように俯く。



「………では、その理から外れるとどうなる?」

 

 異形となるのか? 少女と同じ魔女となるのか? それとも命を落とすのか?


 選択肢など始めからない。既に決まっている。だけど出来れば命を落とすのだけは避けたい。何れ迎えることだとしても、異形でも魔女でも少女の側に長く居られる方がいい。


 だけど返らない返事に顔を上げれば、向かいのソファーには男の姿はなく、身を伏せて眠る狼がいる。

 

 もう話は終わったということか。


「…………おい、勝手過ぎないか?」

 

 ローズマリーが聞いていれば、お前もだと言われそうな言葉を呟きトリスタンは仕方ないと立ち上がる。

 先ほど二階からナルと思われる慌ただしい足音が聞こえた。少女が起きたのだろう。

 

 では、愛しい少女の為に暖かい紅茶でも入れよう。と部屋から出れば、階段を降りた所で固まるローズマリーがいる。上に居ると思った少女の姿に少し驚く。

 あれだけ泣いたのだ、その顔はむくみ目も腫れている。

 多分ローズマリーはその状態の顔を自分に見せたくなかったのだろう。とても気まずそうな顔でこちらを見る。

 

 だけどそんなものは些末なこと。腫れた顔のローズマリーだろうが彼女であることに変わりない。

 だからトリスタンは少女に笑顔で言う。



「おはよう、ロージー。 今日も可愛いね」




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