36.挙げ句の果てのピリオド (1)
音をたてる鍋の中身は白インゲン豆と玉ねぎ、それに鴨肉。ソーセージは一度軽く表面を焼いてから同じく鍋の中へ。
そして保存していたトマトの水煮を潰しながら加えて味を整えまた煮込む。それを四つの土鍋に分けて、表面にパン粉をまぶして窯で軽く表面を焼けば完成だ。
「みんなー、ご飯できたよー」
「ロージー、これを着て」
夕食を終え、出かけようとする玄関ホール。振り向いたローズマリーにトリスタンがフワリとコートをかける。
袖を通さないタイプの、フード付きの肩掛けのようなものだ。しかもほんのり暖かい。
「これ……、この前のトリスタン様のと同じ?」
「そうだよ。気に入ったみたいだったから君にもって」
トリスタンの伸ばされた長い指先が喉元の金具を留める。それに為すがまま。
ローズマリーは目の前で視線を落とす男を何とはなしに眺める。
改めて見てもトリスタンはとても整った容姿の男だ。
綺麗に弓を描く眉から真っ直ぐに通った鼻筋。わたしに対しては、大概いつも笑みを刻む形の良い唇は今も心持ちあがっていて。その納まる輪郭、やはり男性である分しっかりとしていてシャープだ。
柔らかな金色の髪と同じ色の長い睫毛は伏せられた涼しげな目元を彩り、並ぶ二連のホクロが艶やかさを足す。そしてそれを飾るのは美しい紫水晶の瞳。その瞼がピクリと揺れ、ゆっくりと持ち上がると、わたしを見つめて緩やかに細められた。
そんな彼が、わたしを好きだと言う。
惹き付けられないはずがない。 だけど。
それを受け入れることも、認めることも出来ない。
「……ありがとうございます。 じゃあ――、行きましょうか」
柔らかな笑みで告げるローズマリーに、トリスタンが微かに目を見開く。
思えば、彼に何の含みもない笑顔を向けるのは初めてかもしれない。だから驚いたのだろう。けど直ぐに何か言いたげな表情と変わり、わたしは視線を逸らして玄関を開けた。
雪は今も細かく舞い落ちる。だというのに月を遮る雲はなく、雪原に照り返される月光でさながら昼間のように明るい。
城まで続く道も、この雪でどこも埋もれている。はずなのに。
誘導するように踏みしめられたような一筋の道が月明かりの下に続く。
それが森の意志だとして積極的に協力するワケは?
怪訝に思いながらも、さくりさくりと雪道を行く。
雪が降る夜はとても静かだ。
道は一人分の幅しかなく二人は前後に並ぶように歩いている。
「トリスタン様、少し話を聞いてくれますか?」
道中 無言もなんだと切り出せば、背後から「ああ、いいよ」とトリスタンの声。
では、どれから話そうか。
「……トリスタン様は、史実に載ってることならほぼ知ってますよね。わたしの生まれた国が一夜にして滅んだことは」
「………そうだね」
「前にも言いましたけど、それはホントにわたしのせいなんですよ。
滅ぶことを願ったわけではないですけど、わたしのせいであることは確かです。
………いえ、もしかしたら滅べばいいと思ったことはあるのかも…」
サラサラと風に流され雪が舞う。それはやはり音もなく。聞こえるのは雪を踏みしめる二つの足音だけ。
「……シェリーとわたしは双子なんです。 王女は一人ではなく二人だった。なのに史実には王女は一人。 そこからもわかりますよね? シェリーの境遇は。……ホント、馬鹿らしい」
何も口を挟むことなく聞きに徹するトリスタンをローズマリーは肩越しに振り返る。
「ああ、シェリーはスゴく綺麗なんですよ。双子であるわたしが言うのもなんなんですけど。
紅玉のような綺麗な赤い瞳。わたしのように微妙に混じるのでなくキラキラと綺麗な―――」
どれもがとりとめのない話。でもトリスタンは何も言わない。ただ受け止めるように。
そして言葉を止めたローズマリー。眉尻は下がり、けれども無理矢理にでも口の端をあげ作り出した不格好な笑みで言う。
「わたしの、せいなんです。全部」
静かに落ちる沈黙の中 歩を進め、やがてイバラの檻が見えた。
月の明かりの下、ほどけ開いてゆく入り口にトリスタンと共に立つ。
完全に開けて尚、踏み出すことなく立ち止まったままのローズマリーに、トリスタンがそっと肩に触れる。
「ロージー……?」
「トリスタン様は、わたしが怖くないんですか?」
「………何故?」
「城の、惨状を見たでしょう? あの人達はただわたし達の側に居たが為に巻き込まれた。不運だったでは済まされない。 ………それに、もしかしたらマクシミリアン様だって巻き込まれていたかもしれない。そうしたらトリスタン様だって生まれていなかったかもしれないんですよ?」
「でも僕は今ここに、君の側にいることが出来てる」
「……それは結果論です」
「だとしてもそれは大事だよ。………ロージー、君は過去の出来事で君自身を責めているみたいだけど、もしもそれが今 君がここ存在することに対してならば、言ったように、僕にとっては感謝しかない。たとえ君がそれを責め苦だと感じていたとしてもだ」
肩に触れていた手が頬へとあがる。
つられて見上げれば、微笑む男がいる。
「俺が君を怖がることなんかないよ。もし怖いと感じるとすれば、君が俺の前から居なくなること。会えなくなることが一番怖い」
「…………」
ローズマリーはきゅっと唇を噛む。
わたしの考えることを察して牽制するような言葉。だとしても。
それは当事者でないから言えるのだ。
トリスタンの紫の瞳はあくまでも優しい。
そこに非難も嫌悪もない。
その優しい眼差しに、似ていないと感じた、遠く、遥か昔の婚約者の面影をみた気がした。




