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35.静かに降りつもる雪

 欠けのない満ちた月が空に浮かぶ。

 だけど今はまだ朝で、細かい雪が舞い朧に霞む。


「ローズマリー」


 呼ばれて。空を見上げていたローズマリーは振り返る。

 声を掛けたのはヴァルだ。そして手にしたものを無造作にローズマリーに預ける。


「――うわっ!?」


 驚くのも無理はないと思う。だって手渡されたのは、既に絞められてはいるが丸々とした鴨だ。狩りの帰りの手土産か。


 魔女としてはどうかと思うが、血には慣れない。そのせいか捌くのも苦手だ。

 だけど仕方ない。鮮度が重要だからさっさと捌いてしまおうと、裏庭に向かうローズマリーにまた声が掛かる。


「うなされていたな」

「……………昔の、夢を見たよ」

「そうか」

 

 ヴァルになら聴こえていただろう。そして空を仰ぎ言う。


「……今夜は行くのか?」

「もちろん。シェリーが待ってるもの」

「あの人間を連れてか」

「うん……、あきらめてもらうにはその方が早いし」

「…………そうか」

 

 共に裏庭へと向かえば丁度ナルが顔を出し、これ幸いとばかりにナルに鴨を押し付ける。


「はい、ヴァルからのお土産! よろしく!」

「えっ! マジかよ……」


 捌く手間にナルは顔をしかめるが、鴨肉はナルの好物だ。ここは頑張ってもらおう。


「焼く?煮込む? ナルの好きな方でいいよ」

「んー、まだ寒いし煮込みがいいかな?」

「じゃあ、準備しとくよ。トリスタン様は、居間にいるの?」

「いや、さっき出掛けて行った」

「ふーん…、どこ行くか言ってた?」


 さぁ、知らない。とナルは言い残し作業小屋へと向かった。


 今日は満月であることはトリスタンも知っているはずだ。ならば夜までには帰って来るだろうと、ヴァルと共に家に入る。


「お茶入れるけどヴァルも飲むでしょ?」


 そのまま居間へと向かうヴァルに尋ねれば、「……ああ」との返事。

 ローズマリーは手鍋に水を入れ火にかける。これは紅茶用の。ついでに大鍋にも水を入れておく、これは煮込みようだ。

 さて、茶葉は何にしようか?

 並ぶ茶葉の容器を目の前に暫し悩み、ミルクティーにしようとアッサムを選ぶ。ミルクと砂糖は後入れで。


 ティーポットとカップ、全部用意して居間に行けば、ヴァルは暖炉の前に立ち火を(おこ)している。その炎がヴァルの銀髪を赤く染める。

 

「お茶入れるよ?」  


 先にトレーを置きローズマリーは呼び掛ける。返事はないまま、でもヴァルは手にした火かき棒を離すとテーブルへとついた。


 紅茶という名の通り、澄んだ綺麗な紅色の液体をカップに注ぐ。そこにミルクを混ぜると色も味もまろやかに変化する。

 わたしのものには角砂糖を二つ落とす。それをひとくち。そして目の前のヴァルへと目を向ける。


「何か、言いたいことあるんでしょ?」

「…………」


 カップに口をつけたままチラリと金の瞳がローズマリーを見る。


「短い付き合いじゃないんだよ。それくらい何となくわかるし」


 昔からヴァルがああいった手土産的なものを持って帰って来る時は大概そうだ。

 わたしを慰める為のだったり、言いにくいことを言わなければならない時だったり。

 そして普段もそんなに喋ることがないヴァルではあるけれど、そこに更に不自然な間が落ちる。

 笑ってそう言えば小さなため息が落ちた。


「――ああ、そうだな…。 お前の言う通りだ。短くはない。あの日から随分と経った」

「………?」

「二百年にも及ぶ懺悔は短くはないだろう」

「………何…?」


 カップを握る手が微かに震える


「許しを得てもいい年月ではないのか」



 今更―――。

 

 ヴァルがそれを言うのか。 

 

 死ねない身で後悔を抱え生きる術を、生きていかねばならぬ意味を、教えてくれたヴァルがそれを言うのか。



 いや……、ヴァルであるからそれを言うのか。


 長きを生きる彼にとっても二百年は短くはないと感じたのか、そこには、暗に含まれる感情はない。ただ思ったことを言っているのだ。だけど。



「………それを…、決めれるのはわたしじゃないよ」


 許しを乞うべき人達はもういない。

 そして一番にそれをせねばならなかった大切な人を。


 わたしは……、わたし自身が―――、



 手に掛けてしまったのだから。

 



 だからわたしの罪は消えない。許されない。



「あの人間と生きるという道もある」


 ローズマリーはクスリと笑う。


「人間が好きではないくせに、変なこと言うね。そんなのあり得ないでしょ」

「だが、お前は人間を憎んでも嫌ってもいないだろう。そしてあの男に対しては少なからず好意を覚えている」


 なるほど。人の心にそれほど機微でないヴァルにもわかるくらいなら、トリスタンにはとっくにバレているだろう。

 でも。とローズマリーは首を振る。


「だとしても、それこそあり得ないよ」


 一人に押し付けた罪の上で幸せになるなんてあり得ない。


 だからそう話せば、少しの沈黙の後「……そうか」とヴァルの声。


「そうだよ」

 

 返すローズマリー。苦い思いに甘いミルクティーをまたひとくち。 それは心の苦さを取り除きはしなかったけど。

 





 コトコトと音をたてる鍋。その正面、厨房にある作業机でローズマリーは乾燥させたハーブを選り分ける。


 小さく玄関が開く音に顔をあげれば、しばらくして厨房の入り口に姿を見せたのはトリスタン。淡い金の髪には払われきれなかった雪が残る。


「やぁ、ロージー。何か良い匂いがするね」

「このポプリの材料ですか? それとも鍋?」

「両方かな」


 そう言って向かいに座った男。ローズマリーはすっと手を伸ばし、その髪に残る雪を払う。


「ずっと外に居たんですか?」


 今もまだ外には雪が舞っている。その払い落とした雪と、近付けた手から感じた冷気に呆れて言えば、ローズマリーの行動に少し驚いたように目を開いたトリスタンは、でも直ぐに緩やかにその紫を細め、「ちょっと、呼ばれたから」と、よくわからないことを言う。


 ローズマリーは呆れた顔のまま、温かいお茶でも入れようと立ち上がり、トリスタンが声をかける。


「今日は満月だね」

「………そうですね」


 それだけ。

 それについての会話はそれ以上交わすことなく、ローズマリーはトリスタンの為のお茶を入れるのだった。

 


 

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