42.優しい夢を君に
泣くだけ泣いたわたしは、既にキャパオーバーだったのだろう。
ふいにグラッと視界が揺らぎ、驚くシェリーの顔を最後に目の前の景色は暗転した。
『ロージー!?』
声をあげたシェリー。倒れゆく半身に手を伸ばす。
けれどその体は伸ばした手をすり抜けて。目の前でただ為す術もなく床に倒れてゆくローズマリー。
でも―――。
「おっと……っ!」
床にたどり着く前に、そんなローズマリーの体を抱き留めたのはトリスタン。直ぐに少女の顔を覗き込み、その様子を確認して小さく息を吐く。
「緊張の糸が切れたんだろうね。気を失っただけみたいだ」
『……だろうね………。 でも…、なんか悔しい』
「………?」
思わぬ言葉にトリスタンは顔をあげ、呟いた赤い瞳の少女を見る。そしてその差し出されたまま行き場のなくなった手を見て少し呆れたように言う。
「もし君に肉体があったとしても、君とロージーじゃあ一緒に倒れるだけだろ?」
『わかってるよ!』
シェリーは伸ばした手を引き戻しぎゅっと握る。
『わかってるけど、側にいるのに助けることも、触れることも出来ないのが悔しい……』
「ああ――、なるほど……」
それはまさに正論だ。大好きな相手が側にいる。少しでも触れたくなるのは当たり前だ。
触れあい、温もりを感じ合う。そこから得られる喜びや心の安寧は何物にも代え難いもの。
だけども。触れることが出来てしまったら、それ以上という欲が湧くのもある意味正しい道理だ。
今 自分の腕の中にある温かく柔らかなローズマリーの体の感触に、今度は違うため息をひとつ吐き。トリスタンは一度首を振ると、先ほど少し気になったことを尋ねる。
「スケープゴートと、言ったよね? あれは…?」
いっぱいいっぱいであったローズマリーとは違い、トリスタンには引っ掛かった。
尋ねられたシェリーは、小さく鼻の頭にシワを刻んだけれどあきらめたように話しだす。
『この地が魔女の為にあるように、魔女もこの地の為にあるってことだよ』
「どういう意味だ?」
『要するに、わたし達のような存在、つまり魔女がいなければこの地は何もないただの森になるってこと。
わたし達は謂わば心臓部、力を循環させる為のポンプなの。力がただその地に特異点としてあるだけではなんの意味もない。そこから汲み上げて巡らせてこそ力となる。でなければただ霧散するだけ。
だからわたし達が生まれる前はなんの変哲もない小さな国に成り下がっていたの』
「じゃあ、君達がいなくなればここはただの森に戻ると?」
『さぁ、どうだろう? わたしは留められてしまったからね。形を変えたとは言え、これはわたしの体であったものだから』
「……ああ、そういうことか。それでスケープゴートだと」
シェリーの視線を追い、トリスタンは目の前の赤い石柱を見る。
初めから、二人のうちどちらかは手放すつもりはなかったのか。そこに重なった悲劇。森にとっては丁度良かったわけだ。
「でもそれならば、何故ロージーはここを離れられないんだ? 君の体が有る限りは大丈夫なのだろ?」
『きっと……、出れると思うよ。それをしなかったのはわたしに対してのロージーの心の問題でしょうね。後、森がと言うならば、それはスペア的なことなのだと思う。魔女が不在の時期が長かったからね』
「ふーん……。 ――まぁ、心の問題ならば何れ回復するだろう、もう君がいるわけだし」
物凄く複雑ではあるけども。
先ほど自らが言ったように、まだ自分は少女にとっての一番にはなれていない。
しかも当分の間はそんな隙間さえもないだろうと思う。
トリスタンは腕の中で小さな寝息を立てる少女を眺める。浮かぶ苦い思い。
今 ローズマリーの心を占めることが出来るのは、多分シェリーだけだ。
「まぁ、森の方であるとしてもそれはなんとでもなるかな」
『………何? ロージーを外に連れ出そうと思ってるの?』
「ん? そりゃー、季節が良くなったら街デートとかしてみたいじゃないか」
『―――は!? 何それ』
呆れた目を向けるシェリー。
『それじゃなくても森から嫌われているのに、何れ完全に閉め出されるよ?』
「そこはまた君に頼むしかないね」
『なんでわたしが!』
「そりゃあ、ロージーの幸せを願うなら?」
『それは貴方がロージーの幸せになり得ると?』
「そうだね。それが今の自分が生きる意味だから」
『………………何それ……?』
迷うことなく言い切ったトリスタンの言葉に、今度は訝しげな眼差しで首を傾げるシェリー。
その仕草も表情もやはり愛しい少女とそっくりで、自然と笑みが浮かぶ。そのせいか、急にびくっと身構えたシェリーに少し笑って。
「彼女に外の世界を見せてあげたいってのもあるんだよ。 綺麗なものばかりではないけど、それでも心の底に残るものはあると思う。そんな新たな思い出をロージーにあげたいんだ。
………確かに、過去は消えやしない。そんな消せないものならば尚更……ね」
そう言って、腕の中で大事に抱えていたローズマリーを背へと抱え直すと、床に置かれた魔導具を拾い上げてポケットへとしまい宙にいる少女を見る。
「―――さ、じゃあ帰ろうか。ロージーを早くベッドへ寝かせてやりたいし」
促すトリスタンに、何故か複雑な表情を浮かべるシェリー。
『……それは………』
「ん?」
開けた口を、でも直ぐに閉じ小さく首を振る。
『……………ううん、何でもないよ』
――‥――‥――‥――‥――
ふわふわと、暖かい温もりに包まれて揺れる世界。
ふわふわと、ふわふわと。
日の当たる窓際に集めた、寝具の中に隠れて遊ぶ幼い少女達。
「………? ロージー? どこ?」
「………」
「………ロージー……?」
「………」
「ねぇってばっ!」
「―――――ばあっ! ふふ、ここだよ!」
「ロージー!! もうっ、ホントにどっかいっちゃったかと思ったじゃない!」
「あはは、そんなわけないじゃん」
「もうっ!」
「わたしはどこにも行かないよ? だってシェリーの側が一番だもの」
「―――っ、……それはわたしだって……」
「でしょっ! だからずっと一緒だよ」
「そうだね、ずっと一緒」




